第43話 侍女を尋問

 語り終えたアリアナは、憑き物が落ちたようにさっぱりとした表情をしていた。諦め、あるいは悟りの心境であっただろうか。ファリドはおもむろに口を開いた。


「ネーダが伯爵家に来たのはいつからです?」


「九ケ月前、かしらね」


「伯爵が病の床につかれたのはいつから?」


「八ケ月前……あっ」


「そういうことじゃないですかね。この侍女は一服盛るのが得意のようだし」


「私はそこにも気付かなかった……」


「仕方ありませんよ、一番大切な息子さんの人生に関して脅迫されているんだから、冷静にはなれないでしょう」


「ええ……」


「でもそういう話なら、やりようはあるのじゃないですかね。ようは伯爵に意識を回復してもらって、『この子は俺の子だ、文句あるか』と貴族どもの間で派手に宣言してもらえば、横車の入れようもない。爵位の相続なんてのは結局当主がその子を認知しているかいないかであって、誰のタネだなんてのは、特別な場合を除いて関係ないですからね。伯爵を診ているのはおそらく普通の薬師でしょうが、かれらは暗殺向けの毒物への対処なんて知りません。闇の世界に詳しい薬師か魔術師を手配すれば、何か手を見出してくれるでしょう。王都にそういう知り合いがいるので、ご紹介しましょう」


「そうするわ……ありがとう、ありがとう……」


「礼はまだ早いでしょう。伯爵が本復したら、形あるものでお願いしますよ」


「ええ。そうするわ、そうする……」


 アリアナの眼からはとめどなく涙がこぼれている。一人で伯爵家を背負いこんで気を張ってきたのが、秘密を打ち明けて一気に緊張が緩んだのだから無理もないが。


 だがファリドの関心はもうそこにはない。伯爵家がどうなろうと、ファリドとしては正直どうでもいい。伯爵家が自分とフェレにとって「無害」になればいいのだ。目の前で眠り続けるフェレの無事のほうがはるかに重要事である。


 脈拍や呼吸は規則正しい。耳のピアスから伝わる痛みがすでに感じられないことから、おそらくフェレの生命の危機は去り、ただ眠らされているだけであるのだろう、と理屈では判断出来るのだが……「そうは言っても心配」になるのが、妹分に向けての感情なのか好いた異性に向けてのものなのかは、もはやファリド本人にはわからない。


 やがて宿の主人が隣村から連れてきた薬師がフェレを診て、麻酔系の薬物であるからしばらくすれば起きる、無理に起こさずあと一時間くらい寝かせておけと宣言し、漸くファリドは深く安堵のため息をついた。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 フェレがぼんやりと意識を取り戻したのは一時間半後、会話ができるレベルまで回復するのにはさらに一時間を要した。


「……リド……」


「フェレ……本当に良かった……」


 フェレがいなくなってしまうかも知れないという状況は、想像していたものよりはるかにファリドにとって恐怖であった。家族のいないファリドにとって、たった二ケ月一緒にいただけのフェレが、いつの間にか人生に欠けてはならないパーツになりつつあった。


「……私は、殺されかけた? ……ネーダに?」


「そうだな。ネーダはアリアナさんを脅迫している連中の仲間だったみたいだ」


「……そうか。私は……だまされていた……のかな」


「そういうことに……なるな」


「……珍しく……年の近い友達ができたかなとか思って、うれしくなってしまったけど……」


 フェレのラピスラズリの眼から透明な雫が次々あふれる。フェレが一声も発せずただ涙を流している間、ファリドもただ黙って見守るしかなかった。その胸には静かな怒りが燃え上っている。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ネーダはより早く意識を取り戻していたが、フェレが目覚めるまでのファリドはとても彼女を尋問できる精神状態になく、銅線で縛られたまま放置されていた。結果的に、怒り狂った状態のファリドに虐待されずに済んだとも言えるのだが。


 ようやく冷静になったファリドがネーダを引き起こし、椅子に座らせる。アリアナがファリドの斜め後ろに座る。フェレはまだ本調子ではないが、ぜひと希望して尋問に同席している。


