第11話 極天門

変な雰囲気で終わってしまった初めての勉強会から数日、あの後特に関係がこじれることなく、きわめて普通に、そこそこ楽しく放課後に勉強をしていた。


 僕の資料作成能力はどんどん上がっていくし、玄さんも一年生の範囲は理解できるようになってきたので、現在は月末から六月の頭にある中間テストに向けて、一緒に頑張っている次第である。


 今日もいつもと同じように第二学習室へと足を運び、間に会話を挟みつつも真剣に勉強をしていた。


 そんなある日のことである。キリがいいところまで終わったのか、勉強を中断していた玄さんが珍しく話を振ってきた。


「なぁ潤、今日の放課後、ちょっと時間空いてるか?」


「そりゃあまぁ特にやることもないけど、珍しいね。玄さんからお誘いしてくるなんて」


 僕はその初めてのお誘いに内心嬉しく思い、少しだけ口角を上げた。しかしここであまり揶揄ってはいけない。そんなことをしてしまってはシャイな玄さんがいじけてしまう。だから僕は文字を書く手を止め、なるべくしゃべらないようにして言葉の続きを待つ。


「腹減ってないかと思ってよ。実は帰り道に馴染みのラーメン屋があってな、まぁ味は結構こってりしているんだが、付け合わせのチャーシューが厚切りでよ、麺も太くてすごく美味いんだ。どうだ?」


「いいねこってり。話を聞いていたら僕もお腹空いてきたよ。お金も特に問題ないし帰りに寄ろうか。玄さんの家の方向ってことは僕の家からもそれほど離れていないと思うんだけど、ラーメン屋さんなんてあったっけ?」


 そう、実は僕と玄さんの家は結構近いのである。ということは水柿さんの家にも近いわけであるのだが、今まであったことがないのが残念だ。


 しかしラーメン屋か、流石の僕でもラーメン屋が近くにあったらすぐに気が付くと思うんだけど……そういえば大通りから住宅街に逸れる少し手前で、すごく美味しそうな匂いがするおじさんとすれ違ったことがあったっけ。


「まぁ、厳密に言うと帰り道からは少し逸れるんだがよ、そんなに距離はない。穴場なんだが外装があんまり綺麗じゃなくてな、本当にラーメンが好きな人間しか来ないらしい。極天門ごくてんもんっていうんだが知ってるか?」


「なんだその聞くからにヤバい名前は、聞いたことがないよ。本当に人間が立ち寄って大丈夫なところなんだよね? 入った瞬間変な組織に入会させられたりしない? ちょっと怖くなってきたんだけど……」


「多分大丈夫だろ。俺は何ともなかったしな」


 玄さんは少し笑いながらそんなことを言う。


「それは玄さんだから何ともなかっただけなのでは?」


「どういう意味だよそれ」


 当然の疑問を投げかけただけなのだが……


「まぁ、何があっても玄さんがいれば大抵の事は大丈夫か。いざとなったら壁にして逃げればいいし」


「どんどん言動に遠慮なくなっていくよなお前」


「それに玄さんのおすすめだしね」


「……ちっ、早くいくぞ腹減った」


 あらら、完全にすねちゃったよ。


「りょーかーい」


 そういって僕たちは机の上に出していた勉強道具一式をしまい、第二学習室を後にする。






◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆






 そして僕たちは今、件のラーメン屋の前に立っていた。


 玄さんは外装が汚れているから人があまり来ないといっていたが、予想よりも全然マシだった。ところどころ塗装が剥げてはいるが、僕にはそれが歴史のあるラーメン屋に思えてかえって好感触だ。なぜこのラーメン屋があまり人が来ないのかまったく分からないと思ったほどである。


 だがしかし、そう思ったのは一瞬だけだった。そもそもの問題は他にあったのだ。それを一つずつ説明していこう。


 一つ目は、看板の周りの骨組みが錆びて塗料か何かが流れてしまったのか、まるで血が滴っているように見える極天門の文字。怖い。


 二つ目が、その看板の両サイドにいる鬼の彫刻である。この鬼の彫刻、すごくリアルなのである。本物の鬼ってこういう見た目なのかなって思わせるそんな彫刻。そしてなぜかこの鬼、各々少しずつ壊れているのだ。右側の鬼は目が抉れていて、神経のような何かがまだ繋がったままなのか、落ちずに頬のあたりでぶら下がっている。それに対して左側の鬼は顎の骨が外れているのかぷらぷら動いていて、まるで喋っているように見える。かなり怖い。


