第201話 イラートは決意する

 「先輩!来てくれたんですね!」


 ヴィースバーデン市街地中心地に位置する飲泉所、【コッホブルンネン】でイラートと合流する。


 飲泉所とは文字通り、温泉を直に飲める施設だ。

 屋根付きの簡素な建屋に井戸が設置されていて、汲み出した温泉を飲める仕組みになっている。


 「ごめん遅れた!ゼルマと話をしてたの。元気そうでなによりだわ」


 イラートは、コートに手袋と防寒用の服装をしていた。

 私も【炎魔導士のドレス】ではなく、イラートと同じような冬用の服装ー丈の長いスカート、毛皮付きの帽子、マフラーなどに身を包んでいる。

 12月も後半を迎え、かなりの寒さとなっていた。

 別に誰かと戦うわけじゃないし、【ルビーの杖】も置いてきている。


 そう、戦いなんて、起きることはないはず。


 「大丈夫?最近寝込みがちだって【ドミー軍】の人たちから聞いたけど…」

 「もう心配ありません。今日に向けて色々準備してきましたし」


 イラートは、その言葉通り元気そうだった。 

 白い頬を紅潮させ、こちらに微笑みかける。


 「よかった…無理しちゃだめよイラート」

 「さ!行きましょ!」

 「あっ、ちょっと!?」

 

 細い手で私の手を引き、イラートは走り出す。

 冷たくひんやりとしている手で。

 

 「あはは、ライナ先輩遅いですよ!」

 「もう、あなたは昔からいつもせっかちなんだから」


 前を向いているイラートにあえて明るく声をかけるけど、私の表情は暗い。


 (…ごめんね、イラート)


 後ろを振り返ると、密かに接近している人影が3つあった。


 【ドミー軍】から選抜した尾行である。

 

 上空にはゼルマが生み出した鳥もいた。




 ー残念だが、イラートはローブの暗殺者と何らかの関わりがあると俺は踏んでいる。

 ー…私もよ。

 ー何か掴んだのか? 

 ー確たる証拠はないけど、イラートは私たちに嘘をついてる。それだけは確かね…


 イラートと約束した、互いに大事なことを伝え合う日。

 

 それがこうなってしまうことは、悲しかった。



==========



 「おいしかったですね!」


 イラートに連れられて入ったのは、ヴィースバーデン一の高級レストラン【リースの調べ】。

 ムドーソでも珍しい、3階建てで個室形式のレストランだ。

 3階のとある一室で、イラートとの食事が静かに進んでいる。


 「え、ええ…」


 赤ワイン、色とりどりの前菜、パスタ、牛のメイン料理、デザート。


 いつもなら美味しく食べられるんだろうけど、今日は味がしなかった。

 代わりにワインを何杯か飲んだけど、頭がクラクラする。

 

 ドミーは「お前はまだお酒を飲む歳じゃない」と言われたことがあるけど、その通りなのかもしれない。


 窓からヴィースバーデンの夜景を見て、気を紛らわせようとした。


 「…先輩と初めて会った日も、こんな雪の日の夜でしたね」


 でも、急に静かな口調で話し出すイラートに気を取られ、向き直る。

 先ほどとは打って変わって、真剣な表情をしていた。


 「そうね…あなたは寂しそうな表情していて、ほっとけなくて、声をかけた。でも、最初はつんつんしてた…」

 「僕も色々悩みがあったんですよ。それを溶かしてくれたのが、先輩でした」


 イラートは想いを口にする。


 「ライナ先輩、僕は先輩が好きです。世界で誰よりも」

 「イラート…」


 思い出が、脳裏をよぎる。


 彼女と出会い、夢を抱き、切磋琢磨し、さまざまな任務を遂行したー、

 

 一つの目標に向かい、迷うことなく進めた日々のことを。

 

 「あなたの前途を阻むものは、僕が排除します。あなたが望むものは、なんでも手に入れます。あなたといられるなら…僕はどうなってもいい。だから、僕のものになってください」


 それでも、言わなければならなかった。


 「ごめんなさい、イラート」


 「私、あなたの想いには応えられない」

 

 

==========



 「そう…ですか」

 「本当に、ごめん」


 イラートの落胆した声に、胸が痛む。

 

 もしかしたら、こうならなかった道があったかもしれない。

 私が【成長阻害の呪い】にさえ掛からなければ。


 「…私からも、あなたに伝えたいことがある」

 「…」

 「あなた、私に隠し事してるわよね」


 イラートは、何も話さない。


 「1つ目はー」

 「脅されているんです」

 「え?」


 急な返答に面食らった。


 「あのローブの暗殺者たちにです。言うことを聞かなければ、殺すって言われて、仕方なくだったんです」


 涙声になっている。

 混乱しながらも、立ち上がってイラートの元へ駆け寄った。


 「詳しく聞かせて!私、あなたを助けたいの。力になりたいの!」


 イラートの心に応えられないなら、せめて彼女の苦しみだけでもー、


 「【拘束の呪い】」


 低い男の声。

 イラートの口からだ。


 …イラートの口?


 私は全身が硬直し、動けなくなる。

 全身を縄で縛られているようだ。

 息もできず、頭がくらくらする。


 左手を懸命に伸ばし、かろうじて懐に忍ばせるのが精一杯。  


 「【共有の指輪】か。くだらん小道具を使いおって」


 右手につけていた指輪を乱暴に外される。


 「彼女を傷つけるなジーグルーン。契約を解除するぞ」


 次はイラートの声。

 ぞっとするほど冷たい。


 「分かっておる」


 また男の声。

 イラートの口から、2種類の声が出ていた。


 「すみません、ライラ先輩。あのドミーとか言う男が悪いんですよね。今目を覚まさせてあげますから」


 (お願い…ドミー)

 心の中で願った後、私は意識を失った。

 

 

 

 

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