旧約第6章 【カクレンの乱】勃発
第92話 【叛逆者】カクレン
レムーハ記 ムドーソ王国伝より抜粋
【ブルサの壁】は、【アルハンガイ草原の戦い】の後、ムドーソ・フォン・ノーラによって建造された防衛施設である。
ムドーソ王国というオーク民族の境界線に沿って城壁と砦が連なっているが、「馬さえ越えられなければいい」という方針の下、高さはさほどない。
【守護の部屋】のようにスキルを利用した設備もなく、防衛という意味では貧弱である。
寧ろ交易の拠点として活躍しており、城壁沿いにはいくつもの交易所が設けられ、盛んに取引が行われていた。
【賢王】と呼ばれるノーラがわざと貧弱な防衛施設を建造したのは、対外的には予算の関係とされている。
だが、歴史家はそれ以外にも2つの理由があったと主張して止まない。
1つ目は、オーク民族とムドーソ王国が対等ではないにせよ共存すべきというノーラの政治的判断。
ムドーソ王国の人口が5万人、オーク民族の人口が50万人であることを考慮すると、妥当な判断と言えた。
それだけの数を根絶やしにするのは、事実上困難だからである。
もう1つが、ノーラの口癖であり信念であった「国防は兵器ではなく人が行うもの」を実現するため。
事実、ノーラは【アルハンガイ草原の戦い】以降【守護の部屋】の出陣を控え、常備軍の強化に専念した。
【ブルサの壁】にも精鋭1,000人を常駐させ、崩御の際はその体制を崩さないよう遺言した。
だが、どんな偉人の遺訓も、亡くなれば次第に忘れられるのが世の常である。
全盛期を作ったノーラ死後のムドーソ王国は徐々に傾き、それは軍事費削減という形でも現れた。
壁に破損箇所が出ても修理は遅れ、兵士は引退しても補充されず、哨戒任務も首都から派遣された連合軍の力を借りてようやく実行できるありさまだった。
【馬車の乱】以降その傾向は加速し、【ブルサの壁】を守るのは金で雇われた冒険者300名足らずとなっていた。
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「それでよ。壊れた壁のすき間から、そのままゴブリンが脱走してしまったんだと」
「へー、何匹だよ」
「それが500匹だってさ!」
「おいおい、警備してたやつはいなかったのか?」
「酒盛りしてみんな寝てたらしい」
「ははははは!相変わらずやる気ねーなあ」
【ブルサの壁】に設けられた4つの門。
その中で最大の【征服門】を守っている門番が2人いた。
Cランク冒険者、アウレルラとヴェラである。
本来ならあまり大声を上げて話してはいけない職種だが、他の仲間は城壁の上でのんびり休憩中だ。
咎める者もおらず、警戒も解き、唯一の暇つぶしとなるうわさ話に花を咲かせている。
「しかし、かがり火を炊いても怖くて不気味だな。こっそり城壁の上に戻ろうぜヴェラ」
火はすでに落ち、周辺に集落もない草原地帯は暗闇に包まれている。
「我慢しろわが友アウレルラ。しかし、2人だけで下の門を守るとはな…オークが襲ってきたらどうするつもりなんだ」
「何も考えてないよ上は!これまで80年平和だった。それが今後も延々と続くと思ってるだけさ」
「そうだろうな…しかしー」
アウレルラは嘆息する。
「我々はいつまで門番なんだろうな…」
「…」
アウレルラとヴェラは、同じ村で育った朋友と言えるべき存在である。
戦闘用スキルの心得があったため、一旗揚げようと冒険団【モルペウス】を立ち上げた。
だが、さまざまな努力を行ったのにも関わらず、現在は交代制の門番という地位に甘んじている。
「…もう考えるなよアウレルラ」
「ヴェラ?」
「どうにもならない壁ってのが存在してるのさ人生には。そういう時、どうすべきか分かるか?」
「努力を続ける?」
「違う」
ヴェラは自嘲的な笑みを浮かべた。
アウレルラから背を向け、座り込む。
「何も考えないこと」
「…」
「夢だの理想だの忘れろよ。面倒くさいことは何も考えず、ただ言われたことをこなし、適当に仕事してりゃいいの。それで適当なところでー」
