第150話 絶叫
「【ブルサの壁】の放棄だと?」
ドロテーは気色ばんだ。
「【ブルサの壁】はムドーソの国境を守る防衛施設だぞ!お前の功績を無に帰す行為でもある」
「俺はムドーソ城から【ブルサの壁】まで、部隊を率いて行軍しました。だからこそ言いますが、【ブルサの壁】を維持するのはこの国にとって負担が大きすぎる」
「だがー」
「今回このような叛乱が発生したのも、割に合わぬ国境線を維持しようとしたからです。違いますか?」
「…」
ー聡明なあなたならお分かりになるはずです。なぜ辺境地帯に人がおらず廃墟となっているか。
先日ナビに言われたことが気になって調査してみたが、レムーハ大陸に存在する国家の中でも、ムドーソ王国は人口減少が著しく進んでいた。
全盛期の【賢王】ノーラの時代に7万人だったのが、現在では5万人。
特にオークと緊張状態が続く【ブルサの壁】周辺は過疎化が著しく、交易が停滞したこともあって、ほとんど無人の荒野となっている。
【ブルサの壁】は、縮小が進むムドーソにとってお荷物でしかなかった。
「いずれにせよ、国境守備隊が壊滅した今、【ドミー軍】の協力無くして【ブルサの壁】の維持など不可能です」
「…お前にはその気はなさそうだな」
「ご名答」
「では、どこに新たな国境線を敷く?」
「人がまだ住んでいる辺境地帯とオーク民族の住む草原地帯との境界線、なおかつ防衛施設が存在しているのは1箇所しか存在しない」
「【イトスギの谷】か」
「【ドミー城】です」
「また勝手に名付けおって!」
「それが俺のやり方です」
今後は、俺が築いた【ドミー城】が、新たな国境の関門となる。
【ブルサの壁】より狭小なため管理の手間がかからないし、辺境地帯により近い。
最適だろう。
「反対なさいますか?」
「…【ブルサの壁】は年々予算削減が進んでいた。いずれこうなる運命だったのかもな」
「では賛成ということで。次は【ザラプ合意】の撤廃です」
ー80年前の虐殺に留まらず、【ザラプ合意】で経済的搾取まで受けました。
アマーリエが【ドミー城】で言っていた言葉。
約8年前に締結された、オークとムドーソ王国の交易に関する条約だ。
オークに貨幣は存在しないので、交易は産物の物々交換で成り立っていた。
合意以前はある程度平等なレートで成り立っていたが、時のムドーソ国王エルネスタの恫喝によって、ムドーソ側に著しく有利なレートに変更される。
すなわち、経済的搾取であった。
交易そのものもが停滞するほどに。
ムドーソに忠誠を尽くすウエン公の派閥のみが合意の対象外となったが、草原地帯に対立の火種を生む結果を生む。
今回の叛乱でもそれは続き、最終的に決裂することとなった。
「常識的なレートに戻すのが当然でしょう。交易が活性化すれば、ムドーソにとってもメリットのある話です」
「元々、エルネスタ王がオーク民族の弱体化と対立を生み出さんがための策だ。いいだろう」
「なぜ、そのようなことを?」
「…そのころから、エルネスタ王は死の病に侵されていた。王なりに国の将来を案じたのだ」
「裏目に出ましたがね」
「…」
というわけで、ドロテーとの同意は順調に進んだ。
ー【ブルサの壁】の放棄
ー【ザラプ合意】の撤廃
ー降伏した叛乱軍の恩赦
実質的に、オーク民族側に有利な条約となる。
ムドーソ王国の権威は低下するだろう。
もちろん、何の問題もない。
ムドーソ王国の弱体化は、俺にとっても歓迎すべき事態だからだ。
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「…お前はただ粗暴なだけの男性ではないようだ。この内容なら、協力してやってもよい」
「お待ちください。まだ一つあります」
「何だ?」
まだ、重要な条件を1つ話していなかった。
すなわち、俺が【永遠の平和】の第一歩を踏み出すためのもの。
それを聞いたドロテーはー、
「な…!?」
驚愕した。
「そんなことをして何の意味がある?」
「そう驚くことでもありますまい。悲しみを乗り越え、共に新たな時代を踏み出すために手を取り合いたい。オークにも人間にも通ずる普遍的な感情でありましょう」
「…あのレギーナという者が従順になったのを見て、違和感を感じていた。お前はー」
「知りたいのですか?この俺に何ができるか」
俺は右手を差し出す。
ドロテーは後退りした。
「触ればたちどころに分かるぞ、【道化】。お前のような家臣を得られれば、もはやムドーソなぞ恐れる必要はない」
ドロテーから武器を取り上げたのは、もちろん【支配】の機会を伺うためであった。
