第41話 フェレの危機

 その日とさらに翌日の行軍は障害も襲撃もなく、三都まであと二日ほどの行程といったところにある小さな村で宿を取る。できればファリドとしてはもう少し進んで大きな宿場で逗留したいところであったが、アリアナが体調不良を訴えたこともあり、やむを得ずわずか八世帯の小村に投宿したのである。


 街道沿いで旅人が多いため、八軒のうち二軒が宿屋兼食堂を営んでおり、ファリド達は二軒のうち、より新しくこぎれいな木造建物のほうに決めた。


 早めの夕食をとり、ファリドは夜の見張りに備えさっさと寝る。フェレは夜半までの見張りが役目であるのだが、アリアナやネーダが起きている間は、その相手も務める。相手といってもフェレは口下手だ、一方的にからかわれたり冷やかされたりしていることが多いのだが、本人はそれがイヤではないらしい。今晩に関してはアリアナも早々と床についているため、ネーダ一人がああだこうだとフェレに絡んでいる声を聞きつつ、ファリドは眠りに落ちて行った。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 まどろみが、深い睡眠に変わってしばらく後、鋭い左耳の痛みがファリドを一気に覚醒させた。痛む左耳には、フェレの実家で家宝だと言いれつつ無理やり押し付けられた、小粒のラピスラズリをあしらった魔銀のピアスがつけられている。


 これを無理やりファリドに押し付けた、フェレの父ダリュシュが言っていた。


「これは、四代前の当主とその妻がつけていた物での、当時王都で最高と言われた魔術師の手になるものである。つがいとなる二人が着けておると、一方の生命が危機に至った時、もう一方の者に知らせる力を持っておるというのである。君達が二人で冒険の旅をするならば、必ず危険は伴うはずであるし、いつも一緒にいるわけにはいかないはずである。無駄になっても構わんのである、着けて行ってはくれないか?」


「つがい、ですか……。もしかして、浮気なんかしたらピリッとくる、ってな機能もあったりしますかね?」


「それが、実はあるのである。私も最初、ハスティとお揃いで着けていたのであるが、ちょっと出来心を起こしてしまったらたちまちバレてしまったのである……」


「あなた! 何を余計なことを言ってるんです!」


「あ、はい。面目ないのである」


―――これは、悪所へ行ったらフェレにばれるということか? それはキツいな……


 といったやりとりが数瞬の間にファリドの脳内を駆け巡る。ようは、今フェレが危機にあるということだ。


 寝室のドアを蹴り開け、灯りをオイルランプ一つに落とした食堂に……フェレ達は通常ならそこにいるはずだ……飛び込む。


 ファリドが見たのはテーブルにもたれて意識朦朧とし、まさに昏睡に落ちんとするフェレと、その前で短剣を振りかざすネーダの姿である。ファリドは咄嗟に、袖裏に常備している中指ほどのサイズの小刀を投擲する。細かい狙いをつけている余裕はない、ネーダの短剣が振り下ろされるのを、わずかでも遅らせられればいいのだ。

 ネーダは自分の胸に向かって飛ぶ小刀を体勢を逃がしつつ左手で叩き落としたが、その時にはすでにファリドが目の前まで突進してきていた。ファリドはそのまま低い体勢でネーダに体当たりし、体重の差を十分に利用して後方の柱に彼女の身体を激突させた。ネーダが短剣を手放したのを見たファリドが腹部に二発こぶしを叩き込み、失神に追い込んで勝負はついた。


 騒ぎを聞きつけ宿の主人夫婦とアリアナが……今晩の宿泊客はファリド一行だけであったから……が各々の部屋から飛び出してくる。


「ファリドさん、これは……?」


「お宅の口の軽い侍女が、何か一服フェレに盛って、意識を失ったところをブスリという筋書だったようです」


「そんな……」


 こんなやりとりよりも、まず最大優先順位はフェレだ。ファリドは椅子に座ったまま半眼になっているフェレを必死で揺り起こす。


「おいフェレ! もう大丈夫だ。おい起きろ!」


「……あ……リド……ご……みぇん……」


 手足の自由はもう利かないようだ。失神しそうな状況に長い間耐えていたのだろう、もう呂律も良く回っていない。おそらく麻酔の類ですぐ生命に関わるものではないと判断し、ファリドが小さくうなづくと、フェレは安心したかのように、たちまち意識を手放した。


「ご亭主、薬師はこの村には?」


「おらん。わしが馬で隣村まで飛ばして連れてくるわい」


「申し訳ありませんがお願いします。おかみさん、丈夫なロープか何かありませんか?」


「何に使うんだい?」


「この危険な侍女を動けなくするためですよ」


「はいな。じゃあ、父ちゃんが熊猟に持っていくやつを……」


 宿の女将が持ってきた銅の針金で……この時代鉄の針金を造る技術はない……ファリドはネーダを不必要なくらい強く縛り上げた。ファリドは女をいじめて楽しむ趣味はないが、この時の彼からは若干理性の掛け金が外れかけていた。


―――締め付けすぎて手の一本や二本腐ったって、知ったことか。フェレに何かあったらそんなもんでは済ませんぞ、痛覚をもって生まれてきたことをじっくりと後悔させてやる。


「さてアリアナさん、知っていることをそろそろ教えてもらいましょうか」


「知っている、と言われても……」


「もうトボけるのは無しにしましょう。明らかに貴女、いや貴女方と言った方がいいかな……は、俺とフェレを危地に引きずり込むことを目的としている。いや、させられている……?」


「何のことだか、私にはさっぱりわかりませんわ」


 その白い首筋は震えているが、まだ吐く気はないようだ。


「俺達を狙っている奴らとあんた方がつながっていることは、あまりにあからさまなので察していましたよ。最初は貴女だけかそうで、あの侍女は関係ないのかと思っていた。しかしさっきの事件はその侍女が実行犯だ。そうすると二人ともグルなんですか? もう官憲が入りますからどっちみち事は明るみに出ますよ?」


「……」


「ネーダがフェレを襲うのに使っていたこの短剣、彼女のものですか?」


「いえ……この短剣は私の物です」


「なるほど、ネーダは貴女に罪をおっかぶせようとしていたみたいですね?」


「そんな……」


「もう貴女の意図については、俺達に疑われている。その疑い通りに峠で大規模な襲撃があって、しかも失敗した。もう俺達に対する釣り餌としては、貴女は用済みでしょう。だから今度は切り捨てることにしたんでしょうね」


「……そうかも知れません」


「話してくれる気になりましたか?」


 アリアナはしばらく沈思黙考していたが、やがて口を開いた。


「もう、私はどのみち破滅です。これ以上あなた方に迷惑をかけるわけにも参りません、お話ししましょう」

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