第2話
アスタ北部最大の都市ザホーロに“それ”が現れたのは、凍てつく冬の最中だった。
空中に浮かぶ巨大なリング状のリボン。その直径は百メートルはあるが、リボンの厚みはわずか数メートルしかない。だがそこから放射される膨大な熱量でザホーロの街は灼熱地獄と化していた。先に都市交通を破壊してあるので、アスタ人たちが逃げ出す心配はない。
「ちまちまシンイチを探してやっつけるなんて、まどろっこしいことやってられないよ!」
周囲をスクリーンに囲まれた狭い部屋の中。
ソファーにしどけなく横たわる水着姿の少女は、可愛らしい顔をいたずらっぽくにやけさせた。
「このラリイのノウンが、手っ取り早くシンイチをいぶり出して、ついでにアスタ人も焼き尽くしてやるんだから!」
キシシッと笑うと、人差し指をかかげて、くるりと回す仕草をした。
「ほら、もう一発!」
ノウンの端から無数の熱線が放たれて、地上のアスタ人を射殺した。
「ほらほらシンイチ、早く来ないとザホーロのアスタ人が一人もいなくなっちゃうよ〜? キシシッ、キシシシシッ!」
豊かな胸のふくらみが楽しげに揺れた。
「まっ、そしたら次の街へ行くだけだけどね!」
◼︎ ◼︎ ◼︎
シンイチのボッコは、大統領の依頼を受けて、一路ザホーロ市へと向かっていた。上空に巨大なリングが出現し、街を攻撃しているというのだ。現地の魔法騎士団などが反撃を試みているが、まるで歯が立たないのだという。
「あははっ、すっごいよこのソファー、フッカフカ!」
つり目さんことミクラさんが予備のソファーの上で弾んでみせる。
しかし、どうして最初に会った女子中学生たち三人が同行しているのか。
最初は取り調べだった。それが急に大統領に会うことになり、その時に参考人みたいな感じで彼女らも同席していただけだったのに。
「だけど、私たちだけ一人ずつソファーを占領するなんて……ゴメンね、シアン」
おっとりさんことホトリさんが困った顔で笑う。
だがそれに返したのはミクラさんだ。
「いーのいーの、シアンはシンイチと一緒の方が、ね?」
ミクラさんは操縦席に座る僕ら――主にシアンさんに向かってウィンクしてみせた。
ボッコの操縦席は幅広とはいえ一人用だ。そこに僕と二人で座っているシアンさんは、やっぱり窮屈そうに見えた。
てか、女子中学生と身体をくっつけ合って座るなんて、何ていうか、その……ええい、童貞五十歳なめんなよ!(逆ギレ)――という内心のドキドキを隠しながら、なけなしのコミュ力で気遣ってみる。
「ゴメンね、僕なんかと一緒で」
「別に……問題、ありません」
シアンさんは向こうを向いたままメガネを直すだけで、顔を合わせてはくれない。でもこちらに見えている小さな耳たぶがはっきり赤くなっていて、可愛いな、と思う。
ザホーロ行きが決まった時、突然「監視役ならシアンが最適です!」と言い出して、強引に同行を取り付けたのはミクラさんだ。さらにミクラさんは、一番小柄なシアンさんが僕と一緒に座るべき、と強引にこの席順も決めてしまった。こういうことをしても、全然憎めないところが彼女の不思議なところだ。
そして僕は心の中で感謝する。ありがとう、ミクラさん。
「あ、あれじゃない?」
「す、すごい、もう着いちゃったの?」
スクリーンに映し出された巨大な銀の輪。ボッコに記録されていた神体のうちの一つ、ノウンだ。小型の太陽にも匹敵するほどの超高熱を放射している。その姿は揺らめく陽炎の向こうで、輪郭がにじんで見えるほど輝いている。
「ひ、ひどい……」
つぶやいたシアンさんの細い身体が震えているのが分かる。スクリーンの中で、ノウンは次々と熱線を放ち、はるか真下に位置するザホーロの街を容赦なく焼き払っていた。
突然、スクリーンの真ん中に少女の大きな顔が映し出されて、驚く。
「あはは、やっぱりこうする方が早かった! こうして街を焼けばすぐ出てくると思ったんだぁ。あ、意外にいい男じゃない」
くったくない笑顔、そしてなぜ水着姿? しかもビキニスタイル。
「ちょっと! シンイチはシアンのものなんだからね! あんたになんか渡さないから!」
先に叫んだミクラさんに驚いて、僕は思わず振り返った。
え? え? なんだって?
「そうですそうです! 私もシアンを応援します!」
ええっ、ホトリさんまで?
