第2話 魂狩り
昔々、あるところにリーゼルという優しく美しい王女がいました。ある時、リーゼルは山奥の王国に住む王に嫁ぐことになります。彼女はお守りとして妃の血を三滴染み込ませたハンカチを持ち、言葉を話せる魔法の白馬のファラダ、そして自分と同じリーゼルの名前を持つ侍女と共に王国を目指して出発しました。
ところが、ひょんな事からお守りのハンカチを落としてしまったリーゼルは、侍女に服と馬を奪われてしまいます。なんと侍女はそれを使って王女に成りすまそうとしたのです。
王国の人たちはそれに気づくことなく侍女を花嫁として迎え、本物のリーゼルはがちょう番として働く事になりました。
さて、真実が明るみに出る事を恐れた侍女は、物事の一部始終を見ていたファラダの首を切り落とすように命じます。本物のリーゼルはファラダの首を剥製にして小さな橋に据え付けてもらうよう役人に頼み込み、彼女の希望通り首は剥製として残る事になりました。魔法の馬のファラダは首だけになっても話す事ができ、リーゼルの良き相談相手になったのです。
やがて喋る馬の剥製とがちょう番の少女の話は王の耳にも入るところとなりました。王は本物のリーゼルを呼び出し、ファラダの首について尋ねます。しかし秘密を話さないようにと誓わされたリーゼルは本当のことが話せません。すると、黙ったままのリーゼルに対して王はある提案をします。その提案とは――。
「リーゼル王妃万歳ー! 国王万歳ー!」
鳴りやまない拍手と喝采の中、二人を乗せた馬車は進んでいく。
(ここはがちょう番の娘の想区……なのか? リーゼルという名の王妃、山に囲まれた街、あとはファラダの首さえ見つけられれば、確実にそうと分かるんだが)
今のリーゼルはすでに王女ではなく王妃と呼ばれていた。この想区が原典通りに進んでいるのなら、今は物語が終わった後、侍女の嘘が暴かれ本物のリーゼルと王が婚礼をあげた直後なのだろう。原典の後の物語ゆえに確証はないが、まだファラダの首が街にある可能性は高い。
ルートヴィッヒはパレードから離れ、街の中心へと歩き出した。物語に出てくる小さな橋の場所はすでに分かっている。この街の構造はルートヴィッヒが想像していたあの街と全く一緒だった。
果たして、ファラダの首はまだ橋に残されていた。
真っ白な馬の頭部が橋に据え付けられている光景は正直かなり不気味であり、普段なら美しいと感じるはずの白い毛さえ、ルートヴィッヒをぞっとさせる。
「あー……、ファラダ、だよな。俺の声が聞こえるか?」
しかし馬の剥製はまつげ一本動かさない。
(まぁそりゃそうだよな。誰彼構わず喋ってたらリーゼルが王様のところに呼ばれる理由が無くなるわけだし……。とにかくここが、がちょう番の娘の想区ってのは決まりだ。これでこの想区を去るか、それとも留まってもう少し調べてみるか。今のところ、この想区は正常に動いているみたいだけど……)
「……あ、貴方様は外から来たお人なのですか?」
ルートヴィッヒが首の剥製に背を向けた時、背後から気弱そうな青年の声がした。
「――⁉ 今お前が喋ったのか……⁉」
「はい。そうでございます。
ファラダの濁った眼には光が戻り、動作を確かめるようにぐるぐると動いた後、ルートヴィッヒをしっかりと見据える。
「というか今外って……」
「はい、はい。貴方様は外の世界から来たお人なのでしょう?」
(こいつ、想区を認識できているのか?)
通常想区の住人は外の世界、つまり想区の外側を認識できない。想区外から来た空白の書の持ち主に話を聞くか、カオステラーにでもならない限り、彼らは自分のいる世界が小さな箱庭にすぎないなどとは想像も出来ないはずだ。
(つまり、ごく最近空白の書の持ち主が訪れた。あるいはこいつ自身がカオステラー……は口調からしてないよな。こっちを警戒する素振りもないし)
「私めは貴女様のような旅人のお方が来るのをずっと待っていました。私めは貴方様にお願いがあるのですはい」
「お願い?」
「はい、はい。率直に申し上げます。ファラダを救ってほしいのです!」
「はぁ⁉ いや、俺は剥製を元に戻したり首を胴体にくっつけたりなんてできないし……」
珍妙な申し出に、ルートヴィッヒは答えに窮する。
「いえ、そうではございません。私めが救ってほしいのはもう一頭のファラダの方なのです。北門から町を出ていただいて数分のところの祠の跡地がございます。ファラダはそこに捕らわれているのです。はい、どうか貴方様に慈悲の心があるのなら彼の馬を助けてはいただけないでしょうか」
もう一頭のファラダ。それは先代のファラダがまだ生きているということなのだろうか。この想区のループが何年単位なのかは分からないが、そもそもファラダ自身が人語を話せたり首だけになって生きていたりと規格外の魔法の馬なので、先代のファラダが生きていたとしても何ら不思議ではない。
そう。そんな事はどうでもいいのだ。
祠の跡地。その言葉がルートヴィッヒの頭を揺らした。
「――――っ!」
何か、とてつもなく嫌な予感がする。ルートヴィッヒはファラダに返事をする事もなくその場から駆け出した。
「あぁ……貴方様は私の願いを聞いてくださるのですねはい。しかし……どうか、どうか日の沈む前に街へ戻ってきてください。さもなければ『魂狩り』に捕まってしまうでしょう……」
ファラダの警告は風に流され、ルートヴィッヒに届くことはなかった。
「なっ……」
それを目の前にして、ルートヴィッヒは絶句した。
装飾の施された石細工、青みを帯びたレンガ、そして蓮を模した彫刻品……。それらがバラバラになって辺り一帯に散らばっている。
間違いない。これは泉の祠だったものだ。
「キュベリエ、いるなら返事をしてくれ! キュベリエ‼」
呼びかけてみるが返事はない。
(くそっ、ドロテアさんが言っていたのはこういう事かよ!)
