第5話 かき氷ケンちゃん

いつも通りの遅い、会社からの帰り道。

今日も夜遅くまで働いてものすごく疲れた。

どこからかささやかな虫の音が聞こえる山手線高架沿いを、自宅へときびきび歩いていく。

とりあえず近所のコンビニで弁当を調達しよう。特に予定があるわけでもないから、帰って食べたらすぐ眠るのだけど。


…………ま、社畜なんて、こんなもんだよな。


そんなことを考えながら歩みを進めていると、街灯に照らされた出店があった。

今まで見かけた事は無かったと思うけど、なんだろう、気になるな。

俺はその屋台に足を向けた。特に理由はないが、強いて言えば見慣れなくて珍しい気がしたというだけだろう。

近づくと、『筋肉かき氷ケンちゃん』と書いたのぼりがあった。屋台の前には100センチくらいの高さのテーブルがあり、その上にはかき氷器が置いてある。


「いらっしゃーせー。かき氷! 100円で食べていきやすかー?」


屋台の中から声が掛けられる。陽気そうな店員だった。


「今日はあのにいちゃんじゃないのか? ……えっ?」


俺は、自分が突然何を言い出したのか把握していなかった。気づいたら口が動いて声を発していたのだった。


「えっとっすねー、あにきは今回は何か予定があるって言って、俺に全部任せてお休みっす。なんで、今は俺ひとりっす」

「……そうかい」

「それで、かき氷食べていきやすかー? うまいっすよどすか?」

「ああ……あぁ、もらうよ。はい100円」

「まいどありーっす」


俺からお金を受け取った店員はその100円玉をカウンターに置いたかと思うと、ぐるっと回って屋台から出てきた。上半身にTシャツを着て、下はパンツのみという半裸で。

なんだその恰好と思いはしたが、すんでで口にするのはとどまった。冷静さを即座に取り戻したというべきだろう。

店員の手にはこぶしよりふたまわりほど大きい氷があって、テーブル上のかき氷器にセットされた。

すると今度は突然シャバッとTシャツを脱ぎ捨て、俺に向かって言った。


「じゃあお客さん。あにきがいないのは残念っすけど、俺の一瞬にして最大のボディビルショーを目に焼き付けてください。刮目するっす」


そうして俺が何かを言う暇も無く、それは唐突に吹き荒れた。


いきなり突風が吹き抜けていったが、俺は店員から目を離すことはなかった。

なんてことは無い。ただ、かき氷器を全力で回している、いや、回していただけ。

それはあまりに刹那のはずだったが、その華麗さに、まるで今でも続いているかのように錯覚させられた。

ハンドルを回す太い上腕二頭筋が鮮やかな弧を描く。

その流れを支える大胸筋、続く腹筋の割れ目が計算された碁盤の目のように整っている。

それらを支える大腿四頭筋。いいね、グレイトフル!

それらが一体になって連動し、かき氷器がシャシャシャシャシャッと一瞬にして氷を削った。

そして今……店員はポーズを決めてにこやかにこちらへとアピールしていた。


「はい、ずどーん!」


腕を大きく回して決めた、サイドチェストッ!

見事としか言えない筋肉美。全体がキレてる!


この芸術を誰が表現できるだろうか? あらゆる画家が描き表せるだろうか? 否! あらゆる彫刻家が造形を緻密に再現できるだろうか? 否!

あらゆる歌人も開いた口から的確な言葉を見つけることが出来ないだろう。

このプロポーションは誰にも描けない! 誰にも造れない! 誰にも表現できないッ!

ただ俺は、この筋肉美に最も最適な賛辞を知っている。

そう、このひと言に尽きる。そう確信して、


「すぅぅぅぅううううううううっ、ナイスバルクだああああああああああああああ」


俺は力の限り全力で叫んでいたのだった。

何故か、ポーズまで真似て。


「いいっすね、決まってるっすよ。……はい、おまちどおっす。屋台のテーブルにシロップがあるんで、ご自由にどうぞっす」


俺はカップにこんもり積もったかき氷を受け取った。


「あざっしたー!」


店員の笑顔のサムズアップに、


「ああ、仕上がってたよ」


俺もサムズアップをして返したのだった。

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