光るカビ

矢凪祐人

第1話

「最近寝てないだろ。疲れた顔してるよ。バイト頑張るのもいいけど、体調崩したら元も子もないからな」


 目の前の石田に言う。

 

 にしてもこの部屋は。見渡す限り漫画だ。

 俺は石田の部屋にいた。夏休み、暇な俺たちは夜、定期的にお互いの家で集まり、酒を交わしている。まあ、暇つぶしの一つだ。


 石田との交友関係は彼が俺に「君、山村っていうんだよね。ノート貸してくれない?」と話しかけたあの日から始まった。続けて「授業あんま出てないんだよね。バイトしなきゃ家賃が危ないんだよ」と言った石田を、純粋だった俺は、自ら働くことで生計を立てる、いわゆる『苦学生』だと思った。


 しかし仲良くなるにつれ、石田はただの『手に入るお金ほぼすべてを漫画に使ってしまう漫画オタク』であることが判明した。確かに思い返せば、くせっけに寝癖をつけた、いつものダイナミックヘアーからは真面目な雰囲気は全く感じられなかった。

 そんな石田だが、なぜだか俺の数少ない友達の一人だ。


「そうだ。それも話そうと思ってたんだ。実はバイトで寝られないんじゃないんだよ」

「どういうこと?もしかして何か、はまった漫画でもあるとか?」

「それがな、最近窓が光って眠れないんだ」


 そう言って石田は自分の背後にある窓を指さした。その様子がいたずら好きな少年のようだった。


「余計に意味が分からなくなった。窓が光るって。街灯がまぶしいとかそんなこと?」

「まあ、見てみなよ。もう外は暗いし、電気消せばわかるかな」


 石田は立ち上がり、頭上で光る電気を消した。


「じゃあ、カーテン開けるよ。3、2、1、0」


 石田がマジシャンのようにカウントダウンし、カーテンが開かれた。


 そこには確かに光る窓があった。いや、光る窓といっては語弊があるかもしれない。正確には窓の周りについたカビのようなものが青白く光っていた。窓を囲う青白い光は、見ていてなんだか幻想的だった。


「こういうことなんだよ」


 得意げに石田は言った。


「これ、たぶんカビだよね。でも、カビが青白く光るのなんて聞いたことないな」

「窓にカビ生やしてるのとかちょっと恥ずかしいけど、やっぱりこれすごいよな?」

「俺、いいこと思いついたかも。石田はこの青白く光るカビで寝られないんだろ? でもこれを取り除いちゃうだけじゃもったいない。このカビ、もしかしたらお金になるかもしれない。見たところ電気で光るわけじゃないみたいだ。だから、『電気代のかからない光をお届けします』とかを売り文句にして宣伝すれば、ある程度売れるかもしれない。売れたら、お前の好きな漫画がいっぱい買えるぞ」

「まじで? 漫画の資金が手に入るなら俺何でもするわ」

「でも、一つ問題がある。この、窓枠についているカビだけじゃ、売るには少なすぎる。培養できるかが重要なところ」

「じゃあ、ちょっと試してみる? この窓枠のカビをちょっとだけ取って培養してみるとか」


 「漫画」と聞いた石田は俄然やる気を出しているようだ。


「そうだね。じゃあ、使い終わった歯ブラシとかある? やっぱカビだし手で取るのは危ないかもしれないから。あとは、カビを入れる紙コップみたいのが必要だね」

「使い終わったのはないけど、この際使ってるのでいいや。もっと多い見返りがあるかもしれないからな。あと紙コップはないけどちょうどいいのがある」


 石田は立ち上がって電気をつけ、無造作に積み上げられた漫画の山を器用に跳んで、洗面所へ行った。そのあとに玄関で何かごそごそとし、戻ってきた。手に歯ブラシとくたびれた靴を持っていた。


「これ、歯ブラシ。あと、紙コップはないけど靴ならある。靴もちょうど何かを入れられる形だろ。この靴、底にちょっと穴が開いちゃって使ってなかったんだ。あんまり穴が大きくない右足のほうを持ってきたよ」

「なんだこの歯ブラシ。結構つぶれちゃってるじゃん。変えたほうがいいよ。あとこの靴も、よくこんなボロボロになるまで使ったな」


 石田は身の回りのことに関心を払うような奴じゃない。でもそんな奴だから、窓に光るカビが生える、なんていう面白いことが起こせたのかもしれない。


「まあいいんだよ。気にすんな」

「底に穴が開いてるって言ってもそんなに大きくないし、先端だからな。それに靴ってすごくカビ増えそうだし。これに入れてみるか」

 靴の穴は直径1センチほどだった。

 

 電気を消し、窓に近づくと光るカビがよりはっきりと見えた。俺が窓枠のカビを歯ブラシでそっとなでるように擦ると、カビは粉のようになって、青白く光りながらはらはらと舞った。それを石田が靴の中に受け止めた。


「吸わないように気をつけろよ。カビなんだからな」

「大丈夫だよ。それにしても綺麗だな」

「うん、なんか俺も楽しくなってきた」


 しばらく不思議なカビの採集をやると、窓枠からはきれいにカビが取れた。とったカビは靴の中に入った。窓枠を覆うように生えていたカビだったが、集めてみると意外と少ないものだ。靴の底の半分くらいを1センチ強ほど覆っただけだった。


「終わった」

「終わるとつまらないな。すごくきれいだったのに」

「ちょっと電気つけて。カビがないと、結構暗いね」


 カビのきれいに取れた窓はもう光ることはなく、靴から青白い光が漏れるだけだった。石田が電気をつけると、カビが取れた状態の窓枠が見えた。


「意外ときれいじゃん」

「そうだね。このカビが生える前よりも、きれいになってる気がする」

「本当に? もしかしたら、この光るカビがもともといたカビを殺したのかもしれない。結構生命力が強いタイプかもな」

「まあ、難しいことはいいや。重要なのはお金になるか、ならないかだからね」

「こんなことしてたらもう結構遅い時間だな。ここらへんでお暇させてもらうか。楽しかったよ。なんかカビに変化があったらまた連絡してな」

「もちろんだよ。楽しみだな。増えてるといいな」

「またね」

「じゃあな」


 そう言って石田のアパートを後にした。

 暗い空には丸い満月が青白く光っていた。なにか面白いことが起こる予感がした。



 






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