第39話 初めての魔術戦闘
「……やっぱりアリアナさんが悪い人……なの?」
先ほどのやりとりを聞いたフェレの反応である。
「う~ん、どちらかというと、悪い奴がアリアナの弱みを握っていて、言う通りに動かしている、って感じだと思うな。俺達をハメても、伯爵家には何の利益もないはずだからなあ……」
「……ネーダが巻き込まれるのは、いや」
「そこは、確証はないが大丈夫だと思う。アリアナだって死にたくはないはずなのに、あれだけ一生懸命俺達を峠に引っ張りこもうとしているってことは、少なくとも盗賊と裏で話はできていて、アリアナの命に危険はないってことじゃないのかな。たぶんネーダも命までは取られないはずだ」
―――慰み者になる可能性は、ないとはいえないがな。
ファリドは胸の中でつぶやくが、フェレには刺激が強すぎるので口にしない。
「……そうかも知れない」
「そういうわけだから、アリアナとネーダは放っておいて、出てくる敵……おそらく野盗だけ……をつぶすだけでいい。バカバカしい茶番だが、これはこれで、フェレの力を試す機会になるんじゃないかと思う。今回は魔物が出て来ないみたいだから、想定ケースを忘れないでいけば、たぶんフェレの力で倒せる」
「……相手は何人くらい?」
「最低でも二十、たぶん三十人くらいは出てくるだろうな。俺にはそんな多数の敵相手に立ち回る技術はない。フェレ頼みになるさ」
「……私に、できる?」
「フェレならできる。フェレなら……村で訓練したことをそのままやれば……必ずやれる」
「……わかった、私は……できる。任せて」
ラピスラズリの瞳がひときわ大きく輝いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
翌朝はいつもより早めに宿場を出て、峠に向かう。
フェレは平静だ。いくら訓練を繰り返したとはいえ実戦を目前にすれば誰でも緊張するはず……なのだが、昨日ファリドと話して以降は完全に割り切った風情で、落ち着き払っている。まるで熟練の戦士を見るようで、ほんの二ケ月ほど前の自信なげな姿とは、別人のようだ。
―――なんであんなに自信満々になれるのか、不思議なんだよなあ……
ファリドはまだ、フェレの心理に気付いていない。フェレにとってファリドはすでに絶対的に信じるべき存在であり、ファリドが白と言ったらそれは白、黒と言ったら黒なのだ。男女の愛だの恋だのというものとは方向の違う、絶対的な信頼……あるいは依存である。昨夜の「フェレならできる」というファリドの言葉が、自分の力に対する確信に変わっている。例えるなら、飼い主に褒められたワンコの忠誠に、一番近いような印象だが。
―――いずれにしろアタッカーが落ち着いていることは良いことだ。後は俺が適切な指示を送れるかどうか、だな。相手が魔物でないのなら、攻撃の仕方なんてのはパターンが決まっている、俺も腹を据えていくとしよう。
索敵には役に立たないフェレに手綱を任せ、ファリドは路傍の木立や岩に眼をこらす。どれだけ前もって敵の存在を知りえるかが、生存率に直結するシチュエーションなのだ。
―――力が拮抗している者を襲撃する場合は、賢い奴なら峠を越えて気が緩んだあたりで狙う。しかし今回の戦力差は二人対数十人、敵が絶対的に有利な状況、そんな慎重な構え方はするまい。おそらく早い段階で来るはずだが……。
道の両側はやがて薄暗い針葉樹の森に変わる。峠まではまだ遠いが、いつ来てもおかしくない。警戒を強めるファリドの眼に、路上に並べられたバリケードが映る。
―――わかりやすい襲撃で助かった。向こうは数の優位を確信しているんだろうが、それを後悔させてやろう。
「フェレ、襲撃だ! 『赤い蛇』の準備!」
「……はいっ」
