第246話 エルムスの理想郷

 「おおおお待ち下されエルムス王!エルンシュタインさまを置いてどこに…ぎゃっ!」


 浮上する【守護の部屋】を食い止めようとしたランケだったが、【赤の裁き】に足元を薙ぎ払われて立ちすくむ。


 幸い怪我はしていないようだ。

 それに安堵する間もなく、【守護の部屋】は次なる行動を開始する。


 「ふん。民に作らせた王宮だが、もはや未練もないわ」


 【鏡の間】の一区画を【赤の裁き】で薙ぎ払ったのだ。

 大した防備もない壁と天井は瞬時に崩れ、青空が視界に広がった。


 (青空を見るのは、いつぶりだろう…)


 【守護の部屋】がそこから王級を抜け出し、ムドーソ上空へと登っていく。

 地上では国民たちが驚きの表情を浮かべ、あたしを見つめていた。

 

 いや、見つめているのはー、


 「こやつら。何者かに操られておる…我が財産に手を出す不届き者がおるようだな」


 憤怒と愉悦の表情を浮かべながら地上を睥睨する、エルムス王に他ならない。

 



 あたしには、何の力もないのだから。


 「何を黙っておる?こちらに来い」


 エルムス王に命じられれば、拒否する権利もない。


 (ごめんねドロテー。あたしの命と引き換えに、あなたと民の命だけは助けてもらえるよう、お願いしてくるから…)


 寝台でいまだ意識を取り戻さない臣下に、ひそかに詫びる。

 ドロテーを【守護の部屋】から逃がすことは出来なかった。


 エルムスに殺されるようなことだけは、避けなければならない。


 「今、参ります」


 恐怖でふらふらになる体をどうにか立ち上がらせ、エルムス王の元に向かった。



 ==========



 「【赤の裁き】を裏切者の民に向けて放ってやろうと思ったが、使えぬ。貴様のしわざか?」


 玉座に座っていたエルムスから告げられたのは、意外な言葉だった。

 あたしも知らない情報である。


 「し、知りませぬ。水道に封印している鍵を使えば部屋を制御する権利を得られますが…」

 「それはどこだ?」

 「実は…奪われました」

 「はあ?」

 「この国の実権はすでに他の者に渡っており、その者が先日ー」

 「愚か者が!!!」


 体を吹き飛ばされ、【青の防壁】に叩きつけられる。

 口の中が切れ、生ぬるい血で満たされるのを感じた。

 霊体ゆえ直接触れることが不可能な代わりに、念動のスキルでも会得しているのだろうか。

 

 怖い。 

 嫌だ。

 

 「がは…」

 「我が眠っている間の政務すらまともに執れないとは、この無能!臆病者!恥知らずめが!」

 「すみません。お許しを…いやっ!」


 飛んできた分厚い本にしたたかに頭を打たれ、もんどりうつ。

 もう限界だった。


 「殺して、ください…」

 「はあ?」

 「我は、【守護の部屋】を扱いきれず、貴族の専横を防げず、国の実権も奪われた愚かな王です…今この場で罰を与え、後世への戒めとして下さい」


 ほう、とエルムスは初めて愉快そうな声を出した。


 「貴様、死にたいのか」

 「はい…殺して、下さい。あたしを、解放してー」

 「ダメだな」

 「…え?いやあああ!」


 いきなり体が宙を浮き、玉座の横へと移動させられる。

 直立不動で姿勢を固定され、目を閉じることもできない。

 

 「我はお前のような軟弱ものが嫌いだ。殺してくれ、楽にしてくれと叫ぶ人間には通常の何倍もの時間と苦痛を与えるようにしている」

 「お願いです…どうか…」

 「今から我がすることを良く見ておれ!貴様は我を出し抜いたチディメの代わりだ!チディメにすら隠していた我が秘策を持ってー」




 「腐敗と退廃に満ちたこの国に何をするか、とくと見ておれ!」


 エルムスは玉座から立ち上がり、両腕を広げた。


 「【赤の津波】よ!今こそ我の声に応え、姿を現せ!」



 ==========



 「何…地震!?」


 【ドミー軍】と帰還する途上、ムドーソが目前に迫った時、大きな振動を感じた。

 みるみる大きくなり、ムドーソ王国全土を揺るがすと大地震となる。


 この国でこれほどまでに大きな地震は観測されなかったはずだ。


 「ドミーさま!あれを!」


 ミズアが恐怖の叫び声を上げる。

 遠く離れた地面から何かが吹き出し、みるみるその量を増やしていくのが見えた。


 それは、赤い水。


 まるで津波のようにいつの大きな塊となり、ムドーソ市街へと迫っていた。

 飲み込まれれば、ムドーソにいる市民はひとたまりもないだろう。


 「全軍、急いであの赤い水の前に立ちふさがれ!」


 俺は大声で叫び、駆け足で走り出した。


 「可能な限り食い止め、市民の脱出を援護する!」

 「「「はっ!」」」

 「レーナはムドーソに残留したものと連絡を取れ!」

 「心得たで!」


 今の【ドミー軍】なら、あの赤い水も食い止められる。

 



 そう信じているが、嫌な予感はぬぐえなかった。



 ==========



 「何を、しているのですか?」


 絶望的な気持ちに苛まれながらも、辛うじて口を開く。

 エルムスが【赤の津波】と呼んだ赤い水はみるみる水かさを増し、ムドーソ王国全体を覆わんとする勢いだ。

 

 「これほどの規模の津波に飲み込まれれば、ムドーソ王国の民は死に絶えてしまいます!あなたも王になれないではありませんか?」

 「誰がここで王になるといった?」

 「は…?」

 「散々保護してやったのに、チディメの簒奪に反対しなかった裏切者の国民など必要ない」

 

 その狂気の表情に、思わず息をのんだ。


 「ムドーソ王国の民は全員抹殺し、新たな地に再び王国を築くのだ!今度こそ誰も我を裏切らない、理想郷を築くために!」

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