「もっといい方法があるぞ」
「…ん?」
アウレルラとは違う、聞いたことが無い低い声。
ヴェラは状況を理解できず反応が遅れる。
振り返ったときにはー、
「逃げろ、ヴェラ…」
すでにアウレルラが胸を剣で貫かれていた。
その背後に、何かがいる。
ー豚のような鼻と牙
ー人間の大半を占める女性の約2倍はある巨体
ー緑と褐色の混じり合った肌
ー全身を包み込む、漆黒の鎧
「お、オーク!?」
ヴェラは剣を抜こうとした。
もはや訓練以外では抜く機会もない、半ば錆び付いた剣を。
しかしあまりに遅過ぎた。
「ぎゃあっ!?」
アウレルラの胸から素早く引き抜かれたオークの剣が、ヴェラの剣を弾き飛ばす。
成すすべもなく、尻餅をついてしまった。
そのまま白刃を首に突きつけられる。
「な、なんのつもりだ!ここをムドーソ王国の神聖な領域と知ってー」
「叛逆を忘れた者は、理想と現実のはざまで苦しむ」
オークは躊躇なく白刃を首に埋め込んでいく。
「や、やめろ…やめろおおおおお!」
「そこから確実に逃れる方法は一つだけ」
ヴェラの命乞いにも耳を貸さず、白刃は柔肌を切り裂いていった。
「死ぬことだ」
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「これで君も晴れて【叛逆者】だねカクレン。感想はどうだい?」
倒した門番の首を切り取っていると、背後から声をかけられた。
敵ではない。
初めて作った、信頼できる同志の声である。
「予想以上に弱くて拍子抜けだった、それだけだなトゥブ」
トゥブは俺よりも小柄ながら、思慮深い人物だ。
俺の指示通り、馬を2頭ひきつれている。
「それはいいことだ。戦争をするんだから、敵が弱いに越したことはない。しかし、何も自ら挑まなくてもー」
「もし俺が門番程度に遅れを取るとしたら、叛乱はどのみち失敗する。無駄な犠牲を出す必要はない」
「…勇敢だね、君らしい。ま、ゴブリン500匹を1年も追い返せない時点で、杞憂に終わると思ってたさ」
「相変わらず口数の多い男だ。次はお前にも勇を見せてもらうぞ」
切り取った首をトゥブに渡す。
最初に胸を貫いて殺した女の首だ。
「もちろんさ、はじめよう」
普段は冷静なトゥブだが、声に愉悦が混じっていた。
無理もない、この時のために長年準備を重ねてきたのだから。
それが残虐な結果を招くとしても。
「僕たちの叛逆を」
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「ムドーソの腰抜けども!よく聞けえええええ!!!」」
城壁の上で惰眠をむさぼっていた冒険者たちを目覚めせたのは、【征服門】に立つ2匹のオークだった。
「我はカクレン!オークから命と、冨と、誇りを奪った貴様たちの傲慢に耐えきれず立ち上がった!」
「僕の名前はトゥブ!カクレンの怒りに賛同し、義によって助太刀する!
」
2人はとあるものを城壁に投げた。
門番2人の首だ。
「う、うわあああああ!」
「逃げろ!殺されるぞ!」
「援軍を呼べええええ!」
平和に慣れ切った兵士たちは悲鳴を上げ、逃げ惑う。
「おのれオーク風情が!死ね!」
むろん、果敢に立ち向かう者もいた。
城壁から飛び降り、【近接系】スキルで2匹のオークを斬ろうとする。
「殺したければ殺してみよ!この馬の速さに追いつけるならな!」
だが、その前にオークたちは馬に飛び乗っていた。
攻撃をひらりとかわし、目にも止まらぬ早さで逃走する。
「敵はたった2匹だぞ!」
「そのまま逃がしては罰を受けるに違いない!」
「追いついて殺せえええええ!」
激高した冒険者たちは、無秩序のまま次々と城を出る。
そして、いくつかの集団に別れて、小賢しいオーク2匹を追跡していった。
こうして、ムドーソ王国最末期に発生した軍事衝突、【カクレンの乱】は始まった。
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