第206話 ライナは抗い、ミズアは戦いへと向かう

「おはようございます。目覚めましたか、先輩?」


 清々しい朝の空気。

 目を覚ますと、暖かな木造家屋の中だった。 

 パチパチと暖炉の中で木がはぜており、心地よい音を鳴らしている。


 そして、傍にはとある人物がいる。

 黒髪の華奢な女性。


 名前は確か…


 「もう、寝ぼけてるんですか?僕の名前はローゼマリー。あなたの恋人ですよ」

 「恋人…」

 「そう、恋人。あなたはこのローゼマリーをこよなく愛する人、ライナです」


 木のテーブルの上には、食事が用意されていた。 

 干し肉、パン、コーヒー。


 「ここは…?」

 「私たちは、この家で同棲してるんです。昔からの幼馴染で、ずうっと一緒に暮らしていました」

 「この家で、同棲…ずうっと、一緒…」


 どうしてだろう。

 ローゼマリーの言うことを、ずっと反芻してしまう。

 思考がもやもやしていてるのに、彼女の言葉だけが頭の中に入ってきた。


 「さ、食べましょう。食事が冷える前に」

 「うん…」

 「あ、そうだ」


 ローゼマリーが私の金髪に手を伸ばす。

 髪を留めていた髪飾りが外され、はらり、と髪が落ちる。

 ツインテールから、普通のまっすぐな髪型となった。


 「似合ってますよ、先輩。僕はね、そっちの方がずうっと好みだったんだ。だから、そっちのままでいてください」

 「髪型…好み…」


 言うことを聞きながらパンに手を伸ばすが、途中で止まった。


 「髪…」


 何か、大事なことを忘れている気がする。


 ー素敵だ…ごめん、こんな言葉しかいえなくて。


 私の大事な人。


 


 「あれ…?」

 瞳から涙がこぼれ落ちた。

 

 そうだ。

 ここから逃げないと。


 「忘れろ。その男のことを」


 パチンと指が鳴らされ、手に届きそうだった記憶は遠ざかった。


 「ちっ!あの男が関連している記憶はまだ早いか。忌々しい」


 ローゼマリーが再び私の髪を触り、ツインテールを元に戻した。

 押しつぶされそうな悲しみはなくなるけど、思考が再びぼうっとする。


 「焦ることはないここの時間の進行は外よりもずっと遅いんだ。まだ、外の世界では数秒しかたっていないはず…」


 暖かな家の中で、ローゼマリーはうわごとのように言葉をつぶやき、歩き回る。

 やがて立ち止まると、笑顔でこちらに向き直った。


 「さ、再開しましょうか。僕の名前はローゼマリー、あなたの恋人…」

 「ローゼマリー、恋人…」


 言われるがままに復唱するけど、私の心には小さな火が燻り続けるのだった。





 大切な、人…



 ****



 「言いおるわ!」

 ジーグルーンが忌々しげな声をあげる。


 「同じ男性として命だけは生かしてやろうと思ったが、さっさと葬ってやる!」

 「ほう。ジーグルーン、いや、アードルフ様は自信がないらしい」

 「なんだと…」


 この両名が同時に襲い掛かれば分が悪い。

 牽制しておこう。


 「この【魔法陣】に自信がないから俺を殺そうとするのだろう?どれだけの使い手かと思えば、ただの小物であったか」

 「…くくく、よほどむごたらしく死にたいらしいな」


 本名を告げられたジーグルーン、いや、アードルフが内心の激昂を抑えつつ、邪悪な笑みを浮かべた。


 「お前は洗脳したライナに殺させるとしよう。弱い火力で何度もいたぶってな。ローゼマリーも喜ぶだろう」

 「叶わない夢だな。ライナは俺の元に必ず帰ってくる。吠え面をかくのはそちらだぞ!」

 「なんとでもいえ!我が作り出した【魔法陣】は絶対だ!洗脳はそう時間がかからないゆえ、それまで待っていてやる!」


 こうして、自分のスキルに絶対の自信を持つアードルフを一時的に無力化することができた。

 【深淵の間】の可否がはっきりするまでは、奴は攻撃を控えるだろう。


 (もし、ライナが本当に俺を攻撃してきたら…)


 その時は、俺も潔く死のう。

 ライナのいない人生に価値なんてない。


 「さて、では我はこの槍士と勝負させてもらうとするか」


 そのままこう着状態が続くと思ったが、マトタがそれを破る。

 【和刀】を抜き、ミズアに突きつけた。


 「貴様、また勝手なことを!」

 「そちらはそちらで勝負をすればいい。ミズアとか言ったな、お前も再戦したいであろう」


 ミズアは【竜槍】を油断なく構え、首を横に振った。


 「…ドミーさまの傍から離れるつもりはありません」

 「今我と再戦しなければその男の命を容赦なく奪う」

 「その前に、ミズアがあなたを討ちます」

 「はたしてできるかな?」

 「いや、ミズア。その男の言葉に嘘はない。同じ男として分かる」


 ミズアの肩に手を置き、彼女に語りかけた。


 「俺はアードルフと勝負をする。お前は、マトタと勝負をするんだ」

 「ドミーさま…」

 「俺は、お前を信じてる。マトタに打ち勝ち、必ず戻ってくると。だからお前も俺を信じてくれ」

 「…分かりました。このミズア、必ずや主の期待に応えます」


 彼女に【強化】を与えるため、というより精神を鼓舞するため、俺はー、


 「んっ…」

 ミズアと口づけをした。

 唇同士を何度か触れ合わせた後、舌をからみ合わせる。

 唾液を交換しながら、背の低い彼女を抱きしめた。


 ミズアの体に震えはない。

 だから、大丈夫だ。


 「あ…」


 唇を離したとき、唾液が軽く糸を引いた。

 数秒の余韻。

 

 「ライナを取り戻して、また再開しよう」

 「はい。ドミーさまも気を付けて…」


 甘美に震える表情をしていたミズアが、緊張感あるれる戦士の表情に戻る。

 全身に力をみなぎらせ、【竜槍】を突きつけた。


 「行きましょう、マトタ」




 「戦士同士の決闘です」


 


 

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