第67話 王子の求婚

 談笑のうちに、間もなく昼食の時間を迎える。


 別室から移ってきたファリドや副官の青年もテーブルにつき、フェレとアレフは厨房で料理の仕上げに入っている。


「何しろ、貧乏領地のことにて、十分なご供応が出来ないのでありまして、恐縮なのであります」


 何やら敬語の使い方が怪しい、領主ダリュシュ。そもそも、王族なんてものに会ったことがないのだから、やむを得ないだろう。


「ああ、その点はお構いなきよう。私も昨日まで遠征に出ておりましてね。遠征中は携帯食をかきこむのがせいぜい、こうやって食卓について暖かいものをごちそうになれるだけで、贅沢というものです」


「軍団副団長というお立場でありながら、兵と寝食を同じくしていると伺っているのであります。王族に生まれながらそのような行動が出来る殿下は、素晴らしい方と思うのであります」


 相変わらず敬語は微妙だが、ダリュシュの言わんとしていることは、軍の同僚や部下達にも共通する思いであろう。雲の上の人間が自分達と苦労を共にし、共通の目的に向かって進むとあれば、兵の士気はいや増すはず。この何やら明るい王子が全体を率いるようになってくれれば、正規軍はより良い集団となれるのではないかと。


「まあ、軍隊の生活は、割と性に合っているんですよね。できれば、続けていきたいんですけど」


 王子が何やら含みのあることを口にしたその時、フェレとアレフ、そして使用人の女が、出来立ての生パスタの皿を持ってきた。今日のソースは卵ベースである。


「アミール様は卵、お嫌いじゃないですよね?」


「うん、私は何でも食べるよ。特に、アレフ嬢が作ったものとあらば、なんでもね」


 思わず胸焼けしそうな、若い二人の甘い会話である。


「冷めないうちに、お早くお召し上がりくださいね」


「じゃ、さっそく、うん……あむむ……」


 フォークを優雅に使って生パスタにかぶりついた王子は、しばらくその食感を何やら唸りで表現していたが、頬張った麺をようやく咀嚼して、口を開いた。


「これは美味い! 小麦や卵といった地物の素材も良いのでしょうが、この何とも言えないコシというか粘りというか……生パスタは私も時々食べますが、このような食感は初めてです! ねえアレフ嬢、このすばらしい麺は、君が打ったものかな?」


 いきなりの大絶賛である。ただし褒められたはずのアレフは微妙な表情をしている。


「アミール様、申し訳ございません。ソースや仕上げは私が致しましたが、捏ねて打つところは、姉でないと美味しくなりませんので……」


―――まあ、そうだと思ったよ。


 フェレは、食うことに関しての執着が異常に強い。パスタを美味くするためなら、多少の無駄遣いをする……そう、魔術の無駄遣いを。おそらくフェレは自らに身体強化魔術を使い、常人の数倍になった膂力をパスタの生地に振るって、この堪らないコシを生み出しているのだろう。他の女たちに出せない味であるのは、当たり前だ。


 「残念な魔女」の噂を知るアミール王子も、そのことに気付いたらしい。


「いいんだ。アレフが私に、一番美味しいものを食べさせようとして姉上に頼んだことは、すばらしいことだと思う。私達は、自分だけで何でもできるわけじゃないからね。むしろ大事なのは、やりたいことを実現させるために、それを成し遂げられる人は誰なのかを見極めることだよ。今回は、それが姉上だったってことだから」


 さりげなくアレフを呼び捨てにしているところに気付き、少しニヤリとするファリド。やはりこの二人、かなり親しさを深めている。


「アミール様……」


「君のおかげで、最高のパスタを食べることができたよ、ありがとう。それで……アレフ嬢、もう一つだけ、お願いをしてもいいかな?」


「も、もちろんですわ」


「アレフ嬢……私に、パスタを毎日食べさせてもらえないだろうか?」


「え……ええっ!」


 このアフワズ州でその台詞は「結婚してください」と同義である。それを知らずに口に出してしまったのは、一年ちょっと前のファリドなのであるが。


「で……殿下、『パスタを毎日』という言葉でありますが……この地域では特別な意味があるのでありましてですな……」


 父ダリュシュがやや噛みながら、王子の真意を確かめる。


「父上殿……私の軍団はこのアフワズも管轄しております。この地域の習俗も、知り尽くしておりますよ」


「アミール様は……私を、愛妾になさりたいということですの?」


 アレフの澄んだサファイアの瞳が、喜びと疑惑の間で揺れ動いている。


「何を言っているんだい、アレフ。君は私の、正室になるんだよ。私の妻は、君しか考えられないんだから」


「そ、そんな……王子殿下と、爵位も持たぬ騎士の娘なんて……身分が、あまりに違い過ぎますわ」


「大丈夫、私には兄が二人もいる。私自身が国王になることはないだろうから、妻の身分がどうとか言わせないよ。そして、君が望むなら私は、臣籍に下って、王族の身分を捨てる」


 うろたえるアレフの逃げ道を、次々ふさいでいく執着王子アミール。


「それにね。実はもう、父王からは結婚の許しを頂いているんだ、妨げるものは何もないんだよ。それで……もう一度聞くよ。アレフ、君は私に、毎日パスタを食べさせてくれるのかい?」


「……」


「アレフ?」


「よ、喜んでお受けいたします。私もアミール様を、デビューの夜会からずっと……ずっとお慕いいたしておりました。このような私でも、よろしいのでしたら……」


 そこまで一気に口に出して、あとは涙で言葉にならないアレフ。その身体を後ろからふわりと優しく、あたかも雛鳥を守るように抱き締めるフェレ。フェレの眼からも澄んだ雫があふれだしていた。

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