第56話 この魔術が欲しかったのよ
路傍の灌木に向けて、フェレが真剣な視線を向けて意識を集中している。フェレの身体を蒼いオーラが包むが、何も起こらない。フェレが深いため息をつき、その肩にファリドが手を置く。フェレは一瞬表情を緩め、またすぐに真剣な表情に戻ると、何やら意識を集中し始める。
「……アレフ……っ」
フェレが切なそうな表情を浮かべる。
「焦るな。焦るとかえって集中が乱れるぜ。大丈夫、フェレならできる」
「……うん……私は、できる」
「空気の『粒』は、意識できてるのか?」
「……うん」
「そうだよなあ。自在に風が起こせるわけだし、空気を抜いたりできるようになったんだからな。で……その『粒』が震えてるって感覚はつかめたのか?」
「……たぶん。『粒』がみんな勝手な方向にもごもご動いてる感じ。リドに言われなければ、わからなかったけど」
「その動きを、小さくすることはできそうなのか?」
「……短い時間なら小さくできてる、と思うんだけど……リドが言うみたいに、物を凍らせることは、できない」
「う~ん、俺も本で読んだだけの知識だからなあ……」
ファリドがフェレに指示しているのは、難しく言えば分子運動の停止だ。
空気や水、と言った物質は、細かく見れば……いや、もちろん常人には見えないのだが……分子という『粒』の集まりだ。その『粒』は細かく振動していて、その振動は物質が熱ければ大きく、冷たければ小さい……というのが、ファリドが好きな科学の書物に書いてある知識である。もっとも、そんな高度な科学は数千年前に亡び、古書の中にその痕跡を留めるのみなのだが。
その振動を魔術で止める、あるいは小さくすることができれば、物質の温度を下げられるのではないか。空気でそれができれば、相手を凍らせて倒すことができるのではないか、例えば火竜でも……というのが、ファリドのかなり安易な発想である。
もとよりファリドはこんな突飛な魔術だけに頼っているわけではない。空気の「粒」なんていうものは、一体どれだけの数になるのか、想像を絶する。ファリドの読んだ科学書には、「一掴みの空気は百万個の百万倍の百万倍のさらに一万倍……の『粒』でできている」とある。この無数の「粒」一つ一つを意識して動きを止める、なんてアイデアは、かなりクレイジーだ。
しかし、実際にフェレは空気を「『粒』の集まりである」と認識し、それを自分の望む方向に動かすことで風や真空を作り出すという、驚くべき認識力と魔力制御をすでに身につけている。であれば、「粒」の振動を止めることも、できないとは言い切れないのではないか。
問題は、フェレが粒の振動を認識できるかどうか。ここには、ファリドに対する絶対的信頼……または依存、を利用するしかない。ここ二ヶ月の共同生活で、フェレには「ファリドの言うことは絶対に正しい」と刷り込まれている。ファリドが「粒が振動しているはず」と言えば、フェレは無条件でそれを信じるのだ。
とはいえ、それを簡単に実行出来るとは、ファリドも思っていなかったのだが……フェレは「『粒』の振動を小さくできている」らしい。やや驚きつつもファリドは尋ねる。
「小さくすることまでは、できてるのか?」
「……と、思うけど……」
「だけど凍らない、ってわけか。もう一度やってくれるか?」
「……うん……っ」
短い気合とともに、フェレが先ほどの灌木を凝視する。ファリドが灌木に手をかざし、
「うおっ、冷てえ!」
慌てて手を引く。フェレは驚いて目を丸くしている。
「……冷えて……るの?」
「ああ、まわりの空気は、狙い通り冷えてるみたいだ。ただ、目標を凍らせるにはちょっと時間が足りないのかなあ」
「……魔術を維持するのは、十秒くらいが今のところ限界かも」
「その時間を延ばすのは大変そうだな……じゃあ、その冷やした空気を動かすことは出来るか?」
「……冷たい風を吹かせる、ということ?」
「そう。『粒』の振動を止めるのと、『粒』を集団として動かすのと、両方同時にやるのは難しいと思うが、フェレの力ならできるんじゃないか?」
ファリドは、さすがに無理かと思っている。だが「褒められて伸びる子」のフェレに対しては「できるんじゃないか」というポジティヴなスタンスで話すことにしている。
「……うん、やってみる……んっ…… 」
フェレの気合とともに、灌木の枝が風に揺れる……と、その葉がたちまち凍り、パキッと音を立てて割れた。
「おおっ!」
「……何が起こったの?」
「凍らせることができたのさ。冷気を動かすと、目標を早く冷やせるんだよ。ほら、真冬に外に立ってたらさ、風が吹いてた方が数倍寒く感じるだろ?」
「……そうか、じゃ……」
ちょうど頭上を鴨の群れが飛んでいる。フェレが蒼いオーラをまといつつその一角にラピスラズリの眼を向ける……と、群れの端から一羽が離脱し、そのまま急降下して地面に激突した。
ファリドが落下地点に走り寄ると、そこには羽根を広げた姿のままカチカチに凍らされた鴨が一羽。
「これは、すごいな……」
「……うん、リドができると言ったから、頑張った。それに……」
「ん?」
「……鴨が、食べたかったから」
ものすごく残念な動機を語るフェレである。
◇◇◇◇◇◇◇◇
妹がいくら心配でも、腹は減る。せっかく腹を満たすんだったら、大好きな肉が食べたい。それも、脂のた~っぷり乗ったやつ……あ、ちょうど眼の前に、鴨がいる。
苦心の末ようやく編みだした超絶技法であるはずの『氷結』魔術を、フェレが鴨に向けてぶっぱなしたのは、このように残念な発想だった。あれよあれよという間にフェレは三羽の鴨を冷凍食品にしてしまった。
「う~む、すごいな」
「……宿で料理してもらおう」
「このまま持って行ったら、マズいだろ。変な病気持ちの鳥かと思われるじゃないか」
こういう配慮が出来るフェレではないので仕方がない。外傷もないのに羽根を拡げたままで硬直している鴨なんて怪しすぎる。ファリドは鴨が柔らかくなるのを待ち、いかにも狩りで獲りましたとアピールするために、自分の短弓で一発づつ矢を撃ち込んでおく。
「それにしても、『氷結』が使えるようになったのは大きいな。戦いの選択肢がかなり増えた」
「……クーロスに……勝てる?」
「そりゃ、やってみないとわからないさ。だけど、勝つ力は十分身に付けた。そうだな……いや、フェレなら、きっと勝てる」
「……うん、私は……勝てる。だから……鴨はローストがいい」
やっぱり残念な魔女である。
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