なぜか馭者席に置いてあった二つの布袋を、フェレが素早く開ける。前方にはすでに賊が多数……おそらく二十人以上。みな思い思いの武器を持っているが、みな刀剣、槍、斧といった近接戦闘武器だ。弓手はいない。
「よし、『赤い蛇』を使え!」
「……んっ……」
フェレが短く気合を入れると、二つの布袋から赤い霧のようなものが立ち昇った。そしてそれは二条の半透明な赤色の蛇のような形状となり、円弧軌道を描きながら前方の賊に向かって飛ぶ。賊は最初驚いたものの、蛇が半透明で物理的な害がなさそうであることから、ある者はぶつかるに任せ、ある者は持った得物でひと払いするだけで気に留めなかった。
確かに影響はなかった……即時には。
ものの十秒ほど後……賊たちはほぼ全員が視界を奪われていた。眼がしくしくと痛み涙があふれ、とても開けていられなくなったからである。ある者は地面にへたり込み、ある者は見えない不安に駆られてむやみに武器を振り回す。
「よし、行けフェレ!」
フェレの全身が蒼い魔力のオーラに包まれる。最大戦速モードで飛び出し、賊と賊の間を複雑な動きで駆け抜け、それぞれの首筋、脇、あるいは手首といった急所に、的確な斬撃を送り込んでいく。上がる血飛沫を浴びないように気を配る余裕すらある。二分と掛からず、フェレは二十一人を切り伏せた……ファリドが五人片づける間に。
「ああ……フェレお疲れ様。どうだ、新戦法その一は?」
まだ動けそうな敵に止めを刺しつつ、ファリドがのんきに聞く。
「……確かに、ラクでは……あったんだけど……」
フェレの顔色はいつも戦った後に見せる健康的な桜色ではなく、白い。
「そう、楽をするための戦術さ。フェレの身体強化だけでは、二十人以上片づけて無傷とはいかなかっただろうな。それもこれもフェレの魔術を上手く使ったからさ。ちょっとコストは掛かったけどな」
「……問題ない……粉はあらかた回収してある」
そういうフェレの傍らにはこんもりと赤い粉の山が出来ている。その赤い粉は……細かく挽いた唐辛子パウダー。一粒が小さく軽ければ、何千何万粒でも意のままに操ることのできるフェレの念動力特性を活かす手段として、まずファリドが考えたのがこのろくでもない戦法であった。単純極まりない、実にくだらないトラップだが、初めて見た者はまず引っかかる。
目をつぶって唐辛子の蛇をやり過ごされてしまうと効果がないのだが、戦い慣れた者ほど襲い来る未知の存在を最後まで見極めようとするのをファリドは知っており、こんな原始的な手を使ってみたのである。
「それにしても大した戦果だ。実戦で使うのは初めてなのに、よくやったな」
「……」
「ん? どうした?」
フェレの白い手が震えている。顔色は、紙のようにますます白い。
「……ラクだった、ラクだったんだけど……私は、人を殺してしまった。こんなに簡単に……」
―――いまさらだけど……そうか。フェレは傭兵の経験もないし、戦う相手は獣か魔物で、人を殺めるのが初めてだったんだな。夢中で戦っているうちは気付かないけど、こういうのは後から怖くなってくるんだよな……。
「そうだな。人は簡単に死ぬ。だから簡単に相手を殺しちゃだめだよな。だけど、殺意を持った敵がいる時は、ためらっちゃいけない。手を緩めたら、自分や、自分の大切な人が害されてしまうんだぜ」
「……」
フェレは、まだじっと自分の手を見つめて、くっと唇を引き結んでいる。
「フェレ?」
「……うん、大丈夫……殺せる。私は……殺せる。リドのため、そしてアレフのため」
フェレにとって、もうファリドの指示は絶対である。そして、いつの間にか守るべき優先順位一位に、アレフを抜いて自分が上がってきていることに苦笑するファリドであった。
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