第5話 がちょう番の魔女

「バレちゃったわね。このまま隠し通せると思っていたけど、そこまで甘くはなかったという事かしら」


 魂狩り――ドロテアはうっすらとほほ笑む。


「ドロテアさん、なんで、なんであなたがここにいるんだ⁉ あなたは……!」


「まぁバレてしまったものは仕方がないわね。……ルーイ、これを使ってファラダの紐を切りなさい。そして全てを聞きなさい。そうすればあなたの取るべき行動が分かるはずよ。グリム童話を、がちょう番の娘の物語を愛するあなたならね」


 ドロテアは懐からナイフを一本取り出すと、ルートヴィッヒの傍に放った。


「っ、待ってくれ! どうしてこんな事を、あなたに一体何が……!」


森羅変・闇明蝶コスモノート・パピヨン。さようなら、ルーイ」


『——―—―—‼』


 本から溢れ出す闇によって、黒馬の傷が一瞬で消える。四肢の動きを取り戻した黒馬に乗ったドロテアは、一度もルートヴィッヒの方を振り返ることなく闇の中に消えていった。


「ドロテア……さん……」


 ルートヴィッヒの伸ばした手がゆっくりと地面に落ちる。その言葉を最後に、ルートヴィッヒの意識は深くに沈んでいった。


「あの傷を一瞬で、じゃと……⁉ あれが奴の真の力なのか……って今は呆けている場合じゃなかったわい。赤ずきん、お主も手伝ってくれ! 今のうちに主を安全なところまで運ぶぞ!」


「う、うん! でもツヴェルクさん、体が……!」


 イマジンたちの体が少しずつ透け始めている。主たるルートヴィッヒが限界を迎えたことによって、彼らもまた実体として存在出来なくなっているのだ。


「分かっておる。じゃが完全に消えてしまうまでには時間があるはずじゃ。それまでにあの首馬のところに連れていくぞ」










「っ……ここ、は……」


「よかった! お目覚めになられましたかルートヴィッヒ様!」


「あんた……っ――ドロテアさんは⁉」


「あぁいけません! まだ寝ていた方が……」


 跳ね起きた瞬間、体のあちこちに激痛が走る。ファラダがとっさに服の襟に噛み付いてくれなければ、再び倒れこむことになってしまっていただろう。


「たしか俺は気を失って……あんた、今何時か分かるか?」


「今ですか? えーと、少し前にお昼の鐘が鳴りましたから1時くらいでしょうか」


「そんなに寝ていたのか⁉」


「えぇはい。あ、そう言えば、小さな妖精さんと頭巾のお嬢さんからの伝言を預かっていたのでした。『ナイフは上着のポケットに入れておいた』だそうです」


 ポケットを探ってみると、たしかに中にはドロテアに渡された小さなナイフが入っている。


(あぁ、やっぱりあれは本当の事だったのか。原典に存在しない異物、その正体がドロテアさんだったなんて……)


 現実を突きつけられた今も、それは容易に信じがたい事だった。


 ――己に負荷をかけるより、ヴァルト王子を切り捨てるのが正しい判断のはずだ――


(違う、ドロテアさんがあんな事を言うはずがない……!)


「確かめないと」


 うわごとのように呟き、ルートヴィッヒは歩き出す。後ろでファラダが何かを叫んでいたが、その声はもはや耳には届かなかった。






「ふっ」


 ファラダの口を閉ざしていた赤い紐は、ナイフが入った先から溶けて地面にしみこんでいく。最後に地面と繋がれた紐を切り払い、ルートヴィッヒは役目の終わったナイフを投げ捨てた。


「……あ、あー。ルートヴィッヒ様でございますね? すでにご存じかと思いますが、私の名前はファラダ、現在ドロテア様と行動を共にしている黒馬の片割れにございます」


「見ていたのか?」


「えぇもちろん。遠目の魔法で一部始終を見させていただきました。私の後輩は随分あなたを気にかけているようですね。……さて、聞きたい事はあるとは思いますが、まずは彼女に会ってもらいます。彼女がいる場所まで案内しますので私を運んではくれないでしょうか?」


 さて、馬の体重というのはおおよそ300~800㎏。黒馬の体格から考えるとそれ以上あってもおかしくない。それだけの重量があれば、首だけでも相当な重さになるだろう。

 要するに。


「お、重い……!」


「もうしわけありません。しかし私といえども首だけで移動するのは至難の業でございます。なので今しばらく頑張っていただけると……」


 ルートヴィッヒは息を切らして山道を登っていた。ファラダが指定したその道は長い事人が通っていないようで、辛うじて道の体をなしているだけの悪路である。


「イマジンを使うと言うのはいかがでしょうか。それであればルートヴィッヒ様の負担も軽くなるとは思いますが」


「それが……できたら楽なんだけどな……!」


 ファラダの提案はもっともだ。しかし今のルートヴィッヒにはそれができない理由があった。


「俺はもともと創造主じゃなかったんだ。兄さん達に憧れるだけのただの絵描きだった。けどドロテアさんのおかげで創造主の資質って奴が開花した……らしい。だから兄さん達や他の創造主と違って、あまりイマジンを使いこなせてない。正直イマジンを三体同時に召喚するので精いっぱいだ」


