第2話
「靴に入れてたカビだけど、見ない間にかなり多くなってる。今は靴から漏れそうなくらい。実際に靴の底に空いた穴からちょっと漏れてるけどね」
と石田から連絡があったのは、俺が光るカビを知ったあの日から二日経った夜だった。
すぐに石田のアパートへ向かうと、石田は満面の笑みで待っていた。
「ほら、見てよ。すごく増えてるでしょ」
石田が差し出した靴には、口からこぼれそうなほどの光るカビが入っていた。
「底の穴からこぼれちゃうから、ちょっと指で押さえてる」
「大丈夫なのか?カビを触ると手が荒れたりするぞ」
「ついたらすぐに洗ってるからね。特に荒れたりとかはない」
「じゃあ、人体に悪影響はそんなにないのかな。あと、そのカビってどこに置いてる?」
「カビといえば湿気の多いふろ場だろ。だからふろ場に置いてる」
「そっか。光が当たらないふろ場か。光るカビだから、光があたるところに置いてないとだめなのかと思ってたけど。今もまだ光ってるね。じゃあ、何をエネルギーにしてるんだ。それに集めてほっておくだけで増えるのってすごいな。普通カビってシャーレとかで培養するものだよな。カビじゃなくて不思議な粉みたい。考えれば考えるほど不思議なカビだな。あ、あともう一つ気になることがある。このカビずっと増え続けて減らないってことないよな?」
「それなら、俺も心配になって試したから大丈夫。光るカビにお風呂用の洗剤かけたら光らなくなって、そこからは増えなかった。光るカビも所詮はカビってことだね。それよりさ、俺、この光るカビのチラシ書いたんだ。これ見てよ」
石田が自慢げに一枚の紙を見せてきた。そこには、カビが青白く光りながら、はらはらと舞っている絵が描かれていた。正直言ってとてもうまかった。絵の中心には「電気代のかからない光をお届けします」と俺の考えた言葉がパソコンで入力されていた。そのフォントもちょうどよく、整ったデザインのチラシだった。
「うまいな。全部お前が描いたのか」
「まあね。俺、イラストとかに興味あって勉強してた時期あるから」
「これ見たらすごく成功する気がしてきた。頑張ろうぜ」
「もう今からでもチラシ配りに行こう」
「いや、こんな時間にどうやって配るんだ。明日の昼頃とかに、駅前で配るのがいいと思う」
「まあそっか。なんか楽しみだな。めっちゃ印刷しとく」
「お願い。明日は昼から配るから夜は寝ろよ。じゃあな」
そうやって俺と石田の不思議な報告会は終わった。
電気のいらない光、興味ありませんか?
これを使えば電気代節約できるかも⁉
青白く光ってすごくきれいなんです!
俺たちが見つけた新発見の光るカビです! 身体に害はないですよ!
