第22話 ガム・クールズという男
待ち合わせ場所に集合した僕たちは、近くにある映画館へと足を運んでいた。駅の近くという事もあり、都会ではないものの多くの人で賑わっていた。
本来の目的、つまりは犯人の炙り出しの意味もあるので、それとなく周囲を確認するが、夕凪さんに告白した八人の男子生徒の姿は見えない。
夕凪さんの方をちらりと見ると、彼女も彼女で周囲を確認していた。……双眼鏡を使いながら。
「いやいや夕凪さん、歩きながらの双眼鏡はやめた方がいいよ。もし転んだりしたら危ないからね。せっかくのデートに流血なんて僕嫌だぜ?」
それに不審者に見えるし。
「確かにそうね。これじゃあ近くがよく見えないもの。なら私が転ばないように支えてもらえるかしら?」
ふぁああああっっっっ!?!? えっ? えっ!? ええっ!? なんだこれ! 何なんだよこれ!? 何か急に抱きついてきたんだけど! いい匂いするし柔らかいしひんやりするし柔らかいしヤヴァイんですけど!!!! ちくしょうっ! 意識がっ……意識が飛ぶっ! 耐えろ、耐えるんだ僕!
「あらあら坂鳥君、一体どうしたのかしら? もしかしてなのだけれど、可愛い女の子に抱きつかれて緊張しているのかしら」
夕凪さんが横で何か言っているけど、反応している暇なんて正直ない。僕の頭の中ではおっぱいを意識しないようにすることしかないのだから。
「ちなみになのだけれど、私はDの称号を持っているわ。このアルファベットが何か、今の坂鳥君ならピンと来るんじゃないかしら」
ディッDだと!? えっ嘘、もしかしなくても僕の右腕に押し当てられているコレの事を言っているのか? こっこれがDの感触……いやいや意識するんじゃない坂鳥潤! こんな街中で興奮するわけには行かない。落ち着け、落ち着くんだ僕!
「喋らなくなっちゃったわね。ごめんなさい。こうすれば犯人もこっちに注目すると思って。まぁ、あまり変な事をして坂鳥君を困らせるのも申し訳ないし、今回はこれで勘弁してあげるわ」
そう言った後、夕凪さんはゆっくりと僕から体を離す。その行動に、さっきまで感じていた緊張とは違う、ほんの少しの寂しさのようなものを感じた。全く、現金な男である。
だが、体が解放されたのも束の間、右手に冷たい感触が広がった。夕凪さんに手を握られたようだ。
「意地悪はもうしないわ。でも、エスコートお願いね?」
「う、うん」
散々時間をかけて絞り出せた言葉は、だったのこれだけ。多分僕の顔は真っ赤になっている事だろう。でも許して欲しい、これでもいっぱいいっぱいなのだから。
でも腕に抱きつかれた時よりは落ち着く事ができている。さっきより少しばかり心に余裕が生まれた。僕は夕凪さんの顔をチラリと見やる。
「ん? どうかした?」
僕の視線に気がついた夕凪さんが、首を傾げて聞いてくる。
「ううん、何でもないよ」
よく見ると夕凪さんの顔も少し赤くなっている事がわかる。緊張しているのは僕だけじゃない。それが分かっただけでも少し落ち着く事ができた。
「ふふっ、ようやくいつもの坂鳥君に戻ったみたいね。さぁ、そろそろ映画館に着くわよ」
「そうだね」
「グッズとかは売っているかしら」
「まだ時間あるし、チケットだけ買ったら見てみようよ」
「そうね、そうしましょう」
そんな話をしている内に映画館があるショッピングモールに辿り着く。ショッピングモールの壁には、今やっている映画のポスターが貼ってある。もちろん、今日僕たちが観る予定のパッションインマッシブルのポスターもその中にある。正直な話、集合場所はここでも良かったんだけど、せっかくの初デートだし、駅のモニュメントの前に集合というのをやってみたかったんです。
「ここまで来ると映画館に来た実感が湧くわね」
パッションインマッシブルのポスター前に立った夕凪さんがそんな事を言ってくる。
「そうだね。僕もここまで来てやっとパッションインマッシブルの実在を信じる事ができたよ」
主演のガム・クールズって誰だし。
「まだ疑っていたのね。あの有名俳優ガム・クールズが主演なのよ?」
