第一章 シルエットモブ悪役令嬢だった私

その①

 私の名はピア・ロックウェル。王都きんこうの、目立った特産品もない小さなロックウェル領を治めるはくしやくむすめとしてこの世に生を受けた。

 貴族の政略けつこんにしてはぼちぼち良好な仲の両親と、五つとしはなれているゆえに遊び相手の対象ではない兄ラルフと共に、貴族としてはありふれた毎日を過ごしている。

 父の仕事の関係で王都(といっても外れのほう)の古いしきがメインの居住地で、領地には父が休みを取れた時に年に数回家族で顔を出すじようきようだ。

 そんな私は十さいの冬、をこじらせ高熱で生死をさまよった。

 もうろうとした意識の中で、不意にのうに不思議な光景が現れたので、看病をしてくれていた私付きのベテランじよ(と言っても私の七つ上で当時十七歳)、サラに聞いてみる。

「ねえ……サラ……空を鳥のように飛ぶ鉄の車って……見たことある?」

おくさま~! ピア様のご様子がおかしいです~! りようを大至急お呼びください~!」

 大人のサラが知らないのなら、やはりあの光景はこの世界のものではない。

 かみかたにもつかない長さで見たことのない変な服を着て、黒い車輪がたった二個と、安定性のない自動で動く乗り物をあやつかのじよはピアではないけれど、ちがいなく私で……彼女はピア以前の私だと結論づけた。いわゆる前世だ。

 まどろみの中、じわじわと前世のおくかいふうされていく。

 前世の私は、鉄の車が地を走り空を飛び地下をもぐり、宇宙と呼ばれる空の向こうまで人を乗せて飛んでいく、地球という世界の、日本という国にせきを持つ、真面目を絵にいたような学生……その世界の最高学府である大学院生だった。歳は二十代半ば。

 初めてできた同じまなかれうわ現場にぐうぜんにも足をれ、挙句『お前のほうが浮気相手だった、お前の地味な研究に興味を持っただけだ』と笑われた。

 あわてて調べてみると、知らぬ間に私が心血を注いで作りあげた研究成果が彼の名で提出されていた。がくぜんとし、何もかも失ったような気持ちになった。

 容姿から性格から散々ののしられ、こっぴどく捨てられてボロボロになったところに、コンビニごうとうと運悪くそうぐうさつされる……と、なかなかヘビーな内容が脳裏でたんたんと映像化され、十歳の私には受け止めきれず──

「いやあああああ!!」

「ぴ、ピアおじようさま!」

 再び意識を失った。

 母やサラのしい看病のおかげで、一週間ほどでようやく頭の中の整理がつき、体調もどうにか起き上がれるほどになった。

 過去は過去だと割り切り、前世の記憶はそっと自分の胸の内にしまっておこうと思うに至ったころに、こんやくしやがおいに来てくれた。

「ピア様、もうだいじようですか?」

「……んだ」

 同い年である婚約者のルーファス・スタンこうしやく令息の、光の加減で銀にもかがやくアッシュブロンドの髪の毛と白磁のようななめらかなはだ、まだあどけなさの残る、丸くどこまでもんでいるエメラルドグリーンのひとみを見たたん、再び前世の記憶がぶり返し、あいさつすらできずひざからくずれて失神した。

「ピア様!?」

「お嬢様!」

 彼は前世で院生仲間にすすめられて遊んだスマホのアプリゲーム『キャロラインとにじいろ魔法菓子マジツクスイーツ』〈ファンの間のりやくしようはマジキャロ〉のこうりやく対象者ルーファスだ。無課金でエンドまで行けたからハマったんだよね……。

 私は乙女おとめゲームに転生してしまったのだ……。


 ゲーム〈マジキャロ〉の主人公はせい育ちのキャロライン。実の親のだんしやくに見つけられ、国中のエリートが集まる王立アカデミーに三年生で編入学する。自分しか作れない魔法を練り込んだぼくな菓子〈虹色のクッキー〉で、アカデミーで出会った攻略対象のつかれをいやし、選んだヒーローと結ばれるエンドとなる。

 ゲームのスタート画面は、エプロン姿のキャロラインがオーブンの前で焼き菓子の乗った鉄板を取り出し、そんな彼女を五人のイケメンがごくじようみをかべて取り囲んでいた。真面目で世間にうとい私が手を出したくらいだから、けっこうな数のユーザーがいたと思う。

