第3話 狩りに行こう

 二人はロバと荷車をギルドで借り出し、最も近い狩場であるシラーズの森へ徒歩で向かった。


 森、といっても樹高数メートル程度の広葉樹がまばらに生える、明るく動きやすいフィールドだ。多く生息している獣は化け猪と呼ばれるやつで、成獣の体長が一メートル半を超える大きな猪だ。その肉は食用に、毛皮は加工用に需要があり、しかも雄の牙は観賞用や薬用としてそこそこ高く売れるので、狩りでカネを稼ぐのには最適の獲物である。


 二人でパーティを組めば、討伐や探索といったそれなりに高難度の依頼が受けられるが、まずは互いの戦い方と実力を確認することが必要だ。そこで、あえて依頼を受けるのではなくフリーに狩って、獲物を売った方がいいというファリドの提案で、こんな形の初仕事となったわけである。


「いるな……いきなり当たりがいるぞ、大きい奴だな」


 風下から疎林に入って、二十分ほど歩いたところでファリドが獲物の気配に気づく。


「……ぜんぜんわからない」


「ほら、あの一本だけ高いポプラの右、下草が揺れてんだろ」


「……あんな微妙なの、わからない」


「慣れだよ、慣れ。じゃ、まず俺の戦い方見てて」


 ファリドは短弓を構える。ゆっくり息を吸いながら引き絞り、はらりと放つ。矢は放物線を描いて飛び、ほぼ狙い通りの位置に着弾した。命中させる必要は無い。化け猪は人間を見つけたら、逃げるなんてことはしない。存在を示せば必ず猛然と向かってくるものだ。


 注文通り化け猪が下草をなぎ倒しながらこちらに向かって突進してくる。


 ファリドは少し前に出て、今度は剣を構える。刃渡り七十~八十センチくらい、片刃で少し反りのある厚刃の、シャムシールと呼ばれる曲刀……突き刺すよりは薙ぎ斬るのが得意な武器だ。この国で正規の訓練を受けた剣士や騎士は両刃の直刀を使う者が多いが、ファリドはシャムシールの刀身が描く微妙な曲線が、より美しいと思っている。


 普通の成獣より大きい化け猪のようだ。あの高速で突っ込んでくる巨体にぶつかられたら怪我では済まない。ファリドは化け猪との距離が十五メートルになるまで耐えて待ち、その距離になった瞬間獲物に向かって走り出す。


 そしてものすごい相対速度でぶつかる直前、ほんの半歩だけ左に進行方向をずらす。直進突撃に目一杯エネルギーを注ぎ込んでいた化け猪は、ファリドの微妙な転進に追従できず、二者はぶつからずにすれ違う。そのすれ違いざま、シャムシールの先端が猪の額のあたりを走った。血が噴き出すが、命に関わるダメージは与えられていない。


 その後数分間、ファリドは樹木を利用しつつ逃げ回るのみ。フェレが不審に思い始めた頃、化け猪の行動速度が落ち、突進する方向が定まらなくなってきた。それを見てするすると側面から近付いたファリドが、渾身の一撃を獣の首に与えてカタをつけた。


「……何が起こったのかよくわからない」


「簡単なことさ。眼の上の、血がよく出るところにとにかく攻撃を一発当てて、あとは暴れ回らせれば眼に血が入る。そして動きが悪くなる、それを待ってただけだからね」


「……『軍師』ってのはやっぱり賢い戦い方するんだ……」


「って言われるほど頭のいいやり方じゃないが、できるだけ楽に勝ちたいし、出来るだけ獲物の傷を少なくしないとカネにならないからな。とりあえずコイツを早いとこ解体してしまおう」


 ファリドは短刀を取り出し、獲物の毛皮を剥ぎ始める。傷が少ないので、高く買い取ってもらえそうだ。手ばやく肉も捌く。この大きさだと食いでがある。ギルドに売却するだけじゃなく、美味い部分は取っておき、食堂で特別料理を作ってもらおう、これは楽しみだ……と余計なことを考えていたのが悪かったか、危険な気配に気づくのが遅れた。


「む、しまった。すまんフェレ、囲まれてる」


「……何に?」


―――本当に気配に鈍感なんだな。つくづく残念な魔女だ。


「たぶん森狼だな。血の匂いで寄ってきたらしい。十匹はいそうだ」


「……狼なら……なんとかなると思う」


―――おい、十匹以上だぞ?


「……任せて……んっ……!」


 フェレが短く気合いを入れると、全身から薄蒼いオーラが立ち昇る。巨大な鋼の棍棒を両手持ちに構えて待つと、程なくして森狼の群れが現れる、ざっと十一匹。


「……脇によけてて!」


―――おいおい、一人でこれをやるつもりなのか?  うわ、やべぇ!


 この「やべぇ」は狼の攻撃によるものではない。ファリドの脇腹二十センチくらいのところを例の鬼棍棒がうなりを上げて通り過ぎたからである。その直後、一匹が目の前の木立の幹に叩き付けられてぐしゃっと潰れる光景が見えた。何かとスプラッタである。


 スプラッタな点を除けばある意味その様子は、舞を鑑賞するが如き美しさを感じさせた。フェレが棍棒を振るのに合わせ、黒髪が優美に広がる。振り回す螺旋状の動きに、自在な下半身の曲線運動が組み合わさって、棍棒の先端は複雑な死の軌道を描き続けて、真紅の血を撒き散らしている。普段はうっとうしくかぶさっている前髪がなびくことで、妖しく輝く濃紺の瞳がのぞき、その表情はクールというよりもはや酷薄と言えるか。


 近づいたら同士討ちは確実である。命が惜しいファリドは、もはや手を出そうとは毛ほども思わず安全な距離を取った上で、この何か妙に美しい生き物が引き起こす、まさに理不尽な蒼い死の暴風に見惚れた。


 かくしてものの三分も必要なく、すべての森狼は地に斃れた。

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