その②


 のらりくらりとはぐらかしてみたものの、宰相令息はにっこり笑って全く乗ってくれず、私のとなりに移動して座り、膝がつくほど体を寄せてくる。圧をかけられあせを流し、数分で追い詰められ、私は洗いざらいかされた。

「えーっと、整理するよ。あの時、私の顔を見た瞬間、君は神のけい……予言を受けた。これから七年後、アカデミーの三年生になった私たちの前にきんぱつももいろの瞳のキャロラインという男爵令嬢が現れ、私と王太子含め五人が彼女のとりこになる。そして婚約者である君になんの落ち度もないのに、この私が! こいおぼれて! 卒業パーティーの場で! 君にえんざいをふっかけて! 国から追い出すと!?」

 ルーファス様がとても十歳とは思えないただよわせる。たまらずからすべちそうだ。

 で、でも、ひるむわけにはいかない!

「そ、そうです! 信じてくださるとは思っていません! でも予言に間違いないことは、なぜかわかるのです!」

 多少の無茶もし通るのだ。それが乙女ゲームだもの。

 ルーファス様は次期宰相らしく、少しずつ感情をコントロールされ、ピリピリとした空気がじやつかん弱まった。

「ピア様……もうピアでいいな? ピアの言う予言はこうとうけいと言うにはところどころ具体的で、もうそうって捨てるにはちゆうちよする。少し時間を貰っていいかい? ひとまずそのラムゼー男爵家? をあたったり……」

「ダメです! すみやかに婚約解消してくださいませ。お願いします! もう、これ以上傷つきたくないの! あんな思いをするのなら、今、断ち切ってください!」

 ルーファス様はなみだで頭を横に振る私をじっとのぞみ、少し思案して……クールダウンするためか、話題を変えた。

「……その前にピア? 君が言うように家を出て市井に落ちたら、女の子一人、どうやって生きていくの?」

「それはあのっ、化石を探します」

 前世の私は理学研究科古生物学専攻の博士課程院生だった。この世界にはまだ化石というがいねんはない。異世界であろうと太古より生物もヒトも営みがあったわけで、化石……ひょっとしたらきようりゆうのものもどこかにまっているかもしれない。私はルーファス様に化石の概念を説明する。

「その、『化石』? を見つけてどうするの?」

「まず、探す工程がワクワクします。そう簡単には見つからないと思いますが、発見したら、貴重でなければ売ります。どこの世界にも歴史好きやめずらしいものに目がない金持ちはおります。そしてうれしくも世紀の大発見をした時は、ミュージアムを作って展示し、私はその建物の学芸員……展示品の説明と保守管理点検をする係になります。ぜいたくをしなければ十分に生きていけると思います」

 私は少しでも伝わるように必死で言葉をつむぐ。

「ふーん。でもね。やはりなつとくできない。私が本当に婚約者である君をほっぽり出し、貴族の責務も放り出して、その女にのぼせると?」

「先ほどルーファス様もおっしゃったではないですか。私との婚約は政治の都合でしょう? キャロラインと出会い本当の愛を知れば、私など……今からどれだけ努力しようと目障りに感じるようになるのでしょうね……」

〈マジキャロ〉でしようさいびようしやされていた、本命ルートの王太子とキャロラインの温室デートを思い出す。そのかげで意地悪を画策する王太子の婚約者のアメリア。

 アメリアを私に、王太子をルーファス様にえて想像する。大好きな人の裏切りの現場に鉢合わせするその映像は、あまりに前世の記憶に似ていて、胸の中が絶望で真っ黒になる。

 でも私は弱気なチキンだから、アメリアと違ってワインをドレスにかけるとか、仲良しのご令嬢といつしよに大声で非難するとか派手なこうはできっこない。一人けに自分のまくらに当たるだけだ。幼い私はますます涙をじりにじませる。

「好きな人にきらわれるなんて……もうえられないもの……」

 うつむいてしたくちびるをぎゅっと嚙む。ただの想像で涙を浮かべるなどなんたる失態。

「どれだけおしたいしてもお慕いしても、きっと……かなわない。私の恋は静かにほうむることも許されず、あなた様自身にバリンとこわされるの。モブだったから追放後の様子なんて描かれてなかったけれど、きっと国外でじわじわと壊れてれるように……」

 ゲームの画像と前世の体験が脳裏で混ざり合い、ボソッと心の声が出てしまう。自分の言葉で自分の首をめて再びどん底に落ち、両手で顔をおおう。

「お、おい、大丈夫か!? 私は予言の中で、そこまで君にひどい仕打ちを? ……ピア……そんな顔……うちの侯爵家との縁がしいだけではないということか。確かにこのロックウェル家は建国以来中立を保ち権力にすり寄る動きは見せたことなどない……ということは、君はここまで傷つくほどにじゆんすいに私のことを慕ってくれていると? いつの間に……。他の女どもと違い私という個を認め、長き将来を共にと思ってくれていたと……そうか……。はあ、まいったな。ピア、顔を上げて?」

