第53話 スライムは苦手なんだよね

 ファリドが投じた刃物は粘液状の外殻に吸収されるだけで、まったく魔物にダメージを与えることが出来ない。ファリドとて効かないことは百も承知だが、こっちに注意を向けてネーダを守るための攻撃である。


 スライム……この世界ではかなり手強い魔物である。本体は内部にある小さく光る核だ。しかし普通の物理的攻撃は高粘度のゲル状外殻に吸収され、英雄級の戦士でもなければ刀剣を核に当てることは難しい。ゆえに「戦士の天敵」とされている。基本は戦士であるファリドとフェレにとっては最も当たりたくない相手だ。


 今やスライムはゆっくりとファリドに向かって進んでくる。フェレが素早く起き上がり「真空」を掛けるが、何の影響もない。


―――空気で呼吸をしていないのだから、効くわけもないか。どうすれば……? 俺の刀じゃあの外殻を貫けない。外殻を小さく、薄くできれば……!


 その刹那、ファリドの眼が民家の軒先に、地酒を醸造する用途の甕を捉えた。素早く二つを小脇に抱える。


「フェレ、この甕に『真空』を!」


「……ふぁっ、うん!」


 次の瞬間、ファリドは武器も持たず……両手は甕でふさがっているのだから……スライムに突進し、絡みついてこようとする粘液を躱しつつ、魔物の外殻に甕を逆さにかぶせ、素早く飛び退く。


 すると……内外の圧力差によって粘液が甕に吸い込まれていく。スライムは抵抗するが、甕は意外に堅牢であり、数秒後甕の中は吸い込まれた粘液で満たされた。ファリドは素早くシャムシールを抜き、粘液の守りが薄くなったスライムの唯一の弱点である核に躍りかかり、真上から存分に体重をかけて刺し貫いた。


 スライムは活動停止して粘液は張りを失い地に流れ出し、後には魔石が一個。


「いやあ、結構危なかった……よりによってスライムとか、な……」


「……甕に『真空』使えって言われたときは、意味が分からなかったし……」


「だが、フェレはすぐやってくれた。お陰で倒せたよ」


「……あんなこと、すぐ思いつくリドは……すごい」


「たまたまさ。本当はフェレが練習している『あれ』を使えるようになれば、もうちょっと楽なんだけどな」


「……うん、頑張る……もう少しだと思う……」


 呆けていたネーダがようやく我に返って近づいてくる。


「魔物が、アルサランの姿をしていた、ということは……」


「うん、残念だけど……姿を盗まれた、ということは……そのアルサラン君は、スライムに食われてしまったのだろうな」


「そう……そうよね……うぅ……」


 ネーダが小さな声ですすり泣く。アリアナがその肩に手を置く。フェレもその手を握る。


「……ネーダが無事でよかった」


 しばらくの後、フェレがつぶやく。ネーダはこくこくとうなづくだけだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「ネーダ……どうして、あの若者が人ではないと気付いたのですか?」


 アリアナが問う。


「好きな……いえ、好きだった、いっときは将来を約束した男性なのです。見た目をどのように巧みに真似ようと、あの人とは違うとすぐ判りました……生きていて欲しかった」


 ネーダは、静かに涙を流し続けている。フェレは何も言わず、ただその手を握り続けている。


 周囲を遠巻きにしてした村人達も、ようやく事の次第を理解して、


「アルサランの奴も哀れ……サイード師と親しかったように見えたが、そういうことであったか……」

「疑って済まなかった。我々がだまされていたようだ……」

「すまん、だが、あれほど見事に化けられてしまっては……」

「サイード師、いやクーロスか……結局村の者達を次々魔物に襲わせたのは、奴ってことだな。許せん……」


 だまされた自分たちへの反省、そしてクーロスへの反感を口々に述べている。


―――これだけインパクトのある出来事を眼前で見たんだ。クーロスを強く信じていただけに、反感はより大きくなる。これでもう村人たちがクーロスにつくことはないだろう。これで、五分で戦えるか? いや、まだ協力者の姿が見えない、良くて四分六分くらいかな……


「……あの、スライムに投げたペンダントは……前に話してくれた老師さんの?」


「そう。本当に役に立ってくれたよ」


「……大事なもの、だったよね?」


「仲間の命より大事なものなんかないよ。おかげで村も取り戻せたわけだし、ね」


「……あとは、クーロスだけか……」


―――いや……敵はクーロス一人じゃなさそうなのが、怖いんだけどな。ま、いいか。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 村にクーロスの置き土産がないか一日総出で探し回り、使い魔であろう魔獣を数体フェレの魔術で倒したのち、「ここまでやれば、大丈夫だろう」という結論になった。


 アリアナとネーダはあれやこれやガタガタになった村を立て直すために、しばらく残らざるを得ない。その間にファリドとフェレは三都のギルドで借り出した馬車を、最寄りの副都ギルドに返してこようという相談になる。


「……クーロスがここに戻ってきて、戦いになる可能性、あるよね?」


 フェレは残るネーダが害されることを心配している。


「う~ん、クーロスは戻ってこないと思うな」


「……なんで?」


「使い魔が倒されたら、クーロスはもちろん気付く。この村の使い魔を俺達が全滅させちゃったんだから、奴も村の支配が失われたことは、わかってるだろ。そもそも奴にとってこの村の価値は、副都に近くて、自分の信者に守られる安全地帯……ってことだったわけだから、今となっては取り返しに来る合理的な理由がないね」


「……そうか……うん、そだね」


 ネーダのこととなるとやたら心配症になるフェレに、ファリドは可笑しさをこらえられない。


―――ネーダに殺されかけたはずなのにな。まあ、こういうところがフェレのいいところでもあるんだが。


「さあ、せっかく村でご馳走してくれるってんだから、たらふく食いに行こうぜ」


 その晩のフェレは、噛み切れない羊の肉で頬をたっぷり膨らませることになった。

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