がちょう番の魔女

白木錘角

第1話 歪んだ想区

「ふぅ……やはり長く空けていたからか埃が積もっているな」


「そうだね。とりあえず掃除をしないと。ルーイはどうするんだい?」


「俺は……二階を見てくるよ。床が抜けたりしていないか確認してくる」


「そうか。気をつけるんだぞ」


 長兄の言葉に返事をして、ルートヴィッヒは軋む階段に足をかけた。





 終局の世界での決戦からしばらく経った後、グリム兄弟は「グリム童話の想区」を訪れていた。一時期ヤーコプが住んでいた場所でもあるそこには、かつて彼らがグリムノーツだった時に蒐集した資料がまだ残されている。その資料たちを集め、グリムノーツの想区へ持って帰るのが今回の目的である。


(想区ごとに時間の流れに差があるとはいえ、少なくとも50年から60年は経過している……。紙の資料が虫に食われていなければいいけど)


 二階に上がると、まず目に飛び込んできたのは開いたままのドアだった。


(ヤーコプ兄さんならドアを開けたままにはしない。だとすればモリガンの仕業か)


 一番階段に近い部屋から覗いてみると、案の定部屋の中は嵐が吹き荒れたかのような惨状になっていた。棚に並べられていた本は全て床に打ち捨てられ、その上に壊れた引き出しから出されたのであろう紙が積もっている。電灯や椅子、机は皆例外なく粉々になっていた。おそらくは他の部屋も同様の状態になっているだろう。


(奴らの狙いが万象大全だけだったのが幸いしたな。あとでヤーコプ兄さんに確認してもらわなきゃいけないけど、今見た感じだと盗られたものはないみたいだ)


 同じように2番目、3番目の部屋と順に見ていく。よほど念入りに調べたのか、ベッドや服掛けはもちろん棚や洗面台、どう考えても本を隠す事などできない小さなオブジェまでもが徹底的に破壊されていた。

 

「……ん?」


 この惨状をヤーコプに見せるべきかと悩みながら最後の部屋を出ようとした時、ルートヴィッヒの目は部屋の隅に落ちていた一枚の紙に引き寄せられた。

 同じような紙が散乱する部屋の中でなぜ、それだけがルートヴィッヒの目を引いたのか。その答えは紙の色にあった。多少色あせてはいるものの白さを保っている他の紙に比べて、その紙は大きく変色している。まるでその紙だけが違う環境に置かれていたように。

 ルートヴィッヒはその紙に見覚えがあった。その正体に気付くと同時に、紙が変色している事への疑問も解決する。


「兄さん、これまだ持ってたんだな」


 羊皮紙数枚をつなぎ合わせたそれにはあちらこちらに数値が書き記されてはいるが、配置もバラバラでその値に法則性もない。他人が見てもこれが何かを理解することは不可能だろう。

 これはだ。各想区に数値――すなわち座標を設定し、霧に包まれた世界の全貌を明らかにしようとしたグリムノーツ時代の遺物。シェイクスピアの主導で始まったこの計画は、人力で膨大な数存在する想区全てに赴くのが不可能だった事、途中でグリムノーツが解散した事もあって中途半端な状態で終わってしまった。


(確か想知計もこの時に作られたんだっけ)


 ルートヴィッヒも座標の記入作業に参加した事がある。当時はただただ面倒くさいだけだったが、こうやって見返してみればルートヴィッヒの、そして二人の兄の旅路を辿っているようで何となく、くすぐったい気持ちになる。


「……あれ?」


 地図を眺めているうちにルートヴィッヒは奇妙な事に気づいた。

 想区を示す座標の上には、その想区を端的に表した名前が書かれている。例えば「赤ずきんの想区」「シンデレラの想区」といったように。

 しかし一つだけ、座標の上に何も書かれていない、空白の想区があったのだ。


(なんだこれ……? 座標が書かれているってことはグリムノーツが訪れた事のある想区ってことだ。シェイクスピアの性格からして書き忘れはまずないだろうし……)


