第142話 唯一の勝者

 ライナとミズア。

 

 そう名乗った2人の刺客は、【アハルテケ】に乗って逃走した俺とトゥブを追跡しなかった。

 俺の読みは当たった。


 誰もが狂気に呑まれる戦場で両名が冷徹な意思を保っているのは、自らが仕える主のため。

 主の安全を優先し、叛乱軍の撃滅に向かうだろうと。 


 あそこで死ぬつもりだったのに、俺も覚悟のない男だな…


 腹からとめどなく血があふれるのを感じながら自嘲する。


 あの2人は俺を逃がしたもう一つの理由は、どのみち放っておいても俺が死ぬからだ。

 ミズアと名乗る槍士の一撃は、ラグタイトの鎧を突き破り、俺の臓腑や血管を傷つけた。

 オークの世界に、ムドーソのような傷を治すスキルなどない。

 重傷を負えば、苦痛にもだえながら死ぬだけ。


 「…ぐ」

 息が苦しくなってくる。

 意識をもうろうとさせながら、懸命に【アハルテケ】を走らせた。


 「カ、クレン…大丈夫か」

 やがて、背中に乗せた親友が意識を取り戻したのを感じた。

 俺が見苦しく生きながらえようとした最大の理由。

 彼が致命傷を負わされるのを見て、死にゆく体を懸命に動かした。

 【叛逆者】を名乗る資格を失ったとしても。


 「俺は大丈夫だ。喋るな、傷に響く」

 「どこへいくんだい…?」

 「…」


 場所は、思いつかない。

 この世界は敗北したものに牙をむく。

 それが、世の理と言わんばかりに。


 「…ウエン公の陣に行ってみよう。彼も俺たちの姿を見てきっとー」

 

 その時、空が蒼い炎で包まれた。

 【ブルサの壁】からかなり離れた地点でもはっきり見える。

 おそらく、ライナと名乗った者のスキル。

 オークに向けて放たれれば、数千人いようとひとたまりもない。

 

 自らの力をそのように示すのか…


 敵ながら、感心してしまった。

 無理に森に入って攻撃しなくても、叛乱軍が抵抗を続けることの愚をはっきり示すことができる。

 ウエン公も、もはや俺を保護することに対して魅力を感じないだろう。

 

 

 

 俺は完全に敗北し、この世界で帰る場所を失った。




 「連れて行ってくれ…」

 その時、トゥブがかすかな声を出した。

 もう蚊の鳴くような小ささだ。

 

 「戻るか?」

 もはやその資格なくとも、【奇跡の森】に引き返すことはできる。

 そこで最後の一戦をー


 「違う…」 

 だが、返ってきた答えは予想外だった。

 

 「ラーエルの墓だ…」


 

========== 



 ラグタイトを装備した騎兵隊でムドーソ王国軍を破り、ラーエルを討ち取ったアルハンガイ草原。

 そこにラーエルの墓はあった。

 戦時中ゆえ、石で作った簡素な碑を添えるのが精一杯。

 叛逆が成功すれば盛大に弔う予定だったが、叶わない夢となった。


 「ここから動くな」

 【アハルテケ】から下馬した後、命令を下す。

 愛馬は不満そうな表情を見せたが、それに従った。


 そして、トゥブを支えながら、ラーエルの石碑まで連れて行く。

 傷は深く、もはや生きているのが不思議なほどだ。


 「ごふっ…」


 なんとかたどり着いたが、トゥブは吐血した。

 石碑に血が掛かり、だらだらと流れていった。

 人間と同じ、赤い血。


 慌てる俺を静止し、話し出す。


 「ラーエルさん…志を半ばでも果たせたのは、あなたが見逃してくれたおかげです。ありがとう」

 だが、そこまでが限界だった。

 完全に膝をつき、倒れ込んでしまう。


 「トゥブ!」

 「これで、悔いはなくなったよ…」

 「待て、まだいくな」

 

 俺は先ほどから身体を襲う寒さに身を震わせながら、とある場所へ足を運ぶ。


 そこには、小さな小川があった。

 

 

========== 



 「お前からは、水を、よくもらっていた」

 話すのが、辛くなっている。


 「いつか、俺の方から水をあげたいと」

 震える手の中に、一杯分の水を蓄えた。

 そして、なんとか戻ってきた。

 