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「お前はやはり、生かしてはおけぬ!!!」
だが、ドロテーもさるもの。
袖から小刀を1つ取り出し、俺に向けて投げつけた。
眉間目掛けて飛んでくる必殺の一撃。
だが、どうやらスキルの類ではなかったようだ。
ひ弱な女性による、単なる投擲。
なんなく受け止める。
「スキルがなければ大した戦闘技術はないらしいな。ライナとミズアより評価を下げねばなるまい」
「くそっ…」
切り札はこれで終わり。
古びた王国の人物らしく、面白味のないやつだ。
ランクが高くても、経験がなくては生かしきれない。
スキルがなければ、男性と女性には歴然とした身体能力の差がある。
命がかかってるゆえ、その差異を生かすことを卑怯とは思わなかった。
「なぜだ!」
追い詰められたドロテーは俺に問うた。
「なぜムドーソを滅ぼそうとする!確かに問題がないとは言えない。だが、開祖エルムスから今に至るまで、約100年に渡って歴史を紡いできた。お前にそれを滅ぼす権利があるのか!!!」
「歴史だと?」
呆れて物も言えない。
たかが100年歴史を重ねただけで、今後も永続する権利があると思っているのだろうか。
「ムドーソの歴史とやらはよく承知している。【烈王】エルムスは猜疑心に囚われ無実の家臣を虐殺し、【挫折王】チディメは、友人カエナオを殺した挙句新王朝の設立に失敗した。【賢王】ノーラはアルハンガイ草原でオーク30000人を焼いた」
なんと血生臭く、愚かな歴史を刻んできた王朝なのだろうか。
「【不信王】エルネスタは軍を粛清し、我欲でオーク民族を苦難に陥らせた。かと思えば、現国王エルンシュタインは責務を放棄し、善行も悪行もなさず、王宮に閉じこもってばかり」
だからー、
「俺のような呪われた存在に簒奪され、滅亡したとしても当然だろう!!!」
良心は一切痛まない。
「違う!!!」
ドロテーは引き下がらなかった。
「エルンシュタイン王は、いや、エンダは責務を放棄したことはない!それに、本当は心優しいお方なのだ。だから【守護の部屋】も動かせずー」
「まだ分かっていないようだな!!!」
ドロテーを【支配】することなど、とうに忘れていた。
「その心優しき王とやらのせいでこの戦争は起きたのだ!そして!!!」
「俺はオーク数千人を地獄に叩き落とした!!!」
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「…!お前…」
ドロテーは、沈黙した。
この際、言いたいことを言わせてもらおう。
俺は、この【道化】以外の人間に、本音を遠慮なく言える立場ではない。
「俺だけじゃない。ライナ、ミズア、アマーリエ、ゼルマ、【ドミー軍】のみんなも手を血で汚した。ケムニッツ砦の時からずっと!俺の命令で!」
ケムニッツ砦のゴブリン500匹は、捕虜の尋問により、カクレンの腹心トゥブによって意図的に追放されたことが判明している。
つまり、俺はこの旅の間、ムドーソの失政のツケを延々と払わされ続けてきたのだ。
特に、ムドーソの貴族どもが思っているほど大きな差異のない、同じ人間といってもよいオーク民族の願いを踏みにじった。
みんなを巻き込んで。
「内心苦しんでいるものがいたとしても、指揮官の俺はもう褒めることしかできない。よくぞオークの手足を吹き飛ばした、よくぞ草原に屍を増やした、よくぞ未亡人を大量に作ったと!俺はただー」
「俺はただ、軍隊というものに子供のような憧れを持っていただけだったのに…みんなを虐殺者に仕立て上げてしまった…」
「…すまない」
ドロテーはすっかりしおらしくなっている。
「お前の気持ちは、よく分かる。ムドーソは、お前たちを犠牲にした…」
「知った風な口を叩くな!!!」
もうただの八つ当たりだ。
分かっていても、止まらなかった。
「傍観者のお前に!!!」
ー勇敢なる戦士よ。妻と娘に、申し訳ないと伝えてくれ…
ーカクレン兄貴やトゥブ兄貴だけでなく、同胞数千人を手にかけておいて、よくそんなことが言えたもんだ!!!
ーエセンという少年が発見されたらしいわよ。トイラオ部族唯一の参加者で、15歳の少年。すがりついて泣いてるのは、きっと母親ね。
「人の命を断つおぞましさが分かってたまるかあああああ!!!!!」
俺にとって、人間もオークも同じ人間だった。
だが、スキルの有無が絶対視されるこの世界では通用しない。
スキルを持たず迫害されてきた俺にしか感じ得ない感情。
【道化】しかいない【ユルタ】の中で、俺は喉がかれるまで叫んだ。
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