水着少女の笑顔はあっけらかんとしたまま、虫けらを蔑む目つきに変わる。
「あははっ、まさか色仕掛けで懐柔されたの? 笑える! 笑える! サイッコーに下らない男ね、あんた!」
「い、いやっ、そういうわけじゃないぞ!」
……多分。
ちらりとシアンさんを見るが、やはり向こうを向いたままでしきりとメガネの位置を直している。
「ま、いーや。どうせあんたを殺したら、すぐにアスタ人も皆殺しだから。みんなあたしのノウンに焼き殺されるのよ、灰も残さずにね!」
スクリーンの顔が消える。そして再び映し出された銀の輪から、こちらに向けて強い光が放たれた。が、それはボッコに届く前に減衰して途切れた。
「アァッ……あれっ、向こうの攻撃、届いてないの?」
思わず頭を押さえて縮こまったミクラさんが、うっすら目を開けてはてなマークを浮かべる。
「時空凍結フィールドが、あいつの熱線を減衰、遮断しているんです――よね?」
シアンさんが少しだけ顔をこちらに向けて、メガネの向こうから目が合った。
あ、やっぱり頬が赤らんでる。可愛いな。
「そ、そうだよ」
平静を装っても、ついどもってしまう。
「……あ、あんまり、見ないで下さい」
ああ、またそっぽ向かれてしまった。
「シンイチさん、輪っかが!」
ホトリさんの声にスクリーンへ視線を戻すと、銀色の輪がゆっくりと起き上がり、こちらに中心軸を向けようとしていた。
ああ、きっと半端な熱線ではボッコに通用しないので、最大出力の熱線砲を浴びせるつもりなんだ。
「こっ、こっちからも攻撃できないの?」
「いやあ、実は電撃でも時空凍結フィールドでも、向こうの方が射程距離長いんだよね」
「“だよね”って、そんなあ!」
絶望的に叫ぶミクラさんをよそに、こちらに向けて完全な輪になったノウンが超熱線を放った――が、それもボッコの前に現れた光の円盤に吸い込まれて消えた。
「あ、あれっ?」
「すごい……全然効かないんですね、向こうの攻撃」
「そうだよ。だからこんな風に近づいても!」
速度を上げて、ボッコを全速でノウンへと突っ込ませる。
ノウンは何度も轟音を立てて超熱線を放ち、その熱量もどんどん上がっていくが、全て時空凍結フィールドに吸い込まれて届かない。超熱線に加えて何十本もの熱線も束になって放たれたが、やはり吸い込まれて終わる。
残念、相手がブーケだったら、届いただろうけどね。でもボッコには、届かない。
「そしてこっちの間合いになれば――ボッコ!」
再び逆涙滴型の半球部分がせり上がり、隙間の一点から――
バン!
―― 一瞬でノウンに向けて円錐状の凍結時空が広がった。
それに飲み込まれた銀の輪は、そのまま音もなく崩れ去る。
「え、ウソ……」
「これだけ……?」
ミクラさんもホトリさんも呆然とつぶやいた。
そう、これだけだ。
初めてボッコとつながった時に分かった。
ボッコの能力は、失われた神体の能力を代替する能力だ。今はノーチラスの電撃と、ブーケの時空凍結能力を発揮できる。失われたものの数倍の出力で。
それは、ノウンの周囲を覆っていた超高温フィールドをも、丸ごと凍結破壊して余りある。
「すごい……すごいすごいすごい!」
ミクラさんは興奮して叫んだ。
「でも……ちょっと怖いです。あんなにあっさり、人が死ぬなんて」
とホトリさん。
シアンさんはじっとスクリーンを見つめたまま、口を開かない。
僕は言った。
「そうだね。こんなことする僕も、きっとロクな死に方はしないだろうな――でもいいんだ。君たちを守れれば。たぶん、そのために僕はここへ転生したんだ」
青いアリはそんなこと言ってなかったけどね。
重くなった空気をくすぐるみたいに、ミクラさんが言った。
「本当は、“あたしたちを”じゃなくて、“シアンを”じゃないですかー?」
「えっ? あ、いや、その……そんなことないよ。君らアスタ人全員を守るさ、もちろんね」
それは本心だったけど、なぜかドギマギして顔が熱くなった。
◼︎ ◼︎ ◼︎
「ダニエルに続いて、ラリイまで……」
「功をあせるからです。どうして私たちに連絡しなかったんでしょう?」
「ノウンの超高熱フィールドと超熱線は強力でしたからね。過信があったのかも」
「それを一撃で葬り去ったわけよね」
「でしょうね。連絡する暇もなかったくらい」
「不意を打たれたってこと? 卑怯な!」
「そうとは限らないわ。でも――」
「そうね、慎重さは大切かも」
エドモンは目の前のスクリーンで三人が交わす会話を聞きながら、黙っていた。
そして頭の中で考えていた。
確かに慎重さは大切。自分を過信して戦略もなしに挑むから、足元をすくわれるのよ。
私たちの予備だとはいえ、ダニエルのブーケを倒したシンイチのボッコは、恐るべき能力を持っていると考えるべき。
だから、ラリイのノウンも敗れた。
だとすれば、真正面から挑むのは愚かなことだ。
私はもっと賢く、着実に目的を遂げてみせる。
そしてエドモンは自らの神体、オペラを起動させた。
〔つづく〕
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