第59話 裏切り者は

 ファリドが必勝の確信をもってシャムシールを中段に構えたその時……ファリドの右肩を、巨岩がぶつかったような衝撃が襲った。


 ファリドの肩から短槍が「生えて」いた。何者かが背後から槍を投げ、それがファリドの身体を貫いて串刺しにしたのだ。


「……リドっ!」


 フェレが叫ぶが、先ほど全力を出した影響が身体に重く残っていて、動けない。ファリドがその場に膝をつき崩れる隙に、クーロスが素早く距離を取る。


「ふむ、俺は出しゃばらないつもりであったのだがな……クーロスを殺られてしまってはアガリが無くなってしまうから、やむを得んだろうなあ」


 やや呑気な台詞を吐きつつ姿を現した人物に、フェレもファリドも見覚えがあった。二人を引き合わせ、ペア結成を熱心に勧めてくれた恩人のはずの……カシムであった。そしてカシムが左わきに抱えている、ぐったりと力を失っている娘は……


「……アレフっ!」


「くそっ……カシム、何で……?」


「嬢ちゃんにカネが必要な理由があるように、俺にもカネがいるのさ。だからクーロスに協力して、分け前をもらう、それだけだ。おっと嬢ちゃん、魔術は使っちゃいかんぜ。可愛くて病弱なこの娘を大事にしたいなら、な。嬢ちゃんの魔術を見せてもらったが、ありゃあ、すさまじいものだな……火竜を凍らせる魔術師なんて、王国、いやこの大陸でも他にいないだろう。半端魔術師の嬢ちゃんをあそこまで成長させたのは、坊主の力だな……坊主と嬢ちゃんを組ませたのは、危うく俺の最大の失敗になるところだったぜ」


「何で……俺とフェレを……」


「最終的に、こうやって殺すためさ。坊主の知恵は、多くの冒険者に軽視されているが、大したものだと俺は思っている。坊主が戦闘能力の高いパーティに迎えられたら、相乗効果で依頼はうまく回るだろうし、危機管理もしっかりしてクーロスといえども手が出しづらくなる。だから、足を引っ張ってくれそうな嬢ちゃんと組ませたんだがな。まさか魔術の使えない坊主に、魔術師の育成能力まであるとは予想できなかったのは、我ながら不覚だった」


「おほめ頂いて光栄、というべきところかな……」


 軽口を叩いたファリドだが、出血がひどくなって意識が薄らいで来たことを感じる。


―――ギルド内に協力者がいることまでは承知していたが、まさか手練れのカシムが出てくるとは……俺がうかつだった。何か、何か逆転の策を考えねば……が、血が足りなくて頭がうまく働かない、畜生。せめてフェレとアレフだけでも……


「これで終わりだ。さあ、やれクーロス、この嬢ちゃんから先に、な」


 十分距離を取ったクーロスは、かなり長い呪文の詠唱を今や終えんとしていた。そしてその手をフェレに向け……


「英気の槍、空間の刃……死ね、半端魔術師よ!」


 その瞬間のファリドは「軍師」ではなかった。頭で考える前に、本能的に身体が動いていた。クーロスとフェレをつなぐ射線上に飛び出し、クーロスの魔術を自らの身体で受け止めんとする。魔術のもたらす衝撃波がいくつもファリドに命中し、そのうち一つが右胸を突き抜けた。


―――ああ、これは、ダメなやつだ……もう助からんな。だけど、最後に好きな女を守って死ぬってのも、決して悪くない終わり方かもな。


 そしてファリドは、フェレに別れの言葉を告げることも能わず、そのまま地に倒れた。


「……リドっ! リドっ!」


 フェレは男を……自分を愛していると言ってくれた男を力の限り呼んだ。しかしもはや、この数ケ月の間フェレが頼り切っていた男からの返答は、ない。


「……リド……う……うわあぁぁぁぁっ!」


 その瞬間、フェレが切れた。


 そのラピスラズリの瞳をクーロスに向け、一瞬でフェレの全身が蒼い輝きに包まれる。クーロスが一歩下がって攻撃魔術の準備をしようとした刹那、彼の全身の衣服は燃え上がり、皮膚は瞬く間に炭化していった。二十を数えずして、天才魔術師であったはずの「もの」は、単なる炭と煤の塊に変わっていた。


「嬢ちゃん……なんだその魔術は……?」


「……リドが教えてくれた、空気の粒は揺れていると。そしてその揺れを魔術で止めれば、火竜をも凍らせる極限の冷気が造れると。そして……その逆もできるのだと。粒の揺れを大きくしてやれば、炎よりはるかに強い熱気が造れるのだと……。リドは私ならそれが可能だと言った……リドができると言ったなら、私は……できる!」


「おいちょっと待て……おいっ! この娘がどうなってもいいのか? この短剣が見えないか? おいっ!」


 カシムは右手に持った短剣を、アレフの喉元に擬し……いや、擬そうとした。


 しかし、右手が動かない。カシムが自らの右手を見ると、それはすでに氷の彫像であるかのように霜に覆われ、感覚も失われていた。


「……リドが教えてくれた『氷結』は竜をも凍らせる。人間の腕など、一瞬で動かなくできる!」


「うぉ……この、化け物が!」


「……ありがとう、いい誉め言葉」


 カシムの上半身が感覚を失い、左腕に抱いていたアレフをとり落とす。フェレは悠々とアレフを抱き上げる。


「う……お姉様、お姉様……」


「……ごめん、アレフ……もう、大丈夫」……


「お兄様が……お兄様が……」


「……っ!」


 ぶち切れていたフェレが、アレフの言葉で我に返る。


 我に返ると急に全身が震え、ファリドが自分の人生からいなくなる不安がフェレを襲う。そして急に感情を取り戻したかのように、涙があふれてくる。


「……リド……死んじゃやだ……」


「……」


 ファリドの胸がわずかに動いて、まだわずかに命の灯が残っていることを示しているが、大量の出血で意識はなく、もちろん言葉を発することもできない。


「……やだっ……!」


 やはり反応は……ない。


「……好きって言ってくれたのに……まだ何もしてないのに、勝手に逝っちゃったらダメなの……」


 「何かした後」なら死んでもいいのでしょうか? アレフは素朴な疑問を抱くが、もちろん口に出せない。代わりに提案する。


「あの……お姉様。姉様の魔力を……お兄様に生命力として分けて差し上げることはできませんか?」


「……あ、確かに……身体強化に使えるんだから、魔力は生命力になる……かも。……でも、どうやって分ければいいの?」


「そこまでは私も……」


 フェレは眼を閉じて考えている。この数ケ月、頭を使うことは全部ファリドに任せてきた。しかし今は自分で、最善手段を判断しないといけない……やがてフェレは、ラピスラズリの眼を開いた。


「お姉様、わかったの?」


「……わからない。でも、やるしかない、何かを」


 フェレが眼を見開くと、全身の蒼いオーラが輝きを増す。その輝きが頂点に達した時、フェレは自らの唇をファリドのそれと重ね合わせた。


 そのまま百を数えるほどの時間が流れた。フェレは力尽きたようにファリドの上に倒れこむ。ファリドの意識は相変わらずないが、その身体全体から薄白い光が発せられている。


「お姉様……成功……したの?」


「……どうかな……でも……力は、渡せたと思う……」


「そう……きっと大丈夫、とっても素敵なキスだったから」


「……それ、なんか関係ある?」


 別の意味で、お互い残念な姉妹であった。

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