 そして最後に、これが一番の問題なのだが、お店の窓から見える店主らしき人間の顔がヤバイ。まるで薬物をキメた人間のように瞳孔が開いていて、口も半開きでずっと一人で笑っている。すごく怖い。


 うん、ちょっと待って。本当にここに入っていくの? ねぇ、厚切りチャーシューの素材って僕じゃないよね? 嫌だよまだ彼女が出来たこともないのにこんな所でチャーシューになるなんて。


 そんな僕の怯えた様子を無視して玄さんが暖簾を潜って行くので、仕方がなく、だけども慌てて僕も中に入った。


「大将。ラーメン頼む」


「おう玄坊げんぼう珍しいな。キヒヒヒヒ、今日は一人じゃないのか」


 玄さんに大将と呼ばれた男はやはり、さっき入り口から見えた男だった。


 本当に店長でいいんだよね? 何か笑い方もすごく特徴的だったけど。


「あーまーその、何だ……ダチ連れてきた」


 ヘッヘッヘ、ダチ、ダチだってさ! 他の人に紹介してもらえると一気に嬉しくなるもんなんだね。何だか店長の少し怖く無くなってきたぞ。 全然怖くない。さっきまでヤバいと思っていた見た目や笑い方も何だかチャーミングに見えてきた……いや、それはないか。


「本当に知り合いだったのか! キヒヒヒヒ何だか嬉しいねぇ……そうだ! 今日はトッピング無料で付けてやるよ。ライスも付けてやる。ラーメンはいつものでいいか? 好きな席に座って待ってな」


「おう、ありがとな大将」


 僕は玄さんに促されるままに奥へ向かい、そこにあったテーブル席に座った。


 テーブルに置いてある水の入ったポットは水と氷が沢山入っていて、レモンの薄切りまで入っている。そして入り口にはそれとは別にウォーターサーバーがあり、そちらにはレモンの輪切りは入っていないようだ。


 店内は隅々まで掃除が行き渡っていて不潔さを全く感じないし、全体的に木で造られているから暖かみを感じる。


 外観からは全く想像していなかった内装だった。


「まるで玄さんみたいなお店だね」


「どういう意味だよ。ここさ……俺のお気に入りの店なんだ。だから、その、何だ? お前に教えておきたかったんだよ。最近色々勉強とか見てもらっているだろ? そのお礼も兼ねてな」


 その後もなんだかんだと話をしていたら、厨房の方からすごく良い匂いがただよってきた。ふとそっちに目を向けるとお盆にラーメンを乗せた店長がこっちに向かって歩いてきていた。


「へいお待ち! 特製チャーシューメン、トッピング大盛りだ。ライスは横に置いておくからな」


 そう言って店長は慣れた手つきで僕たちのテーブルの上にラーメンとライスを並べていく。


 そして僕は衝撃を受けた。まず目に着いたのは分厚いチャーシュー。何と四枚も乗っていて一つ一つがとても軟らかそうにできている。他に乗っている半熟卵も黄身がトロトロとしているし、メンマも薄っぺらくなく断面が四角くなっている。海苔はパリッとしていて、ネギもみずみずさが見ただけでわかるほどだ。


 なんて美味しそうなラーメンなんだ。食べなくても分かる。このラーメン屋は当たりだ。


 僕も大将と呼ぶことにしよう。


「ほら、食わねえのか?」


 そう言って玄さんは僕に割り箸とおしぼりを手渡してくる。


「そうだね、すぐに食べようか。それじゃあ……」


「「いただきます」」


 僕は割り箸を割り、まずは一口麺をすする。


 う、うますぎる。何だこのモチモチ麺は。しかも濃い醤油ベースのスープとよく絡んで口の中を攻撃してくる。畜生! 負けてなるものか!


 つ、次はチャーシューを食べよう……!? 想像以上に柔らかい。口の中に入れた瞬間とろけていく。しかも柔らかいだけじゃない。少し炙ってあるのか、そのちょっと焦げた食感と匂いがいいアクセントになっている。


 だ、ダメだ……どんどん食べ進めてしまう。






 結局、僕も玄さんも一言も話すことなくラーメンを食べ終えて、店を出ていた。……今度また来よう。


「今日はありがとね。絶対リピーターになるよ。めちゃくちゃ美味かったし」


 帰り道、僕は玄さんと別れる十字路まで来たので、改めてお礼を言う。


「おう、俺も久しぶりに行ったけどやっぱりあそこのラーメン屋が一番だな。また一緒に行こうぜ。じゃあまた明日学校でな」


「うん、また明日」


 そう言って僕たちはお互いの家に向かっていった。


 晩ご飯、どうしよう……

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