第10話 甘味処ケンちゃん

何となくいつもと違い、モヤモヤする会社の帰り道。

俺は、山手線高架沿いを急いで帰っていた。

謎の焦燥感。どうにももどかしい。

理由はない。特別な事は何もない、筈だ。

振り返ってみても、昨日も一昨日も、最近は同じような生活。

直近に特別な予定があるでもなし。

だがどうにも何かを忘れている気がするのだ。


そんな煮え切らない帰路で、ふと、街灯に照らされた屋台と、それにそぐわないオシャレな看板が目に留まった。

『筋肉パフェケンちゃん』と堂々書かれていた。

俺の足は止まった。


こんな夜間に、パフェ。


成人男性がパフェなんて恰好がつかないとか思うようなわけでは無いし、甘いのが嫌いというわけでもないが、流石に晩御飯がパフェになるというのはいかがなものだろうか?

だが、何故か妙に惹きつけられた。

ここでパフェを食べなければならないという一種の強迫観念じみた暗示が頭から離れなかった。


……別に、後で何かコンビニで買えばいいしな。


俺は、出店のカウンター席に座った。


「はいいらっしゃい! おすすめは筋肉スペシャルパフェです。いかがですか?」


店長だろうか、屈託のない笑みを浮かべたにいちゃんが陽気に声をかけてきた。


「ああ、それで」

「はいっ、2000円になります!」


やはりパフェ。なかなかお値段がはる。

だが、俺の中の無意識が食べろ食べろとわめき叫ぶ。

それに段々気になってきた。果たしてどんなものだろうか、筋肉スペシャルパフェ。


「はい2000円」

「まいどっ」


お札をにいちゃんに渡すときに、一瞬、俺の脳内で包帯に巻かれた手がフラッシュバックしてハッとなった。


「どうかしましたか!? そんなに目を見開かれて」

「い、いや……何でもない、です」


だが、今のが一体何だったのか、まったく思い出すことは出来なかった。

もどかしい。何か、大切な事のような気もする……。


「それじゃ、全身全霊で作ります。少々お待ちを」


にいちゃんは俺の向かいに水の入ったグラスを置き、それからおもむろに脱ぎだした。元から薄着だったのに、筋肉質な上裸を披露したのだ。

それを見て、俺は驚くことも無くただ安堵した。まるで、ここまですべてが予定調和かと思わせるほどに。

そして、にいちゃんは、俺の頭に突如浮かんだ言葉をそのまま唱えた。


「お客さんを最高の筋肉ショーへとご案内いたします!」


すっと静かにテーブルに大きな器を置くにいちゃん。

そこで俺の想像は覆された。

気付けば、にいちゃんはピンクと白が基調のエプロンを身にまとっていた。フリルがまんべんなくあしらわれており、胸元に大きなハートマークがかたどられていた。

まるで稲妻に打たれたかのような衝撃だった。そうか、これが、筋肉とパフェを一体とする愛への答えなのか!?


……はっ、いかんいかん。にいちゃんは真剣そのものだ。俺も動じてはいられない。


両手でほほをバシバシとはたき、にいちゃんの動きに集中した。


「下段はクリームを詰め込みます」


まず生クリームを丁寧に絞り、その上段にチョコレートクリームをかけてクリームの2層をつくりだした。上腕筋が程よく力を籠め、規則正しく動いていた。


「そしてスイーツを入れます」


半分に切られたイチゴをバランス良く配置していく。

剛腕が、野太い指が、慎重にイチゴを運び込む。その所作は丁寧でリラックスしているように見え、迷いが無かった。

それから、イチゴを包むように生クリームを加えていく。


「これで下層はオーケイ。次は、こちらです」


にいちゃんが取り出したのはコーンフレークだった。

それをどがっと器に加えていく。

それから粉末状の何かをパラパラとまぶし、再び生クリームを乗せた。

手際よく中層が完成する。


「そして、上層です」


にいちゃんはいつの間にか手にしていた大きなディッシャーを、調理中のパフェに向けて逆さにした。半球状のバニラアイスが盛られる。


「さあ、最後の飾りつけと参ります。おいしくなあれっ」


バニラアイスの上から、残ったイチゴを飾ったり、小さく切られたパイナップルやキウイフルーツを乗せ、チョコクリームで角を付ける。

先ほどイチゴを運び込む時の丁寧さも目を見張るものがあったが、今はその比ではなかった。決してバランスを崩さないよう、それぞれのパーツの主張がぶつからないように慎重に配置していく。

にいちゃんの顔は真剣そのもの。連動する指先が優しくスイーツを完成へと導いていく。フリルが舞う。にいちゃんが笑い、そして筋肉が笑っていた。もしくはなだめるように、祈るように。愛を捧げるように。

にいちゃんから発せられる熱意がパフェに宿っていくようだった。


「これで、完成です」


そして最後にちょこんとさくらんぼを乗せて、にいちゃんは片腕を高々を挙げたかと思うと、片足を軸にくるりと反転した。

ゆっくり腕を外回しに動かし、肘を曲げて、両腕が均衡を保っていく。

そして、


「ずどーん!」


筋肉が、花開いた。


今までの全身全霊は、まさにその言葉通りだった。目に見えた上腕筋やエプロンの隙間からチラリとのぞく胸筋だけではない。見えざる背筋もまた、パフェへと愛や美をそそいでいたのだ。

バックラットスプレッド。背中があまりに大きく映る。その冴えは、いかなる刃にも動じることのない揺ぎ無き剛筋。

最長筋が目覚ましく広がり、敵無しの広背筋が流麗に広がる。背中に羽があるぞ俺にはわかる!

そしてその上に僧帽筋が並び立つ。肩にちっちゃいジープ乗せてんのかい!

全体が燦々と笑顔で輝いているのがわかる。まるで天へと伸びる向日葵のように。

更に、それだけではないことを俺は知っている。俺には、視えている。

ちょこんと片足のかかとをあげて作られたハムストリング、大殿筋のパワフルラインが、なびくエプロンの紐を纏わせて共に視えていた。

天地開闢。まさに、人のありようすらも変えるのではと思わせるそのいでたちは、あまりに洗練されて顕現していた。もはや、語りたくとも語り尽くせない。

だから、この愛の権化を最大限に称するひと言を、俺は力いっぱい叫ぶのだった。


「ナイス、バルクウウウウウウウウウウウウウウウウッ!!!」



それからすぐに、俺の手前までパフェがゆっくりと移動された。


「おまちどうです」


興奮した後だからなのか、やや眠気がきた目をこすりつつも、俺はスプーンでバニラアイスをつつき――


そして、口へと運んだ。


バニラアイスが口に溶け込んでいく中、俺の頭には様々な光景がよぎった。

そのどれもが、屋台でにいちゃんが料理を振るう姿だった。そして、自慢の筋肉を惜しげもなく全力で披露していた。


誰に? いや、答えは明白だった。俺だ。俺にだ。


そうだ、俺は、このにいちゃんに何度も会っている! この筋肉店で!


「なあ……俺はいったい、何回ここに来たことがあるんだ?」


俺のその言葉に、にいちゃんが笑顔を浮かべた。

そして、視界が暗転したのだった。

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