第69話 眠れない夜

 領主館の二階には大きな部屋が四つ。


 廊下をはさんで片側にフェレの部屋とアレフの部屋、そして反対側には来客用の寝室が二部屋……今夜は王子と副官に一部屋づつあてがわれている。


 来客に寝室を譲らざるを得なくなったファリドは今、フェレと一つのベッドで眠れぬ夜を過ごしつつある。


 一年以上「寝室を共にしている」と言っても、それは宿のツインルームで隣り合うベッドを使っているだけのこと。同じベッドで寝るのは三都以来、一年ぶり……あの時は、極度の睡眠不足を解消するためにやむを得なかったのだが、今はそういう差し迫った状況には、ない。大きめとはいえ一人用のベッドに二人で寝れば、どうやっても身体のどこかが触れてしまい、フェレの存在を意識せざるを得ない。


「……うん、一緒に寝ると……あったかいね」


 フェレが幸せそうに目を細め、つぶやく。その幸せは、この場合ファリドにとっては忍耐であることを、知ってか知らずか。


―――さすがに同じフロアに客もいることだし……いくら結婚を決めたとはいえ、ここでフェレに迫るわけにもいかないよなあ。何とかして、無理にでも寝ないと。


 しかし、さらに悪いことは起こるもので、隣のアレフの部屋から抑えた男の声がする……間違いなく、アミール王子の。それに続けてアレフの少し甘えを含んだ声も、薄い壁を通して聞こえてくる。やがてアレフの声が、切なさを訴えるものに変化してゆく。加えて、荒い息遣い……その姿は見えずとも、隣室で何が起こっているのかは、明らかだ。


―――これは……このシチュエーションはさすがに、きつい……。


 たまらず寝返りを打つと、そこにはフェレの顔があった。秀麗な眉がきゅっと寄せられ、険しい顔になっている。


「……あの王子がアレフを……いじめているのか? 助けに行ったほうが、いいよね?」


―――はあ? 何言ってるんだこいつ? ん……いや、もしかして? まさか??


 次の瞬間、ファリドは突然すべてを理解してしまった。フェレは……大人の男女が「いたす」ことについて、本当に何も知らないのだ。


 よく考えれば、十三歳かそこらで家を出て魔術学院に入り、追い出されてそのまま冒険者になって、納屋に泊まり風呂にも入らない着た切り雀の貧乏生活に入ってしまったフェレだ。付き合う物好きな男もいなければ、そういう方面の知識をささやいてくれるませた女友達も大人の先輩も、いなかったのだろう。とんだネンネちゃんだったわけだ。


―――道理で……何度遠回しに誘っても何も反応がなかったのは、当たり前だったわけだ。知らなきゃ、仕方ないよな。まあ、無理にしなくて、よかった……フェレを傷つけなくて、済んだからな。


 とりあえず、勘違いしているフェレをなだめなければならない。仕方なくファリドは、フェレの両頬に手をあてて、子供に勉強でも教えるかのような口調で、ゆっくりと語りかけた。


「ああ、あれは大丈夫だ。大人の男女が好き同士になったら、みんなすることだから」


「……そうなの?? リドと私も、するの?」


「近いうちに、ぜひ……したいと思ってる」


「……そうか、リドもしたいのか。じゃあ、どういうことをしてたのか、ちゃんと勉強する。明日、具体的にアレフに教えてもらわないと……」


 ファリドにとってはありがたくないことに、珍しく積極的なことを言うフェレ。


「うっ、それはやめてくれ……あまり堂々と聞いていいことでは……」


―――そんなことを唆したとアレフに知れたら、俺の優しい「お兄様」像が、崩壊しちゃうじゃねえか!


「……そうか、リドがやめろというなら、聞かない。でも私は、リドとこうやって寝るだけで気持ちいい、満足……」


 そう言うなりフェレはファリドの腕をしっとりとした手で抱え込み、その右脚に自分のひんやりした大腿を絡めた。誘っている……わけではないことを、もうファリドは理解してしまっている。案の定、百を数える間にこの無自覚な悪魔は、健康的な寝息を立て始めた。


―――はあ~っ、生殺しとはこのことだなあ……どうしろっていうんだ……?


 ファリドにとって今夜は、実に長くなりそうである。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 翌朝、二組のカップルはまさに好対照だった。


 隣室の悩ましい音とフェレの肌触りでほとんど眠れずげっそりしているファリドと、想いを遂げてにんまりと満足そうなアミール王子。表情には幸せが溢れているがぐったりと疲れ切っている風情のアレフと、たっぷり寝が足りてつやつや微笑んでいるフェレ。


―――そりゃあ、あんたは大満足だろうぜ、王子様。


 皮肉の一つも言いたくなるファリドであるが、ここはあくまでアレフの幸せが最優先、沈黙は金である。領主夫妻も当然アレフに「ナニかあった」ことを一見して察しているが、生暖かくスルーしている。


―――こういうコトについちゃデリカシーのない親父さんが何も言わないのは珍しいな。


 妙な感心をしているファリドである。


「今日はまず、義兄上と剣を交えさせてもらわないとなあ」


「お兄様、アミール様のお相手をお願いします。私は、もうちょっとだけ寝かせて頂くわ……」


 やたら元気な王子、そして二度寝が必要なほどくたくたに抱き潰されたアレフ。まさか求婚を承諾したことを後悔してはいまいなと少々心配になるファリドだが、二人の視線が意味ありげに絡み合うのを確認して、まずは安心する。


「俺でよければお相手しますよ。だけど、俺よりむしろフェレと手合わせした方が、歯ごたえあると思いますよ。できるよな、フェレ?」


「……うん。がんばる」


 素直にうなづくフェレであった。


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