 何かぶつぶつと熟考していたルーファス様にうながされ、ノロノロと手を顔から膝の上に戻す。

「ピア、申し訳ないが婚約は続行するよ。たった今、私のはんりよは君にすると自分の意思で決めた」

「なっ! ど、どうして?」

 思わず目が点になる。

「私の隣で、私がピアを裏切らないところを見ていればいい」

 ルーファス様の背中でとうがメラメラと燃えている! なぜに!?

「そんな! 困ります! もしそのようにらされて、結局キャロラインを好きになられたら、その時こそ私には選ぶ道がないではありませんか! すぐに婚約解消し、親に養ってもらえる今から研究を始めなければ大人になった時に食べていけません。それにこの歳での婚約解消であれば傷はまだ深くなりません。しやく、男爵位の方であれば、私をめとるおやさしい方がいらっしゃるかも……って、ひぃいいい!」

 なぜか、ルーファス様の背中にどうみようおうが見えるっ!!

「ピア? たった今、君を私の伴侶だと言ったのに、他の男の話をするなんて、悪い子だね?」

「わ、悪い子!?」

 もうすでに悪役令嬢ってこと?

「本気で、私が婚約者を裏切るような男だと思っているんだ。私のプライドが傷ついたよ」

「ルーファス様だからどうこうと言う気はありません! ただ、恋はもうもくと言うではありませんか!」

 私だって、あんなクズみたいな男の優しい言葉に、コロッと溺れた。

「この私がそうなるとでも? まあでも君が本気でおびえていることはわかった。よし、一つけをしよう。万が一、私がアカデミー卒業時点で君を裏切り、そのキャロラインとかいう女の横に立っていたら、一億ゴールドのばいしようきんと生涯の侯爵領への立ち入り許可をあたえよう。そこではつくつ? した物の権限は君が持っていい。それで現状は婚約続行。どう? 君に売られたケンカ、買ってやるよ」

「一億ゴールドなんて、私、持ってません!」

 私は半泣きで答える。

「ふふっ、ピアが負けた時ははらわないでいいよ。私のプライドの問題だから。あー本当にピアはおもしろいね」

 あれ、今、侯爵領の立ち入り許可と言った? ルーファス様のスタン侯爵領は確か……

「スタン侯爵領は北の国境、ルスナン山脈全域だ」

 ゆうだいなレジェン川をさかのぼれば……氷河! 全て手つかず! 出る……絶対に大物の化石が出る……。

 これは……乗るしかない。でも、

「しょっ、書面にて、けいやくしていただけるのであれば、考えます」

 前世、散々『好きだ』『愛してる』『結婚しようね』と彼氏に言われた。でも全部噓で、お金も博士号に向けた研究成果も自尊心も何もかもうばわれた。口約束など信用できない。

しんちようなんだね。ますます気に入った。宰相職の妻が軽はずみにだまされるようでは笑えないもの。いいよ。ペンと紙ちょうだい」

 ルーファス様はサラサラと契約書を書き上げた。それは子どもだましのものではなく、前世の大人の視点で見て、しっかり法的こんきよとなりうる書面だった。

 先ほどの賭けの内容が、かたい言葉でキチンと記してある。その最後の一行に目が留まった。

なお、上記の事例が発生しなかった場合は、おつこうと婚姻し、速やかに甲のもとに住まいを移す』

「最後のこの一文、必要ですか?」

「……ちゃんとその細かい文字を全部読んだんだ。人のこと言えないけど本当に十歳? 金に簡単に目がくらまないその姿勢、ピア、本当にいいよ。婚約の先に結婚があることはつうだろう? 今までの婚約となんら変わらない。ただ、君の利になることばかり書いては私のエサがないだろう? 私だって、予言? に打ち勝った時のごほうが欲しいよ」

「ご褒美……必要ですか? っていうか、このもんごんがご褒美になりますか?」

 私は思わず首を傾げる。

「必要だしご褒美だね。今日知った君の心根の愛らしさは別にしても、証明されるには少し時間がかかるが……神の啓示を受けることができて、『化石』というこれまで存在しなかった概念で富と名声を約束する将来性だらけの女……王家にでもさらわれたらたまらない。私も口約束など信用していないんだ。さあピア、署名して?」

「は、はい」

 ルーファス様がにっこり笑うのが何かあやしくて、私はもう一度全文を読む。やはり、私に有利なことしか書いていない……ように見える。私はエイっとサインした。ルーファス様よりもうんと幼い字で。上下に並ぶと情けないことこのうえない。