 私はメインの王太子ルートのエンドをむかえたら満足してやめたけれど、ねつれつなファンである友人が他のルートを解説してくれた内容を、ぼんやりと覚えている。

 確かクールキャラわくであるルーファスルートの場合、さいしようとしてデスクワークで疲れ果てた彼におを食べさせる。婚約者が『毒見もしていないものを!』とおこってお菓子を捨てる。それを知ったルーファスが怒って婚約者を国外追放し、キャロラインと結婚。バリバリ働く夫に『お疲れ様でした』と毎日手製のクッキーを口についっと入れて、元気モリモリエンディング……だった。

 私、黒いシルエットだけでイラストも名前も出てこなかったそのモブ婚約者だわ。

 お菓子を捨てるのはおぎよう悪いにしても、それだけで国外追放? 一周回って笑える。

 ルーファスは宰相という重職を歴代はいしゆつする侯爵家のちやくなん。宰相といえば前世で言う総理大臣。おまけにこの世界は前世よりもぶつそうだ。彼の婚約者として毒殺の可能性のある事象をはいじよするのは当然である。

 そもそも婚約者のいる男にちょっかい出す女なんてクズ! 婚約者がいるのに他の女と密会を重ね、その女をかばうとか男もドクズ!

 さらにこの〈マジキャロ〉のようしやないところは、たとえばヒロインがメインの王太子ルートでエンドを迎えたとしても、他の攻略対象者全員が『あなたと結婚できなくとも一生守って生きていきたい』と言って、しようがいを通しヒロインを支えることをちかい、それぞれの婚約者はじやだとばかりに全員婚約されて国外追放されてしまう。

 ヒロインが一人の男に定めても、まだ他の男にも愛され続けるというひたすらヒロイン至上主義のゲームなのだ。

 そして悪役令嬢という立ち位置の婚約者は、どう転がろうが、公衆の面前で断罪されてバッドエンドを迎える。

 前世の実体験と、ゲームでのぞんざいなモブあつかいの私がグルグルと脳内ループして、際限なくへこむ。

 私はまた、恋人(今世では婚約者)だと思っていたのに、『お前のかんちがいだよ、バーカ!』って捨てられる運命なのか……きっとそうなんだ……だってここはヒロインのワンサイドゲームのばんじようで、私はなんのとくちようもないシルエットモブ悪役令嬢だもの。勝ち目など、あるわけがない。

 しかもモブゆえに情報が少なすぎて、悪役をかいする糸口など全く見いだせない。

 ああ……またなの? ……かんべんして……。

 ルーファス様は九歳の時、そうほうの親に決められた婚約者。月に一度ほどお茶をして、愛はなくとも一緒に家を盛りたてていこうというほんわかとした同士感、情は生まれていた。このとしごろなりに彼を生涯支えていこうと決意するほどには。

 十歳の私は、子どもだから、わんわん泣いた。

 先々傷ついて捨てられる運命が決まっているのなら、今、情が愛に変わる前に捨てられたほうがマシだ。

 今世の父、ロックウェル伯爵は中央の政争とは全く関係のない王宮内の研究所で薬学にぼつとうしている。たまに研究が実用化することもあるが、ドカンともうかるものでもない。

 領地運営はトントンで金回りも良くはないけれど、欲をかかなければ我々家族も領民も食うには困らない。くりいろの髪は最近うすくなり、いかにもモブの父親だ。

「ピアが元気になる薬も作れないなんて……私の研究などなんの役にも立たないな」

 悲しげにそう言って、不器用に娘を愛してくれる私と同じ瞳の父。

「ピア、何がそんなに悲しいの? 大丈夫よ。いい子ね」

 そして泣き続ける娘の背をさすり、なぐさめてくれるいろの髪に、温かな茶色い瞳の母。

「父上の薬は人には効かなかったけれど、一気にアブラムシを殺し、多くの農家を救ったではありませんか!」

 もっと不器用になぜか父を慰める、父と同じく学者肌の真面目で余計な一言の多い、私とそっくりな瞳と髪の色を持つ兄。こんなだから妹のこんいんを利用し出世を目論もくろむようなじようしよう志向など持っていない。

 相変わらず男運はなくとも、家族にはめぐまれているので、よかった。

「お父様、お母様、お兄様……ありがとう」


 * * *


 倒れて数日後、改めてルーファス様がお見舞いに来てくださった。

 私はベッドを出て、自分の部屋の小さな応接セットでもてなす。小さなむらさきの茶器は私のお気に入りで、ルーファス様だけに使う、とっておき。そっと上座のルーファス様にお出しして、私も正面にすわる。