 「思ってたんだ…」

 あとは、トゥブの口に注ぐだけ。


 「ぐあ…」

 だが、最後の最後で失敗する。

 血を吐いてしまい、気が逸れたのだ。

 その拍子に、水をすべてこぼしてしまう。

 もはや立つこともかなわず、地面に手をついた。


 トゥブの生気を失った顔が、よく見える。

 そのまま天へ旅立つと思ったが、目を覚ました。


 「水は、もらったよ」

 俺の涙だった。

 母を亡くしたあの日から、流すことはないと思っていた涙。

 それが、トゥブの口にわずかに落ちた。


 「先に行く…」

 最後に大きな息を吐いたあと、トゥブは目を閉じた。 


 そして、2度と目を覚まさなかった。



========== 



 俺に死をもたらす刺客2人は、それからほどなくして現れた。


 もはや立ち向かう力も、身を挺して守ってくれる部下もいない。

 本当の最期。


 「すみません」

 まず口を開いたのは、槍を携えた少女だった。

 「あなた方を長時間苦しめる気はありませんでした。ミズアの未熟です…」


 「いいんだ…」

 不思議だ。

 もう立ち上がれないと思ったのに、自然と足が動く。

 人もオークも死ぬ直前に謎の回復を見せると言うが、それなのだろうか。


 「兵の痛みや苦しみを、最期に自分でもー」

 

 体験してみたかった。

 口には出ないが、恐らく伝わっただろう。

 槍を携えた少女は息を吐き、目を閉じた。


 「ねえ…」

 杖を携えた魔導士も口を開く。

 「どうして、こんな叛乱を起こしたの?」


 「…」

 わざと口を開かなかった。

 首を振り、拒絶の意を示す。

 今更、俺の口から語る必要もない。


 敗北して身を滅ぼす【叛逆者】の過去など。

 1が、恐らくこの2人には話さないだろう。


 「1つ、頼みが。残った部下、は、降伏をー」

 「分かってるわ。ドミーは降伏したオークは決して殺さない。約束する」

 「…そう、か」


 どうやら、俺が頼むことを事前に知っていたらしい。

 ドミーという指揮官に、全て読まれていたということか。

 敗北した理由が、今となってはっきり分かる。


 一度で良いから、会ってみたかったな。


 「さあ…来い」

 俺は武器の代わりに、両腕を広げた。

 もはや剣も何もない。

 ただ立ち向かうだけ。


 それが、【叛逆者】としての最後の誇り。


 「我が名は、カクレン!母エイサンから【叛逆者】の血を受け継いだ、誇り高きオークなり!」

 

 もはや、悔いはなにもない。


 「この戦争の勝敗、一騎討ちにて雌雄を決さん!」


 「…ドミー将軍の腹心、この【蒼炎のライナ】が引き受ける!」


 最後の力を振り絞り、炎魔導士に歩み寄る。

 魔導士の杖に炎が宿り、スキルとして具現化する。


 「【ファイア】!」

 その右目には、一筋の涙が流れ落ちていた。




 母さん…


 大切な人の面影を、そこに見た。

 


========== 



 ライナとミズアがカクレンを討ち取った日の夜。

 俺は大任を果たした2人を労った後、【ドミー軍】の指揮に戻った。


 草原地帯では、未だに叛乱軍が軍としての秩序を保っている。

 ウエン率いる軍勢はすっかり怯えてしまい、手を出す気配もない。


 「は、うまくやるでしょうか」

 アマーリエが尋ねてきた。

 「分からない。やるだけはやった…」


 その時、叛乱軍から大声で呼びかける者がいた。


 「我は叛乱軍指揮官代理を務める、ギンシというものである…」


 「使者の説得を受け、投降することを決断した…」


 「こちらからも使者を送る…」


 草原地帯に、覚悟を決めた男の声が響きわたる。

 

 「終わりましたな」

 「ああ、長かった…」


 カクレンの遺言は、残された者たちに届いた。

 


========== 


 レムーハ記 戦争伝より抜粋


 【ブルサの回廊の戦い】におけるカクレンの敗死により、【カクレンの乱】はオーク陣営の敗北で幕を閉じる。


 トゥブ。

 タンセキ。

 ノイン。

 エセン。


 名だたる族長や勇者もことごとく死を迎え、アルハンガイ草原から【奇跡の森】に至る地域に屍を晒した。


 その数、約3500名。

 叛乱軍参加者7000名の約半数。


 王の率いる【ドミー軍】の損害はなし。


 ー敵首魁の殺害

 ー敵主力の撃滅

 ー味方の無事


 事前に掲げた戦略目標を達成し、王は【カクレンの乱】における唯一の勝者となった。

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