 ルートヴィッヒはその部分や左右の想区名を見て記憶をたどってみる。すると、脳裏にある光景が浮かび上がってきた。




 あれは西遊記の想区に滞在していた時のことだった。夜の行軍は危険だというヤーコプの判断によって、ルートヴィッヒ達は廃村で一夜を過ごす事になった。その夜は真夏もかくやという熱帯夜だったのを覚えている。

 夜半に暑さで目を覚ましたルートヴィッヒは水を飲むために寝床から起き上がり、階下へと降りた。その時に一階にある部屋のドアの隙間から、光が漏れ出ている事に気づいたのだ。

 その時、なぜそのような行動をとったかは今となっては定かではないが、ルートヴィッヒは中にいる者に気づかれないよう息を殺して室内の様子をこっそりとうかがった。

 部屋の中にいたのはシェイクスピア、ヤーコプ、そしてドロテアの3人だった。3人は机の回りに集まってなにやら話し合っている。


「ドロテア、あなたは聡い女性だ。そのあなたが言うのなら確かにあの想区には何かがあるのだろうが……。しかし、想区に少し立ち入って原典が何か調べる事すら許してくれないのかね?」


 シェイクスピアが机に置いてあった何かをしまい込みながら尋ねる。ルートヴィッヒにはすぐに、あれが例の地図だと分かった。


「えぇ……。無茶苦茶な事を言っているのは分かっているわ。でも、あの想区には近づいてはいけない。足を踏み入れてしまえば必ず、災いが降りかかる。そんな気がしてならないの」


 ドアの隙間から見るドロテアの顔は憂いに沈んでいるように見えた。いつも笑顔を絶やさないドロテアの見たことのない顔に、ルートヴィッヒはおもわずハッとする。


「全てをつまびらかにしたいという君の気持ちは理解できる。しかし、彼女の憂慮も無視はできない。ここまで言うからには、やはりあの想区には何かがあるのだろう。幸い、あの想区の座標はすでに分かっている。座標さえ分かっていれば、地図の完成に支障はないはずだ」


「あぁ、そうだな……。少し口惜しくはあるが、あの想区については座標のみ記しておこう」


 ヤーコプの言葉に、やや不服そうな顔をしながらもシェイクスピアは同意する。あのドロテアを前にしては、いくらシェイクスピアでも無理を通す事は出来なかったようだ。

 ルートヴィッヒは三人に気づかれないよう、そっとその場を離れる。水を飲み寝床に戻ったその後も、眠りに落ちる瞬間まで頭からドロテアの表情が離れなかった。






(まさかこれが、あの想区なのか……?)


 ドロテアが何かを感じ、決して近づこうとしなかった想区。その座標が今、ルートヴィッヒの手元にある。

 それがドロテアの意志に反する事ではあると分かってはいたが、無意識のうちにルートヴィッヒはペンと羊皮紙を手に取っていた。


「……あとは想知計を用意すれば」


 ルートヴィッヒの心に生まれた好奇心はもはや抑えられるものではなくなっていた。








 それから幾日かの時が経った。

 今、ルートヴィッヒは書かれた座標をたよりに霧の海の中を進んでいる。

 もともと霧の中では距離は意味をなさない。数分で想区から想区に渡ることも出来れば、数日かけても次の想区に出られないという事もある。

 そういう意味では、ルートヴィッヒは幸運だったのかもしれない。グリムノーツの想区を出発してから半日(あくまでルートヴィッヒの体感だが)ほどで、目的の座標のすぐ側までたどり着く事ができた。


(あと少し……か)


 ドロテアがなぜこの想区を忌避したのか。その理由がもう少しでわかる。その事実に、ルートヴィッヒの胸はわずかに高鳴った。しかし何が起きても対応できるよう、想知計を持っているのとは逆の手に愛剣「メルヒェン・メイカー」を握りしめ、さらに喚び出したツヴェルクに前方を警戒させておく。


