第16話
「えっと遊太。 沙月さんだよね?」
「ああ、そうだよ」
「やっぱし美人だよねぇ」
そんな風に冷静に佐奈が考察を始めてくれるのがせめてもの救いだが、このままというわけにはいかない。
「おい、起きろ~」
露出が激しい分肩を揺するのもはばかられるが流石にこのままというわけにもいかない。
いっそ自室に置いておいて、一階のダイニングであれ、二階のリビングでもやればいいのだが、何というか沙月姉ちゃんが自分のベットで寝ているというのは精神衛生上的にも早めに退場ねがいたい。
「んん.......ゆうたぁ?」
しばらくすれば重くなっていた瞼を押し上げて焦点の定まっていないようなトロンとした目で俺を見てくる。
ふいに心臓がはねたのがわかったが、
——なにドキッとしてんだ俺。
内心穏やかでない中、いよいよ起きてくれるだろうと思ったのだが、
「えへへ、おかえり遊太ぁ」
「ちょ、沙月ねぇ」
「んー、ゆうたぁ」
完全寝ぼけている沙月姉ちゃんが抱き着いてきた。
――いや、そのいろいろ不味いから。
彼女が何を思っているのか。
そんな疑問はないことはないが、ぎゅっと強めに抱き着いてくるせいで匂いであったり温もりであったりを強く感じるが、それどころではない。
「え?え?」
「お、ちょ、沙月ねえ」
後ろで驚きの声を上げる佐奈もいるのだ。
しばらくして焦点が合った沙月姉ちゃんの視線は俺の後ろを捉え、その瞬間、
「え、ちょ? ごめん!!」
飛び出していった。
「な、なんていうさ…すごかったね沙月さん」
「うん」
「えーと、あ、勉強しようか」
「おう。 なんかすまん」
「いいよ、気にしないで」
——気まずっ
目の前でいそいそと教科書を取り出して準備を始める佐奈も、
『ごめん』
洗濯物をどかしたローテーブルの上で画面にポップアップを示すスマホのメッセージアプリに送られてきた短文のメッセージも。
なにもかもが気まずさを助長している。
「遊太、沙月さんと本当に仲いいんだね」
「そりゃ家族だし」
「いやウチ、家族でもあそこまではないから」
「…やめてくれ」
「うん」
会話を数個繰り広げて、教科書の問題に。
もはや思い出すだけで俺もベッドに引きこもりたくなるレベルで恥ずかしいのだが、生憎飛び込むベットもさっきまで沙月姉ちゃんが寝ていたために飛び込めない。
それに何が恥ずかしいって、沙月姉ちゃんに抱き着かれたのを佐奈に見られたことだ。
「よし! じゃあ切り替えてべんきょうしよ!」
「おう」
「じゃあ、遊太。 ここの古文ってこれでいいの?」
気を利かせて、わざとらしくそう切り出してくれ、自習用のノートだかを見せてくる。
『いとおかし(それは面白い)』
おそらく自信があるのか、消しゴムの痕跡一つない女の子特有の丸文字で存在感を表す解答。
「この馬鹿!」
「はぁ!? なんでさ!」
「そんな緩いわけねぇだろ」
まさか古文でこんなことをかます人間がまだ高2でいたとは。
しかも明日が試験だというのに。
開幕から不安がこみあげるがきっとそれも杞憂だろう、
『やんごとない(やなことがない)』
『あたらし(あたらしい)』
『あはれ(あわれ)』
——杞憂であってほしかった。
『めざまし(おきる)』
最後の一文がとどめの様だ。
「佐奈、お前。 古文の勉強したんじゃないのか?」
目の前で、不安そうにこちらを見つめてくる彼女にそういえば、
「うん。 長文とかは頑張ったよ! 大体どんな話か教えてもらったし」
「あー」
「小松原ちゃんが、お願いだからここだけは覚えとけって言ってくれたから」
「なるほどな」
確かに昨日の放課後、小松原が言っていた気はする。
いや実際言われたことも徐々に思い出してきたのだが、あの後こそいろいろあったので忘れていた。
「てか、それなら勉強しなくてよくね?」
——小松原のアドバイスを受ければ合格点は固いだろう。
「それがさ、小松原ちゃんが教えてくれたのって60点分? だからしくて不安じゃん。あと10点分は欲しいっていうか」
「意外とえぐいな小松原」
――いや、ここは佐奈はギリギリの60点分をもらったとすればかなり優しいか。
流石に佐奈が一問でも落として他は壊滅で、ダブるなんていうのは見えないが不安はあると思う。プレッシャーも。
その点、俺の実質的な補習クリアは見えたし、もはや徹夜で行かなくてはいけない、なんてこともないだろう。
「ねぇ、遊太」
目の前で、本当に泣きだしそうになってこちらを見てくる佐奈。
「じゃあ、やるか」
「うん!」
こうして事実上の佐奈の対策講座が始まった。
カリカリとシャープペンが紙の上を走る音。
「うーーー」
それと同じように唸るような声も聞こえる俺の部屋。
『お茶もってく?』
先ほど俺の元へ届いたそんなメッセージに何と返信をすればいいものか。
既読なんて機能がなければいいのに、なんて女子のようなことを思ったそんな頃合い。
pipi!!!!
「あ、」
「よっし!!!! おわたぁああ」
スマホが鳴らす電子音と共に佐奈の大きな雄たけび。
「みて! 遊太!」
「お、ちょ、勢い強いって」
「あ、ごめん」
グイッとノートを押し付けられた拍子にスマホから音がした気がするがなんだったろうか。
ただ、それよりも今は、
「ねぇ、採点してみて」
「わかったわかった」
よっぽど自信があるのか、めちゃくちゃに押してくる佐奈のノートを採点することにしよう。
『いとおかし(とてもすごい)』
『やんごとない(とうとい)』
『あたらし(すごい)』
『あはれ(かんどう)』
さっきの馬鹿丸出し解答はしっかりと復習をしたからか正解に治っている。
ここまでの小一時間、買ってきたおやつも全部無視して全力で指導した時間を思い出せばそれだけで感動ものだ。
『いや、いとおかしとかマジ意味不なんだけど』
『でも仕方ないだろ』
『てかおかしって、どう考えても違くない?』
終始、文句を漏らしながらも最後までやり遂げたのはたいしたもんだ。
「よし! 大丈夫だぞ!」
「マジで!? 満点?」
「いや、70点」
「そんなぁ」
流石にこの短時間で100点をとれるなんていくことはない。
そんな学園ドラマじゃないんだし。俺は有名塾講師でもないから。
「ま、70あればじゅうぶんだろ」
「まー、そうだけど」
「じゃあ、少し休むか」
だいぶ望みはあったのか、へこんでいる佐奈を励ましつつお茶でもとりに行こうと扉の前に立った時だった。
ガラガラ――
いつの間に俺の部屋は手を翳すだけで自動で開く扉が実装されたのだろう。
自動で開く扉。
そして、その向こうには、
「あ、あのお茶とお菓子です…」
顔を赤くした沙月姉ちゃんがいた
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