 イマジンの召喚にはそれなりの力を使う。調律の巫女一行の時代、空白のホムンクルスの肉体を酷使しすぎたシェイクスピアがイマジンを出せなくなっていたのが好例だろう。故に昨日の戦いで限界まで力を使っていたルートヴィッヒにイマジンを出す余裕はなかった。


「そういえばさっき言っていた『彼女』って誰の事なんだ?」


「ルートヴィッヒ様もよく知っておられる人物ですよ。大体想像はつくと思いますが……と、ここで止まってください」


「ここでいいのか?」


 ルートヴィッヒがいるのは山道の途中。頂上まではまだ遠く、周りを見渡してみても雑草とゴツゴツした岩肌があるだけでファラダが会わせたいという誰かの姿は見えない。


「えぇ。もう少し山の斜面の方に寄ってくれますか。……はい、ありがとうございます。では――『赤ずきん、シンデレラ、千夜一夜より使者をお連れいたしました』」


 ファラダが呪文を唱え終わった瞬間、目の前の岩壁が音を立てて動き出す。音に驚いた鳥たちが飛び立つ中、岩壁の奥に人一人が通れるほどの通路が姿を現した。


「これは……」


「さて行きましょうか。中であの人がお待ちです」








「ルートヴィッヒさーーーーーん!」


「ちょっと……ぐはぁっ⁉」


 体当たりが見事に鳩尾へヒット。さらに背後の壁に叩きつけられる。さらにさらに抱えていたファラダの首が宙を舞い、そのまま頭に落下してきた。


(し、死んだかも……)


「女神様、その辺にしておいてあげてください。ルートヴィッヒ様が倒れかけています」


「え? あ、すみません! つい舞い上がってしまって!」


「はぁ、はぁ……、別にいいけどさ。で、会わせたい相手ってのはやっぱりあんただったか」


 腰まで届きそうな長さの水色の髪に白い肌。着ているのは純白のドレスであり、腰につけられた一輪の赤い花がアクセントになっている。まるで清楚を体現したようなその姿はまごうことなく女神のそれである。そして彼女こそが遍く想区に存在する調停の女神、その名はキュベリエ――のはずだったのだが。


「……なにその格好?」


 水色の髪は後ろで一本にまとめられ、白い肌は土埃によって汚れている。女神のシンボルだった白いドレスはどこへやら、今キュベリエが着ているのは袖をまくり上げた簡素な布地の服に膝下くらいの長さの黒いスカートである。靴も動きやすい短いブーツへと変わっていた。


「かれこれ数百年はここで暮らしていましたからな。あの服では色々不便があったのでしょう」


「数百年⁉」


「はい。その事も含めて、ルートヴィッヒさんには全てお話したいと思います。ですがその前に、一度お昼にしませんか? ルートヴィッヒさんも朝から何も食べていないでしょ?」


「う……」


 タイミングよく(悪く?)ルートヴィッヒの腹が空腹を告げた。一刻も早くあのドロテアについて聞きたいのは確かだが、腹が減っては戦はできぬという言葉もある。ルートヴィッヒは大人しくキュベリエに従う事にした。


「えーと、ちょっと待っててくださいね。今日の朝とれたばかりのキュウリがあるんですよ。それを使ったサラダと川で釣ってきた魚の塩焼きを合わせて……」


「あんた本当に女神なんだろうな……?」


 まさかの自給自足生活だった。

 数分後、湯気の立つ美味しそうな昼食を前に二人は向かい合って座っていた。食器の置かれた石造りのテーブルにはファラダの首も乗っており、その様はまるで一つのアートのようだ。

 

「それでは、お二人がお食事をなさっている間は私が話をさせていただきます。とは言っても私はしょせん想区の住人の一人。より踏み込んだ話は女神様にしてもらうことになると思いますが……」


 と注釈を入れた上でファラダは語り始めた。


「事の始まりは数百年前に遡ります。ルートヴィッヒ様はもうご存じの事かと思いますが、原典にて王女の身分を騙った侍女のリーゼルは、最後は裸にされ釘や硝子の破片が詰められた樽の中に入れられた後、二頭の白馬に死ぬまで引き摺り回されることになります。もちろんこの想区でも同じ運命を侍女リーゼルはたどる事になっていました。しかし、ある時想区に異変が発生したのです」


「もぐもぐ……カオステラー、か?」


「えぇその通りです。発生したカオステラーは侍女リーゼルに目を付けました。間の悪い事に、この時の侍女リーゼルは自分の運命にわずかばかりの疑問を抱き、それに反抗しようとしていたのです。そのままカオステラーは侍女リーゼルに取り憑き想区は少しずつ滅んでいく。そうなるはずだったのですが……」


「ではここから先は私が引き継ぎます」


 口元を布で拭きながらキュベリエが言う。


「まず前提として、この想区にはもともとドロテアという配役が存在しました。ルートヴィッヒさんの知っているところだと千夜一夜の想区のシェヘラザードさん。後はアンデルセンの想区のアンデルセンさんと同じような”配役としての創造主”ですね」


