第39話 エルンシュタインは誰かにざまぁしてもらいたい

「いやあああああ!」

あたしは何度目か分からない悪夢を見て、【守護の部屋】のベッドで目覚めた。

ここは、ムドーソ城内で【守護の部屋】が安置される【鎮座の間】。

とある人物以外は出入りを許されることはない、聖なる空間。


「はあ…はあ…」

心臓が早鐘のように脈打っている。

冷や汗が止まらない。

それにー、


「うっ…」

悪夢を見たとき、必ず訪れる吐き気だ。

あたしは、よろよろとベッドから這いだし、仕切りのある空間に向かう。

トイレだ。

壁のない【守護の部屋】において、唯一誰かの目から逃れられる場所。



==========



「うええ…」

酸っぱい吐しゃ物を、トイレに吐き出す。

周りに飛び散らないよう、ゆっくりと。

あたしは肉が食べられないため、野菜の残りかすがどろどろとあふれだす。

どんな高級な食材も、こうなってはただのゴミでしかない。

「…」

少し、落ち着くと、そのまま室内に崩れ落ちた。



==========



「ネズミは我慢できたのに…」

数日前の出来事を2つ、思い出していた。

ドミーとかいう【男性】が謁見した場で、【赤の裁き】によって肉塊にされたネズミ。

あの時も強烈な吐き気を覚えたが、なんとか我慢した。


「ふふふ…」

もう1つが、【青の防壁】を破り、もう少しであたしを殺すところだったライナの【フレイム】。

あの時、あたしは酷く興奮していた。

「もう少しで死ねたのにな…」

悪夢にさいなまれる人生から、解放される可能性を感じて。



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ー王の責務を果たせ。

ーそなたは国王だ。

ー敵対者を抹殺せよ。


少し落ち着くと、幻聴が聞こえてきた。

いや、幻聴なのだろうか。

あたしがくじけそうになると、決まって聞こえてくる。

【守護の部屋】が、語り掛けているのかもしれない。

何度か自殺しようと思ったのだが、この幻聴を聞くとやる気をそがれてしまう。


「エルンシュタインさま、だいじょうぶ?」

幻聴ではない声も聞こえた。

【鎮座の間】と【守護の部屋】内部への出入りを唯一許された、世話係だ。

といっても、結局は1人なので、あたしは大抵のことは自分だけでやる必要がある。

「【道化】か…どうした」

「エルンシュタインさまのこえがきこえたから…はいっていい?」


トイレの扉が開かれようとするがー、


「は、入るな!無礼だぞ!」

あたしは制止した。

口調、ちゃんと王様の話し方になってるよね…


「ご、ごめんなさいエルンシュタインさま」

「いい…もう少ししたら出る。余の着替えと…水を持ってきてくれ」


ここは、あたしが唯一自分を出せる聖域だ。

だから、誰にも入らせたくない。



==========



結論からいうと、あたしは【守護の部屋】で人を殺すことができない愚王だった。

何度かやろうとしたのだが、その度に、悪夢で見る映像が脳内をよぎる。


ー血と臓物。

ー飛び散った四肢。

ー涙と悲鳴。

ー父の邪悪な笑顔。


そのたびにあたしは嘔吐し、【赤の裁き】を発動できないでいる。

近づいた敵対者に対しては自動的に発動できるが、人の死体を作った日には、1日中卒倒してしまうだろう。


要するに、自分の身を守るのが精一杯だった。

人を殺すために【守護の部屋】を動かすこともできない。

体が震えを起こして、拒否してしまう。


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【男性】ドミーの奇策によってギルド本部会議室が混乱した日、あたしは【赤の裁き】を発動するぞ、と周囲の人間を脅した。

会議室は沈黙したため、ドミーはひょっとするとあたしが威厳を示したのだと誤解したのかもしれない。

だけど、数人の家臣が聞いた声をあたしは見逃さなかった。


ー即位して7年も発動したことがない癖に…

ー【馬車の乱】の関係者にも恩赦を与えるとは、何を考えておるのか。

ー腰抜けめ!


要するに、嘲笑されていたのだ。



==========



「おちついた?」

「ああ…」


少しして、トイレから出た。

【道化】はその名の通り道化の格好をしている、小さな【女性】だ。

あたしの服を手際よく脱がせ、14歳の貧相な肉体に浮かんだ汗を拭いていく。

その間、コップ一杯の水を飲んだ。


「ねえ、エルンシュタインさま」

「なんだ?」

「もっと、あたしにいろいろやらせてもいいよ?」

「何を言う…【道化】をみだりに動かしたとあっては、余が笑いものになるだろうよ。必要な時に動けば、それでいい」

「そうだけど…」

「二度は言わせるな」

「…わかった」


少し、沈黙が流れた。

「そういえば、この前会った【男性】ドミーとかいう者は、面白い人物であったぞ」

「へー。どんなところが?」

「そうだな…野望に溢れているが、同時に勇もある。信頼できる仲間に囲まれており、どんな困難も乗り越えていくじゃろう」

「じゃあ、はいかにくわえる?」

「いや、いい…」


あたしは、首を横に振った。


「ただ、あたしにないものを全て持っているから、うらやましかっただけ…」

口調を変えるのを、忘れていた。



==========



あたしが【守護の部屋】を使いこなせなかったことで、ムドーソ王国の権威は失墜した。

【馬車の乱】で軍を粛清したことも、それによって王に権力を集中させたことも、全てが無駄になってしまった。

【守護の部屋】を縦横無尽に使いこなすことでしか、権威の維持と国防は成り立たないのに。

幸い即位してから7年は戦争がなかったけど、それも時間の問題だろう。


周囲の家臣も最初は困惑したけど、【守護の部屋】を継いだものは、死ぬまでその地位に留まることになっている。

やがてあたしを無視するようになり、権力闘争に明け暮れるようになった。


あたしは、きっとムドーソ王国を滅ぼす最低の王として記録されるだろう。


それでも、あたしは人を殺せなかった。

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