となれば祠が破壊されたのはつい最近ではなく、相当前という事になる。もしキュベリエが無事でもここからはとっくの昔に立ち去っているだろう。
「っ、そうだ。ここにファラダの首があるって……」
ファラダの首を見つける事は難しくなかった。瓦礫の山の中心に無造作に投げ捨てられたファラダは、ルートヴィッヒの姿を認めると何かを訴えるように呻く。しかしそれは意味のある言葉ではなく、ただの雑音としてしかルートヴィッヒの耳には入らなかった。
ファラダの口は赤い紐によってしっかりと縫い付けられており、空気を吸えるだけの隙間すらそこには無い。その狂気すら感じる徹底した縫合からは、一切の秘密を漏らさせないという強い意志を感じ取る事ができた。
「これは……ひどい。今助ける、少し待ってな」
しかし、あいにく手元に紐の切断に適した物はない。
「しかたない、これで何とかするしかないか……」
取り出したメルヒェン・メイカーを慎重に紐に押し当てる。少しでも手元が狂えばファラダ自身を傷つけてしまう事になる。ルートヴィッヒはゆっくり、ゆっくりと力をかけていった。
しかし、紐は切れない。決して力が足りないわけではなく、紐が硬すぎるのだ。触感は確かに紐のそれだが、鋼鉄ですら切り裂くメルヒェン・メイカーを以てしても断ち切るどころか切り込みを入れる事すらかなわない。このまま首を持って帰ろうにも、縫い付けられた紐の先は地面に埋まっており、移動することも出来なさそうだ。
(この紐自体が魔力で作られた物の可能性が高い。だとすればこの紐を切るのは俺には無理か……)
魔術に精通した者がいれば紐を切る事ができたのかもしれないが、ルートヴィッヒはそちらの知識は疎い。
とはいえ、このままでは何の情報も得られずここまでの道のりがただの徒労に終わってしまう。
「……あ、そうか」
突然ルートヴィッヒは屈みこむと、小さな瓦礫を拾って地面に文字を書き始めた。
紐を切る事だけがファラダと会話をする方法ではない。ルートヴィッヒが一つずつ文字を示していき、ファラダが反応を返す事で意思疎通を図る事はできる。時間はかかるが紐相手に四苦八苦するよりはまだましだろう。
ファラダもその行動の意味を理解したらしく、目を向けると力強く頷いてくる。
「よし、じゃあ早速始めるぞ」
ルートヴィッヒが文字列をゆっくりと指でなぞり、時折ファラダが呻いたり頭を動かしたりして反応する。
数分後、文字が一巡してもファラダが一切の反応を返さなくなった。
(これで伝えたい事は全部ってことだよな……? えーっと、ヨルマチカエレタマシイガリツカマル……夜、街、帰れ、魂狩り、捕まる?)
「魂狩り? 街に帰らないとそいつに捕まるって言いたいのか?」
ルートヴィッヒの問いに、今までになく激しくファラダが首を振る。
その様子は只事ではなく、その目には明らかな怯えの色が浮かんでいた。
(壊された祠にそこに放置されたもう一頭のファラダ……それに魂狩りときたもんだ。最初は何の変哲もない想区だと思っていたけど、ドロテアさんの勘は正しかったってことみたいだな……)
「忠告ありがと。今は無理だけど、必ず助けるから」
ファラダの首に背を向けて、ルートヴィッヒは来た道を戻っていく。太陽はすでに稜線に沈み、夜が刻一刻と近づいてきていた。
『————————!!』
夜の街に嘶きが轟く。地の底から聞こえてくるようなその声は建物を揺らすほどの暴風となって街を駆け抜ける。
(くそっ、あれが魂狩りってやつか……⁉)
街灯は不自然に明滅を繰り返し、空では雲が渦を巻くように動いている。明らかに異常な事態がこの街で起こっていた。
どこの家も硬く門や窓を閉ざし、中に入れてもらってやり過ごすという事は出来なさそうだ。ルートヴィッヒはすでに逃走から迎撃へと思考を切り替え、戦いやすそうな広い場所に向かって走っている。
『夜を恐れぬ穢れた魂よ……。汝の名を答えよ』
どこからか声が聞こえてくる。先程の嘶きと同じく、地の底から聞こえてくるようなその声はところどころに
「あんたに答える名はないよ……。そして、大人しく捕まる気もない!」
開けた空間に出た瞬間、ルートヴィッヒは反転して剣を構えた。
今ルートヴィッヒが出てきた暗い路地。そこにたまった闇が質量を持ち、捻じれ寄り集まりながら魂狩りの姿を形作っていく。
やがて、ルートヴィッヒの背丈を優に超える体躯の黒馬にまたがる、黒衣の人物がそこに現れた。
それは顔をフードで隠しており、その中の表情をうかがう事は出来ない。左手には巨大なランスを携え、それが地面とぶつかる度に不愉快な金属音を立てる。
『—————————‼』
黒馬が再び嘶く。絶叫に近い咆哮が至近距離でルートヴィッヒに襲い掛かった。
「くっ……」
この音は一体どこから出ているのか。その黒馬には、首から上が存在しない。その断面からは常に黒い煙が噴出し、這うように広がるそれが少しずつ地面を覆っていく。
『我は魂を狩る者……穢れた汝の魂、我が浄化してくれよう……!』
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