「どうした? 急に落ち込んで。やはりこの契約、いやなのか?」

「いえ、ルーファス様の字があまりにれいで……凹みました。今日からしんけんに練習します」

 おや? ルーファス様が少しほおを染めた。

「いや……字をめられたことなど初めてだ。努力を認められると嬉しいものだね。ありがとう。私の字、好き?」

「はい、とても。読み手のことを考えた優しい文字ですもの」

 そっと今書かれたルーファス様のサインを人差し指でなぞってみる。

「あー、ダメだ。そつちよくすぎて、クル。まいった」

 そう言うとルーファス様は私の肩に手を回し、ぴたっと体を引き寄せて、頰にキスをした。

「え? は? え?」

 思わず頰に手をやる。

「キスくらいするよ。婚約者だもの。私たちは親にあてがわれただけでない、自分たちで納得し、契約した婚約者同士なのだから」

「そ、そんなものですか?」

「そうだよ。さあ婚約者殿どの、ピアはまだがりだから、今日はおとなしく字の練習をして過ごそうね。教えてあげる」

 ルーファス様は私をエスコートして立たせ、づくえに連れていくと、なぜか自分が座って私を膝の上にせた。

「え? は? なんで?」

「私の字が好きなのだろう。こうしてかかえるほうが、教えやすい」

 ルーファス様はがらな私よりも頭半分背が高い。それが膝に載るとちょうど目線が同じ高さになり、私のかたしに顔を出して机を覗く。

 ほっ、っぺたくっついてますっ! あ、さっきそこにキスされたんだ……。ルーファス様、なんだかレモンのようなかんきつ系のいいにおいがする。だから近いんですってば!

 テンパる私をよそに、ペンを持った手の上にそっとルーファス様の手が重なる。私の左手を紙を押さえるように置いて、ご自分の左手は私のこしに回った。背中にルーファス様がおおかぶさる。

 もうわけがわからない!

「な、な、な……」

「私の手の動きを覚えろ。なぞればなぞるほど、似せることができる」

 ルーファス様の少しだけ大きな手が私の手の甲を包むようににぎって、教本のような字を書かせる。

 この部屋は、他にだれもいない。

 私たちは十歳の子どもで、二人とも大人にとても信用されているのだ。ドアは開け放たれているけれど、お茶のセッティングが終わった今、ルーファス様がかえたくをされるまで、サラもルーファス様の付き人も来ないだろう……。

「ひ、ひっつきすぎではありませんか?」

「どうして? くなりたいのだろう? 幼い頃家庭教師にこのようにして習ったはずだぞ?」

 ルーファス様が、問題でも? と頭を傾げる。美少年のその様子は可愛かわいすぎて目がくらむ!

 わ、私が意識しすぎているのかしら? 子どもはここまでセーフだっけ?

「君は私が裏切るという予言を信じている。けれど、私は浮気男になるつもりはない。そしてこの私がどこかの誰かにめられるなんて断じて許さない。ピア、私はおのれのプライドをかけて、君だけを生涯愛し抜くと宣言するよ。うちの一族は勝負事が案外好きでね、困難であればあるほど……燃えるんだ。かんぺきに勝ちにいくから。とりあえずピア、君の温かな薄灰色の瞳で、私以外の男を見つめてはダメだよ?」

 そう言ってにっこり微笑ほほえむルーファス様。小一時間ほどしかっていないのに昨日までと全然表情が違う。うそくさくないっていうかかたさが取れたっていうか……秘密を共有したから?

 随分と……きよが近くなった気が……(物理的な意味でも)。

 なんか……変なスイッチ入っちゃってたりして……。


 とりあえず私と攻略対象ルーファス様との婚約は、いたずらに彼のプライドをげきした末に続行することになった。思いもよらぬ展開についていけない。

 しかしそもそも格下である我が家がスタン侯爵家に逆らえるわけがなく、賭けにも乗ってしまった。当面はルーファス様の婚約者で次期侯爵夫人予定者に相応しい教育を受けて過ごしていこう。そうして身についたことは、たとえ将来どんなきようぐうに落ちようとも役に立つと信じて。

 そして、やはり〈マジキャロ〉どおりの未来になった場合のために、前世の記憶をていねいに思い出して、化石で生計を立てられる準備を着々と進めよう。

 それとへいこうして、捨てられた時にズタズタに心がかれてしまわないよう、脳天気な夢など見ずに、あらゆる可能性を事前に想定して不意打ちをなくす。自分のむき出しの心を厳重にグルグルと覆い、守るのだ。

 前世のような思いをするのは……一度で十分だ。


 でも、運命の日はまだ八年も先だもの。少しは子どもらしく楽しんで過ごしてもいいでしょう?


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