「もうこれくらいでいいんじゃないか? 俺たち結構頑張ったと思うよ」
「まあね。昼からやってもう夕方だね。でも用意したチラシは結構余ってるけど」
「お前が頑張って用意しすぎたんだろ。印刷枚数五百枚って。たぶん二百枚くらいは配れたと思うし上出来だよ」
俺たちは昨夜決めた通り、昼頃から駅前でチラシを配った。胡散臭い大学生二人が配るチラシを受け取る人は稀だったが、根気よく配り続ければ、辺りが茜色に染まった夕方ごろには二百枚近く配ることができた。
「そっか。結構疲れたし。ここらへんでやめようか」
「重要なのはここから。宣伝してからだ。チラシに俺の電話番号を書いておいたから、依頼の電話を待つ。ここからが仕事の始まりだ」
「こんなので来るのかな。俺たち頑張ったけどさ」
「石田らしくないな。大丈夫だよ。チラシは二百枚配ったから、チラシをもらった人の中の0.5%でも依頼しようと思ってくれれば、一回は依頼が来る計算。こう考えたらいける気がしてきたでしょ」
「確かに。ここからが本番だね」
「その調子じゃないとな。じゃあその第一歩として、あのカビをもっと増やそうよ」
「あの靴の中に入ってるカビじゃ少ないね。もっと大きいスペースで培養しないと」
「じゃあとりあえず、お前のアパートに戻るか」
アパートにつき、俺たちはカビの培養場所を決めることにした。
「なあ山村、俺帰ってる途中に、ちょうどいい場所思いついた」
「どこ? 大量に生産するには結構なスペースいると思うよ」
「浴槽だよ。浴槽ならスペースは確保できるし、風通し悪いし、カビにとっては最高の場所だろ」
「いや、場所としてはいいかもしれないけど。お前、風呂入らないつもりか?」
「近くに銭湯というか、風呂屋みたいなのがあるから大丈夫」
「そうか、お前がいいならいいや。それなら浴槽は結構いい場所だな。もう靴の中のカビ移そうか」
「そうしよう。なんかいいね。どんどん物事が前に進んでく感じ。子供のころに戻った感覚」
「最近は俺も、熱中できることなんか無かったからね。自分で考えたことにまっすぐ進んでいく感覚みたいなものを忘れてたかもしれない。……なんて熱く語るのちょっと恥ずかしい」
「恥ずかしくなんかなるなよ、友人よ。子供のころはそんなこと微塵も気にしてなかっただろ。自分の言いたいことを言えばいいんだよ」
くさいセリフを恥ずかしげもなく言えてしまうのも石田だった。
「まあ石田に見習うこともあるかもな。じゃあ靴のカビを浴槽に移していこう」
「オッケー。靴から浴槽に移すのは俺がやるよ。せっかくだから電気消して」
「わかった」
電気を消すと、靴の中から漏れる青白い光が際立った。何度見てもきれいだ。石田が靴から浴槽にさらさらと、光るカビを移す。光るカビが下に落ちていく姿は、まるで光る滝のようだった。話すと、空気でカビが舞ってしまうということもあったが、それよりもこのカビの美しさが俺たちを無言にさせた。
「よし、移し終わった。この靴、そこのごみ袋に入れておいて」
「お前、もしかして家にごみ箱ないの? ごみ袋に直接入れるんだ。ごみ箱くらい買ったら?」
「お前は俺のお母さんか。そんなのはいいの。こんな楽しくて素晴らしいことやってるんだぞ。これで稼いだお金で漫画王に俺はなる!」
どこかで聞いた覚えのあるセリフで調子に乗っている石田を横目に、俺は空になった靴をごみ袋に入れようとした。その時、俺はあることに気づいた。
靴の底に空いていた穴がなくなっていたのだ。最初は見間違えだと思ったが、何度見てもなくなっている。石田はカビに夢中で、このことに気づいていないようだった。これは何かおかしいことが起こっていると直感した。
「……なあ、石田」
「なんだよ。今せっかく買う漫画候補の15個目を考えてたのに」
「やっぱりいいや。何でもない」
このことを言うことで順調に進んでいる計画に水を差すことになる気がした。それは一緒に頑張ってきてくれた石田にも悪いと思った。とりあえず、自分のうちに留めておこう。そう決めた。
「なんだよつれない顔して。ちょうど今がスタート地点なんだぜ」
「ああ、ごめん。ああーやる気出てきた。早く依頼電話こい!」
「なんか山村俺っぽくなってるな。まあいいことだ。男二人の遅れた青春がやってきたんだからな」
「いやだな。俺はお前みたいなやつじゃない。いつも冷静沈着なやつだ。とにかく依頼の電話を待つ。もう暗くなってるしこんな時間に電話は来ないだろう。今日のところはここらへんで解散にしよう」
「そうだね。電話来たらすぐに連絡しろよ。カビ増やしていつでも対応できるように準備しておくからな」
「わかったよ。じゃあまた」
「待ってるからなー」
石田のアパートを出ると夏の熱気が体にまとわりついた。最近どんどん熱くなっている。これならカビも増えやすいな、とぼんやり思った。
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