(そっか、この話はドロテアさんが語った話だから……)


 「グリム童話」の作者はヤーコプとヴィルヘルムだが、その話自体は彼らが民間伝承や民謡から蒐集したものである。仮にその”蒐集”に焦点を当てるなら、その過程も物語の一部に組み込まれ、枠物語のように語られる可能性は十分にあり得る。


「ファラダさんが言ったようにカオステラーは侍女のリーゼルに取り憑こうとしました。しかしここで、予想外の事態が起こったのです。創造主の力を持つドロテアさんはカオステラーの出現をいち早く察知していました。そしてカオステラーが侍女リーゼルを狙っている事に気づいたドロテアさんは、


 創造。それは調律、再編に続く、想区を丸ごと作り変えられるほどの力。それをいくら創造主の力を持っているとは言え、想区の住人が使えるのだろうか?


「火事場の馬鹿力とでも言うべきなんでしょうか。想区の危機に、本来であれば決して目覚める事のなかった能力を無理やり開放してしまったのかもしれません。

創造の力を使ったドロテアさんは、カオステラーを自分のうちに閉じ込め、さらには想区の筋書きを捻じ曲げました。その時の運命のまま、ずっとこの想区は止まっているのです」


「筋書きを変えた? けど俺が見た限り大まかな運命の流れは変わってなかったようだけど……」


 ルートヴィッヒが疑問を呈する。


「ドロテアさんが書き変えたのは物語の一部分……侍女リーゼルの結末についてだけです。新しい運命にて、王に王女リーゼルが扮した罪人の娘の処遇を訪ねられた侍女リーゼルはこう答えます。『そんな身の程知らずは魂狩りに魂を奪ってもらえばいい』―—と」


「……!」


「その直後、首のない巨大な馬に乗った黒衣の魂狩りが現れ、侍女リーゼルを連れ去ってしまいます。かくして本物のリーゼルは王と結ばれ、侍女リーゼルは魂を奪われる……というのが新しい物語の結末です。実のところ、侍女リーゼルは2つ向こうの国に飛ばされそこで生涯を終えているのですが」


「本来の筋書きになるべく近づけながら、侍女リーゼルの事も救う。ドロテア様にしかできない業でしょう。しかしそれが2つの不和をもたらしました。1つは魂狩りの存在。本来なら魂狩りというのは存在しない配役です。運命を与えるはずのストーリーテラーもカオステラーになった事でその機能が半ば停止している。結果としてドロテア様が魂狩りの役を担うしかなかったのです」


「ちょっと待て。だったらあのドロテアさんはもう数百年も……⁉」


「はい。夜の支配者であり不浄の魂を狩る裁定者、『魂狩り』をずっとドロテア様は演じ続けています。もはや彼女自身、自分が何者なのかも曖昧になっているのでしょう。今の彼女は意思のないシステムに近い。空白の書か運命の書かに関係なく、夜に出歩く者はみな例外なくあれに魂を奪われます。侍女リーゼルだけは助け続けているようですがね……」


「そんな……」


 目的のため、何もかもを捨て理を超えて生き続ける。それでは、「おつきさま」に操られ災厄をばらまき続けたあの魔女のようではないか。


「それがもう1つの不和を引き起こしました。ルートヴィッヒさんは御伽草子の想区のカオステラーを覚えていますか? 彼は想区の崩壊を防ぐために手を尽くし、結果として彼がカオステラーになってからも想区はループを繰り返していました。しかしそれは延命処置にすぎません。どれだけうまく立ち回ろうとも、想区の中心であるストーリーテラーが異常をきたしたままではいつか想区は崩壊します」


「この想区も少しずつ狂っていってるってことか」


「はい。今この国が戦争をしているという事は聞きましたか? その相手国の王妃の名前はリーゼルというそうです」


 それ以上は聞かなくても想像ができた。おそらく侍女リーゼルは自分を陥れた王や本物のリーゼルに復讐する機会を狙っていたのだろう。そんな彼女を相手国の王子が見初め……あとはもう考えるまでもない。


「もって百年……もしかしたら数十年でこの想区は修復不可能な状態になるでしょう。そうなれば崩壊を待つのみ……。本来この問題はもっと早く解決するべき事でした。それが出来なかったのはドロテアさんの力が強大すぎたからです」


 キュベリエの声からは何もできなかった自分への無力感がにじみ出ていた。


「今のドロテアさんは厳密に言えばカオステラーではありません。想区の改変にカオステラーの力を使っている……言うなれば共生しているような状態です。純粋なカオステラーでないため泉の祠にも入れるし、願望に取り憑かれる事なく絶大な力を振るえる、最凶の創造主と言っても過言ではありません」


「おまけにドロテア様の思想に諾した私の胴体もいます。魂狩りの正体がばれないよう私は口を縛られ、女神様は隠れて機会をうかがうしかありませんでした」


「ですが、ルートヴィッヒさんの登場によってこの状況を打開できる可能性が出てきたのです!」


「お、俺……?」


「えぇそうです! ルートヴィッヒさんこそがドロテアさんを倒せる可能性のある人なんです!」


 

 




 





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