「……っ!」


 霧が、晴れた。

 想区に入ってすぐ目に飛び込んできたのは、木々が作り出す茶色と緑色のコントラストだ。沈黙の霧から出た先が森というのは珍しくもなんともないのだが、そのいつもの光景がルートヴィッヒを安心させた。なにせここは未知の想区。荒野が広がっていたり、猛吹雪の中だったり、最悪想区に入った瞬間ヴィランに囲まれていましたというのも十分にありえるのだ。


「これからどうするのじゃ?」


「うーん、とりあえず向こうに何かが見えるし、そこに行ってみるか……。とりあえず戻っていていいよ」


 ツヴェルクを自分の中に戻し、改めて周りの景色を観察する。


(ヨハンさんなら、草や木を見てここがどういう場所なのか分かったかもしれないけど……。俺は植物とかに詳しくないからな)


 今分かるのは、ここに関しては明確な脅威が存在しないということだけだ。

 さっきツヴェルクに伝えたように、森の向こう側には巨大な建造物の先端が見えている。とりあえずは、あれを目印に進むしかなさそうだ。

 ルートヴィッヒはメルヒェン・メイカーを手に持ったまま、森の中を歩きだした。









「はぁ……」


 ある程度は覚悟していた事だったが、やはり城までの道のりは遠かった。出発時には後ろにあった太陽は、今やルートヴィッヒを追い越して上の方から日光を容赦なく浴びせてくる。


(やっぱ俺、どこかおかしい)


 流れる汗を袖でぬぐいながら、ルートヴィッヒはそう思う。普段の彼なら、絶対にこんな「面倒くさい」事はしなかったはずだ。別に好奇心が旺盛というわけでもなく、シェイクスピアのように地図の完成に執心しているわけでもない。

 なのに、なにかに惹かれるようにルートヴィッヒはこの想区に向かった。

 

「――――!」


 歩みを進めると、森の向こう側から人々の歓声が聞こえてきた。城の回りに街がある事は小高い丘に出た時に確認していたが、街につくまではもうしばらくかかるはずだ。

 考えられる事としては二つ。一つは街の外側にスポーツなどの競技場があり、そこから声が届いているか、街で大規模なイベントが行われているかのどちらかだ。

 どうやら、この場合は後者のようだった。森を抜けた先にあった街からは数えきれないほどの風船が空に向かって舞い上がり、歓声にまざって軽快な音楽が聞こえてくる。

 街の入り口には関所のようなものがこしらえてあったが、衛兵も街のイベントに参加しているのか誰もおらず、ルートヴィッヒはそこを素通りする事ができた。


(さて……、街に入れたのはいいんだけど、これからどうしようか)


 沿道は人で埋め尽くされ、彼らは思い思いの行動を取りながらも、視線だけは皆一様に同じ方向に向けられてる。その目は興奮と喜び、敬愛の色で満たされていた。


(こんな光景をどこかで見たような気が……)


 その時、ルートヴィッヒの周りにいた人々が一斉に歓声を上げた。ルートヴィッヒが彼らの見ている方向に目を向けると、道の向こう、曲がり角から楽器を構えた人間がぞろぞろと出てくる。さきほどの音楽を奏でていたのは彼らのようだ。


(そうだ、これは――)


 楽器隊の次に顔をのぞかせたのは、毛並みの整った二頭の白馬だった。そしてそれに引かれる馬車が姿を見せた瞬間、歓声はより一層大きくなる。


「リーゼル王妃万歳! 新しい王妃に幸あれ!」


(リーゼル、だと……⁉)


 目を凝らすと、馬車の中に手を振って歓声に応えている金髪の女性と、それを笑顔で見つめる豊かな髭を蓄えた壮年の男性の姿が見えた。

 リーゼル。その名前を持つ王妃にルートヴィッヒは心当たりがあった。忘れるはずもない、それは彼女の語った物語の登場人物なのだから――。


「まさか、ここは『がちょう番の娘』の想区なのか……?」

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