第66話 人たらしの王子

 副官一人を残し、ここまで付いてきた護衛を帰してしまった王子と、アレフと父ダリュシュ、そして母ハスティがダイニングテーブルを囲んでいる。フェレが無言でせっせと茶を給仕している姿が珍しい。お呼びでないであろうファリドは別室で、王子の副官と談笑している。


「アミール様、いくらなんでもこんな急に、どうなさったのですか? 驚きましたわ」


「失礼した、ご実家には迷惑をかけてしまったようで、申し訳ないと思っている。急にまとまった休みが取れることになってね、そしたら貴女に会いたくてたまらなくなってしまったのだよ」


 アレフの可愛らしい抗議に、破壊力満点ののろけで、しかも相手の親の前で・・応えてくるこの王子は、なかなかの大物である。


 ややウェーブした亜麻色の髪に切れ長の眼、澄んだ翠の瞳、秀麗な鼻梁と引き締まった口元、すっきりとした顎の輪郭。完璧な外見を持つこの王子、正規軍においては極めて優秀な士官であり、下級兵士とも親しく交わる人気者なのだと聞くが、アレフへのこの残念な執着ぶり……さすがのダリュシュとハスティも、やや引き気味である。


「まとまった休み……というと、当家にご滞在いただけるのでありますか?」


 ダリュシュが王子の言葉に驚いて、確認する。


「ご迷惑にならないのであれば……お願いしたいのですが」


 実のところ大迷惑だが、そんなことを言うわけにはいかない。ハスティが素早くフェレに目くばせを送ると、フェレが音もなくダイニングを出ていく。この館で客を泊められるのは二部屋だけ、うちファリドが一室を占領している。これから超特急でファリドを追い出し、王子と副官の寝室をしつらえないといけないのだ。フェレが使用人の中年女に何やら耳打ちし、いきなり大掃除が始まっているのを知ってか知らずか、この王子は涼しい顔で、アレフに熱い視線を送り続けている。


「お召しいただければ、アレフの方から王都に参らせますのに」


「いや母君殿、王都の茶会でお会いするだけではご令嬢の一面だけしか理解できません。こうして普段暮らしている環境や、ご家族の様子をぜひ見せて頂きたかったのですよ」


「この通りの、貧乏騎士家であるのですがなあ」


「私から見ると実にうらやましい、暖かいご家庭です。私は母を早くに亡くしておりまして、あまり家族の愛情を感じられる環境になかったものですから、アレフ嬢とご家族の会話は、新鮮なのですよ」


「そうでしたの……」


「今、ご両親殿とお話して理解できました。アレフ嬢の底抜けに明るく、周りを幸せにする性格は、ご家族の愛で育まれたのでしょうね」


 なかなか会話もうまい、人たらし系の若者である。アレフへの執愛みたいなものがダダ洩れしているところが実に残念だが、それを除けばすばらしい王子なのではないか。


「それで……先ほど、茶を注いで下さった方が、噂の姉君かな?」


 相変わらず興味に眼をキラキラさせて、王子がアレフに尋ねる。


「ええ……自慢の姉ですの」


「本当に目鼻立ちが君そっくりのお姉さんなんだね。とても美しい、実に美しい……」


 言葉の字づらだけ追えばフェレを褒めているようだが、実のところこの執着王子は、「フェレそっくりなアレフの容姿」を褒めているのである。それに気付いたアレフが、また頬を染める。


「姿かたちは似ているのでありますが、姉の性格はアレフと違って極めて地味でありましてな」


「そうなんですのよ。アレフと違って本当に口が重くて大人しくて……」


 領主夫妻が謙遜する。まあ間違っても、この王子がフェレに対し、女としての関心を向けることはないであろうが。


「その大人しい姉君が、アレフ嬢を救ったのですね……」


「ええ、姉と兄が命をかけて、私を死の呪いから解き放ってくれたのです。姉は、私のためだけに八年以上も苦しい冒険者生活を耐えて働いて……自分のためには一枚の服すら買わずに、日々の食べる物すら惜しんで……」


 この話になると、必ずアレフは、涙ぐんでしまう。


「でも、兄が現れて姉の手を取ってくれました。兄の素晴らしい知恵が姉の才能を見出し開花させ、運命を切り拓いてくれたのです。二人がいなければ私は……」


「そう、そしてその二人もようやく落ち着いてくれるみたいで、私達も安心しているところですのよ」


 かなり湿っぽくなってきていた話題を、空気の読める母ハスティが上手に切り替える。


「落ち着く、と言うと?」


「ファリドくんは……いや、アレフの言う『兄』であるのですがな……フェレと結婚して、領地を継いでくれる気になったようでありましてな」


「ほほぅ、それは……」


「アミール様、何か?」


「いや、誠におめでたい話で、お祝い申し上げます。私としては少し残念なのですが……」


 何か思惑がありげな風情ながら、この話題を打ち切ったアミール王子であった。

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