「そのガム・クールズが分からないんだけど」
「ふぅ、仕方がないわね。私がいたから説明してあげるわ。とりあえず中に入りましょう」
「りょーかい」
やれやれとアメリカンなポーズをされた後、ショッピングモールの中に促される。中に入った僕たちは、エスカレーターを探し、映画館のある三階へと登っていく。
「さて、ガム・クールズについての基本知識を教えてあげるわ。まず大事な部分として挙げられるのは、アメリカ生まれである事、そして親日家である事よ。あの大国であるアメリカのトップ俳優が、親日家というだけで喜ぶ人も多いわ。そしてあの甘いマスク。こっちに向かって微笑んでくれるだけで失神する人もいたそうよ。まぁ、そこまでなら他にも似たような俳優は沢山いるのよ。でも彼はそれだけじゃない。このパッションインマッシブルという映画なのだけれど、この映画、アシスタントを使わない体当たりアクションが魅力でね。大物俳優なのに全てが命がけ。実際、ガムは撮影中に大怪我をした事もあるそうよ。それでも彼は体当たりアクションをやめないの。それどころかアクションはシリーズを追うごとにどんどん苛烈になっていくのよ。目を瞑りたくなるような時もあるけど、それでもついつい見てしまうのよね。怖いもの見たさという奴かしら。私は毎回これだけは映画館に足を運んで観てしまうのよね」
クッソ喋るやん! えっ、普段ここまで熱弁することなんてあったっけ? まぁ、それだけこの映画を楽しみにしていてくれたということなのだろう。普段あまり見ることのないイキイキとした夕凪さんの表情に少し驚きつつも微笑ましく感じてしまう。
「何かしら?」
喋りすぎた自覚はあったのだろう。顔を少し赤くしてジト目で僕のことを見てくる。
「いや、楽しみにしてくれたみたいで嬉しいよ」
「そっ、ならいいのだけれど。あら、もう目的地に着いたみたいね」
話に夢中になっていて気がついていなかったのだろう。少しびっくりした表情をしている。今日は夕凪さんの色々な表情が見られて少し嬉しい。
「だね。じゃあ早速チケットを買おうか。二枚買ってくるから夕凪さんはここで待ってて」
財布を取り出し、チケットカウンターへと向かう。いつからなのかは分からないが、今時のチケットカウンターは無人になったようで、コミュ障の僕でも安心して購入する事ができるのだ。チケットを購入した僕は、夕凪さんの元へと戻り、チケットを一枚渡す。
「真ん中らへんの結構いい席が取れたよ。何か食べ物は買う? 買ってくるけど」
「ちょっと待ちなさい」
売店に向かっていた足を止め、夕凪さんの方に振り返る。振り返った先ではなぜか夕凪さんが腕を組んで僕のことを睨みつけていた。
「坂鳥君。もしかしてなのだけれど奢ったりしようだなんて考えてはいないでしょうね」
どうやら僕のしようとしている事はバレているらしい。本当はスマートに決めたかったのだが……
「ははっ、全部とはいかないけどさ、これくらいは奢らせてよ」
「いいえ。そんな事は許されないわ。私はね、坂鳥君。ガム・クールズの作品だけは全て自分のお金を投資するって決めているの。いくら坂鳥君でもそれは許されないわ」
「何そのこだわりっ!? まぁ、夕凪さんがそれでいいなら僕としては構わないけど」
「今後も余計な気遣いはしない事ね。そもそもの話、私からお願いした事なのだから」
「そうは言ってもやっぱり見栄を張りたいんだよ男の子は」
「とりあえずこれがチケット代よ、受け取りなさい」
夕凪さんは肩からかけていた小さめの黒いバッグから白い財布を取り出し、お金を僕に渡した。
受け取ったタイミングで開場のアナウンスが鳴る。
「いいタイミングね」
「そうだね。じゃあ中に入ろうか」
そう言って僕たちは入り口でチケットをもぎり、中へと進む。中は仄かに暗くなっていて、それだけで臨場感のようなものが湧き上がってくる。
映画の開演が楽しみだ……あれ? 結局飲み物買ってない? まぁいいか、今更買いに行くのもあれだしね。
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