第77話 ヒルデの死
その手に触れたとき、あたしの世界に光が戻った。
【インサイト】を通した、どこか遠く感じる光ではない。
自分の両目で捉えた、痛いほどはっきり感じる光。
何が起こったかはなんとなく理解する。
男性のスキルが、自らの負傷した両目を癒したのだ。
体の奥から切ない感情が湧いてくるのを感じるが、何を意味するのかは分からない。
「もしかしたらと思っていたが…目が見えるのか?」
まず飛び込んできたのは、心配そうにあたしを見つめるアマーリエの顔だ。
少し、上気している。
【インサイト】よりもはっきり見えるようになったが、少し老いているようだ。
光を失ったあたしを、ずっと世話してきたものね…
そう思うとたちまち両目に涙が溜まり、溢れそうになる。
だが、その前にやりたいことがあった。
「ねえアマーリエ…ヒルデの【念写】した絵、まだ持ってるわよね」
「ああ…」
「見せて」
アマーリエは、懐から小さな絵を1枚出した。
風景の一部を具現化できる【念写】スキルの使い手に頼んで入手した、1枚の古ぼけた絵。
-盾を構え、武骨な表情を浮かべているアマーリエ
-はにかんだ表情で、一羽の鳥を抱えているあたし
そしてー、
ー快活な笑みを浮かべ、弓を携えている亜麻色の髪の少女
【モイラの誓い】の創設者で、あたしの大切な人。
3年前に死んだヒルデだった。
==========
ー冒険団を結成して、みんなを守るんだ!
-やれやれ、ヒルデは本当に冒険者になりたいんだなあ。どうする、ゼルマ?
-きっと、ヒルデならできるわ!
ムドーソ王国の片田舎で生まれたヒルデは、少女時代から外の世界にあこがれていた。
だから、幼馴染のアマーリエとあたしを誘い、3人が15歳の時にパーティを結成した。
ー「「「行動を共にし、互いの目標達成を目指す!!!」」」
ランクやステータスに恵まれなかったあたしたち3人は、三位一体の戦術を編み出す。
あたしが【インサイト】で偵察をし、発見した敵をアマーリエが【ウォール】で抑え、ヒルデが強力な矢を放つ【スナイプ】で仕留める。
【インサイト】しか使えないあたしは戦闘能力が皆無なので、常にヒルデのそばにいた。
ーありがとうゼルマ!お前の【インサイト】があればAランククラスも間違いなしだ!
当然、あたしはヒルデと過ごす時間が増えていった。
そして、ある感情を抱いた。
-ねえ、アマーリエ。あたし、ヒルデが好きみたいなの…
-…そうか。そんな気はしていた。
-どうすればいいのかな…
ー想いを、正直に伝えればいいじゃないか。
この世界では、女性同士がパートナーとして結婚し、儀式を執り行って子孫を増やす。
友人と恋人の境界は、酷く曖昧だ。
あたしは、アマーリエが自分に対して秘めた想いを抱いてるとも知らずに、友人として相談した。
それが、どれだけアマーリエを傷つけるかも分からずに。
結局想いを伝えられないまま、【モイラの誓い】は戦いを続けていった。
いつかAランクまで行けると信じて。
==========
転機となったのは、ムドーソ王国に所属する正式な冒険団の1つに選ばれたこと。
ランクはCランクのままだったけど、戦いを重ねればステータスやランクが成長する可能性は高い。
あたし、ヒルデ、アマーリエはこれまで以上に三位一体の戦術を磨き、上に行こうとした。
だけどー、
ーあれ~~~先輩方まだBランクになってないんですか~~~
ーこれからは話しかけるなよ、Bランクだけで冒険団作るから、Cランクの人間と話したくないんだ。
なかなかうまくいかず、今は【アーテーの剣】率いる後輩ヘカテーとエリアルに先を越される。
どうやら、片田舎の町民に過ぎないあたしたちには、Bランクまで行く才能が足りなかったらしい。
誰も正確に観測することはできないけど、確かに存在する見えない壁。
-…何が足りないんだろうな、ずっと一生懸命やってるのに。
-ヒルデ。あたしたちだってまだ分からないわ。ねえ、アマーリエ?
-そ、そうだぞ。まだチャンスは巡ってくるはずだ。
-…少し鍛錬に行ってくる。
リーダーとしてパーティを率いていたヒルデには、相当のプレッシャーがあったようだ。
あたしとアマーリエは頑張って励ましたけど、うまくいかなかった。
そして、決定的な事件が起こる。
巨大なサソリ【レッドスコーピオン】を退治する依頼で、ヒルデの【スナイプ】が急所を打ちぬくのに失敗したのだ。
半端に傷を負った【レッドスコーピオン】は守るべきはずの村に乱入し、多くの被害者を出した。
あたしの偵察やアマーリエの抑え込みがうまくいっても、とどめの【スナイプ】が決まらなければ何の意味もない、
その事実が、ヒルデの心を打ち砕いた。
-やめろヒルデ!一人で【ワーウルフ】の群れに飛び込むなんて正気か!
-うるさいアマーリエ!自分が弱いから、あの時誰も守れなかったんだ…
-ねえ、方針を変えない?最近色々な冒険団から支援のお願いを受けているの。サポート役に徹すれば…
-アマーリエとゼルマはそれでもいい。でも、貧弱な【スナイプ】なんて何の役に立つんだ…?
ー…!
もう誰も、ヒルデの崩壊を止めることはできなかった。
そして、その日はやってきた。
ーアマーリエ!ヒルデがいないの!
ーどうやら…【魔の森】に向かったらしい。
-そんな!
Bランク相当でも危険なモンスターの住処に入っていったヒルデを、あたしとアマーリエは探しに向かった。
でも、途中ではぐれてしまって、ヒルデのもとにたどり着いたのは戦闘力のないあたしだけ。
ーヒルデ!
ーゼルマ…逃げろ。
ヒルデは強力な植物型モンスター【キラープラント】の酸にやられ、瀕死の重傷を負っていた。
-この化け物!
あたしはわざと声をかけて【キラープラント】を誘いこもうとしたが、たちまち追い詰められる。
そして、酸を掛けられた。
-ぐあああああああ!
-ヒルデ!?きゃあああああ!
そんな愚図なあたしを庇ったのは、他ならぬヒルデだった。
でも、間一髪で間に合わず、酸は私の両目から光を奪う。
-ゼルマとヒルデから離れろおおおお!
アマーリエが【キラープラント】を引き離してくれだけど、ヒルデはもう手の施しようがなかった。
激痛と暗闇の中でヒルデの手を握ったけど、体温はみるみる失われていった。
ー…ごめん。ゼルマ、アマーリエ…
【モイラの誓い】の結成から5年、ちょうど20歳の時にヒルデは死んだ。
==========
光を失ったあたしを、アマーリエは献身的に世話してくれた。
やがて、アマーリエがあたしに抱いている想いにも気づいたけど、ずっと知らないふりをして現在に至る。
【モイラの誓い】はサポート役に徹することで連合軍の元締めの地位を得たけど、それ以外大きな変化はなかった。
あたしは心の空虚さを埋められないまま、適当に仕事をしてきた。
心に鈍痛を抱えながら。
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