「ピア様……先日は目の前でたおれられておどろいた。ずいぶんせたね……顔色も今一つだし、本当に調子はよくなったの?」

 今日の私のよそおいはオフホワイトのかざのないワンピース。これから話す内容を考えて清潔感さえあればいいと思って選んだのだけれど、体重が落ちたためにぶかぶかだったので、サラが茶色いビロードの布地でウエストをぎゅっとしぼり、リボン結びしてくれた。

 髪もうと激しい頭痛がぶり返すので、やはりオフホワイトのレースリボンをカチューシャのように結んだだけ。

 それをさつそくかれた。何一つ見落とさない人だ。

「……実は……あまり調子がよくありません。どうやら先の病ですっかり体も心も弱くなったようで……侯爵家を妻として取り仕切ることなどできそうもないのです」

 この気持ちはうそではない。まごうことなき本音だ。

 病気になる前はいいごえんだな~と、のほほんと考えていた。しかし二十代だった大人の思考が混ざった今、私ごときが現宰相を務める侯爵家にとつぐなんてありえない! 無理だと首をる。完全に力不足だ。

 それに……私なんて今後非の打ち所がないかつやくをするルーファス様には相応ふさわしくない。彼を支えられるような才は一つとしてないもの……。

 前世の彼氏からの人格存在全否定を思い出した私は、すっかり弱気だ。女として、人としての自信が全く持てない。気持ちをえたくとも傷が深すぎて、どうにもできない。

「……そうなの?」

 ルーファス様がコテンと首をかしげる。

「はい。よろしければルーファス様から婚約を解消していただけないでしょうか……」

 格下のからは言い出せない。

「へーえ……この婚約、家同士のみならず、王家もんだ、この国のパワーバランスを考えて調ととのえられたえんぐみだとわかってる?」

 カップを片手にとても同い年と思えない切れ味バツグンの視線を流される。してしまいたい! でもここが正念場だ。声を必死に絞り出す。

「は、はい。大変申し訳ございません」

 今日この話をすることは一応両親のりようしようみだ。げっそり瘦せ、フラフラと力なく歩く私を見て、これは確かに無理だと思ったようだ。解消するならば両家にとって早いほうがいい。

 両親は自分たちがルーファス様に頭を下げるとも言ってくれた。このように身も心もヨロヨロな私には重い仕事だと思ったのだろう。

 しかしスタン侯爵夫妻はぼんじんにはわからないほどにおいそがしく、ルーファス様はいつも供を一人連れただけで我が家をおとずれる。おだやかではない話をするのにこちらだけ保護者付きなんてフェアじゃない。どんなに無様な姿をさらすことになろうとも、私が一人で対処しなければ!

 パワーバランスと言っても、父が宰相閣下のばつに入れば同様の効果が得られるだろう。

 ルーファス様は我が家のブレンドティーのかおりを楽しみ一口ふくんだあと、よくようのない声で私に告げた。

「私と婚約解消などしたら、君、一生もらないかもよ」

「承知の上です。私に殿とのがたつなぎとめるりよくなどありませんもの」

 重々思い知っているわ。再び前世の彼氏と、彼氏の本命の女とはちわせしたしゆを思い出し、苦しいのをまんして私は無理やり笑ってみせた。

「いや、そこまでは言ってないけれど……そうなると君、伯爵家でお荷物扱いされるのでは?」

 確かに兄が結婚ししやくいだら、私の居場所はなくなるだろう。しかしそれは現世であれ前世であれ特別なことではない。

「その時は平民になり、つつましく暮らします。あ、アカデミーだけは将来のはくが付きますので父に土下座して通わせてもらいます。ざわりでしょうがどうかすれ違っても無視してくださいませ」

「ふーん。わかった」

 そう言って、ルーファス様はカップをソーサーにカチリともどした。

「あ、ありがとうございます!」

 よかった。ルーファス様、思いのほか、話のわかる方でした!

「どういたしまして? 君の並々ならぬかくはよくわかったよ。ということで、本当の理由を教えて?」

「は?」

「前回、私の顔を見たしゆんかん、ぶっ倒れたよね。あの瞬間何をさとったのか、話してくれる? 何を言っても不敬には問わないから安心して?」

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