「聞きたいことがいくつもある、正直に答えろ。俺はこれでも銀鷲だから、これまでかなり裏社会の依頼も請け負っていてな、若い女が秘密をしゃべりたくなるような下品な尋問方法をいくつも知っている。まあその際にはご婦人方には退席願うこととなるが……それを使わせないためには、素直に聞かれたことに答えるんだな」


 フェレがびくっと身体を震わせ、すがるような眼でファリドを見る。ファリドはあえてフェレの方を見ない。見れば優しいまなざしを向けてしまいそうで、そうなるとさっきの脅しの効果がなくなってしまう。ここはネーダからできるだけ情報を搾り取るのが第一目的だ。


 一方のネーダは、おびえ切って震えていた。アリアナから未通女と聞いていたのでこの手の脅しが有効と判断して、あえて下賤な方向から攻めてみたのだが、それにしても効きすぎている。小悪党の手先であることを自覚している娘であれば、少しは蓮っ葉な開き直りの様子が、見えても良いはずなのだが……おびえながらも眼はきっとこちらを強い意志をもって見返している。これはおそらく……殉教者の眼だ。


「なあ、ネーダちゃんよ。その様子だけ見たら、俺達が無辜の女を一方的にいたぶっているみたいに見えるよな。だけどなあ、お前さんはフェレに一服盛って、殺そうとしたんだぜ? それだけじゃない。アリアナさんを脅して悪党の指示を伝える役目もやってるよな。そしておそらく……伯爵ご本人にも何か毒を喰らわせているだろ。そこまでやって、その眼はないんじゃねえか? 当然覚悟はできてるんだろ?」


「サイード師は悪党なんかではないわ! 私は救世主のためになら死ねるわ! 辱めるくらいなら殺しなさい!」


「救世主? サイード師? アリアナさん、なんのことですか」


「私も、今初めて聞いた名前です・・」


 アリアナが意外そうな面持ちで答える。


「ウソをつけ! タブリーズ伯爵家が、支配の邪魔になる救世主サイード師を排除し、私の村を魔物の生贄に捧げんと企んだのではないか! この罪、必ず償わせるわ!」


「なんかお前の話は変だな。伯爵に毒を盛ることまでは、伯爵家への制裁になってるんだろうが、その後のアリアナさんへの指示は、何も関係のない冒険者のパーティを罠に落とすためのものだろう? その救世主様はなんでそんなことをさせるんだ? 最後はどうも俺達を消そうということらしいが、俺達はそのサイードとかいう奴のことなんかこれっぽっちも知らんぜ。何のためにやらせてるのかな、ネーダちゃんよ?」


「……」 


ネーダは沈黙している。


―――どうも任務の目的は、本当に教えられていない可能性が高いな。それを疑問に思わないほど、精神面で支配されているというわけか。これは厄介な相手と当たってしまったかもな。


「……ネーダ」 


 これまで黙って尋問を見守っていたフェレが口を開いた。


「……私はネーダを友達だと思っていた。でもそれは私が思い込んでいただけで、違ったみたいだ。ネーダには私やアリアナさんより大事な、とても尊敬する人がいるんだね……ねえネーダ、その尊敬する人のことを話して欲しい。その人はなぜだか私たちの敵……みたいだけど、私達にはその理由がわからない。私達が謝らなければいけない理由があるのかも知れない、でもそれを知らないまま殺されるわけにもいかないの。そしてその理由を知ったら、争わずに済む道が、もしかして……あるかも知れない。ねえネーダお願い、その人のことを教えて」


 ファリドがフェレと知り合って二ケ月、これほど長い言葉を一気にしゃべったのは、見たことがない。


 殺されかけたはずのフェレだがラピスラズリの眼に怒りの色はまったくなく、むしろ哀しみがあふれている。ネーダはフェレと視線を合わせず下を向きしばらく沈黙していたが、やがてつぶやいた。


「なぜフェレを殺さないといけないのか、私にもわからない。でも師のお言葉には逆らえないの。師は私の村と家族を救ってくれた。その師がおっしゃることが間違っているはずは……」


―――フェレが手を差し伸べたタイミングが、良かったみたいだな。もともと黙っているのが苦手なネーダだ。ようやくしゃべりたい気分になってきたようだし、ここは締め上げずに気長に待つか……


ファリドの見立ては、正しかった。

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