第6話 ラーメン屋ケンちゃん

いつも通りの遅い、会社からの帰り道。

今日も激務を終えた俺は、その解放感からか、足取り軽く山手線高架沿いの帰路を進んでいた。

当然、俺は雇われの社会人だ。明日も仕事。明後日も仕事。その次もその更に次も。

だが、仕事が終わった今は、俺の自由な時間。ゆっくり好きなことが出来る。


……まぁ、現在は無趣味と言って差し支えないけどな。


突然、ぎゅっぎゅっぎゅるぎゅる~と音が鳴った。


……腹が減った。


残念だが、この辺にはレストランもファストフード店も居酒屋も無い。何とかこらえて家の近くのコンビニだな。

空腹への思考を頭の隅に追いやろうとしていたところで、進行方向に、街灯に照らされた屋台を発見した。


「何か食い物屋だといいな」


俺はその屋台に近づいた。


「いらっしゃい!」


陽気に店員が挨拶してくる。その頭上には、『筋肉ラーメンケンちゃん』と書いた看板があった。まさに、そうっぽい店構えだ。


「お待ちしてましたーっ。ボリュームたっぷりの筋肉ラーメン。1000円だが、いいかい?」

「1000円……ま、いっか。一杯もらうよ」


小さな出店なのに価格が張るなと思いはしたが、そこはボリュームたっぷりという売り文句に期待するとして、俺は店員に1000円札を渡した。


「あいよっまいどっ!」


店員は1000円をすぐに仕舞い、それから慣れた調子で麺をザルに落とし込み鍋に入れて茹で始めた。

そのすぐ横では別の店員が他の鍋を掻きまわしていた。こちらはスープだろうか?


「さあ、お客さん……」


気が付くと麺を茹で始めたにいちゃんが上半身裸になっていた。磨き上げられた筋肉が全てあけっぴろげとなっていた。筋肉とは、つまりこのことなのか!?

俺の疑問を差し置いて、その剛筋なにいちゃんは続けた。


「最高の筋肉ショーを、ご堪能あれ」


にいちゃんの言葉にはある種の覚悟を秘めたような力強さがあった。

俺はその研ぎ澄まされた緊張感のようなものと併合した雄々しい筋肉を視認して息を呑んだのだった。


それからしばらくして、


「あにき、スープ用意しましたっす!」


店員がスープをどんぶりに注いでカウンターへと置いた。


「よし、それじゃあいくぞ」

にいちゃんが、沸騰したお湯にさらしていた湯切りザルを天高く持ち上げ、それから、

「――はいいいいいいいっ!」

勢い良く剛腕を振り下ろした。


途端、世界が変わった。


まるで宇宙のような、あまねく光に包まれた空間に俺たち3人はいた。

目の前には変わらずににいちゃんが立っている。今は全身が露わとなっていた。ブーメランパンツ一丁で、磨き上げられた筋肉たちが燦々と照り輝いていた。

何故かはわからないが、俺は気付けば穏やかな気持ちで笑っていた。

この未知なる状況を完全に喜んでいた。


「ようこそ、マッスルワールドへ」


そう言葉をかけるにいちゃんはどこか哀愁漂う遠い目をしていた。何かを懐かしんでいるかのような、それでいて、何かを予感しているかのような雰囲気を纏っていた。


「俺の大胸筋も喜んでいる。へへっ」

「流石っすあにき! 今日もキレてる!」

「おう、ありがとう弟よ。だが、俺もまだまだだな。もっとけんさんしなくてはな」


賛美を送る弟とけんそんするあにき。ふたりの友情が立体化して目に映るようだ。いや、ふたりの上腕二頭筋が合図を送るように、お互いを鼓舞するように伸縮していた。それを確認した俺は、何故だかとても上機嫌になるような、安堵した気分になった。


「それでは、最後の盛り付けだ。お客さん、ご堪能ください」


にいちゃんは俺へと向き直る。正確には、俺との間でまるで宙に浮いているようなどんぶりに。見えなくてもそこにテーブルがあるようで、段違いに様々な容器も浮かんでいた。


「筋肉盛り付け乱舞ッ」


容器から様々なトッピングが添えられていく。まず豪快にネギ。それからコーンを散らし、わかめやほうれん草が飾られていく。


「ふっ」


メンマや味玉、チャーシューを置く。

素早く打ち震える腕が滑らかな軌跡を描く。流麗な仕草に目が離せない。


「これで、決まりだ……」

そして最後に掲げた手から優しく海苔を添え、ゆっくりと両腕を持ち上げる。


「うおおおおおうおおおおおうおおおおおどーーーーーーーーん!」


渾身のダブルバイセップスが決まった。

満面の笑みの横に並び立つ立派な上腕二頭筋が吠えたける。

そこからわずかに覗く上腕三頭筋も加わり、強靭なラインが猛々しい。

連なる大胸筋。見事に割れた腹筋が朗らかに輝く。

大腿四頭筋が太く、あつく、全てを受け止めて仁王立つ。そそり立つ。

未知なる空間に出土した筋肉。価値を決めるのは俺か? あのにいちゃんか? いや、イチにして全。辿り着きし母なる筋肉。その風貌を前に問答は無意味だ。


その究極の美に、


「ナイス、バルク……ナイスバルクウウウウゥゥゥゥ」


感嘆の意をすべて込めて未知なる世界の中心で声を張り上げたのだった。



「はい、おまちどう。渾身の出来だ。堪能してくれ」


気が付けば先程の光景は何だったのか、俺は元の屋台へと戻りカウンターに座っていた。

目の前にはたった今出来たラーメンと、勝利を確信したかのような笑顔の店員たち。


……これは、期待できる。


このラーメンをいただくことで、俺の中で何かが劇的に変化するような、そんな予感すらあった。

手を合わせ、言葉を発しようとしたが、しかし、突然それは起きた。

目がかすんだのだ。


「い、いただき――」


必死に喋ろうとするも、どうしてか力が入らなかった。

そして俺は横に倒れ、視界は闇に覆われていった。

かろうじて声が聞こえたが、

「どうした!? おいっ! あにき! あにきっ! くそっ、あに――」

その言葉を最後に、俺の意識は断絶されたのだった。

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