第11話

「遊太! 四番卓にこれ運んどいて」

 顔に汗をにじませる店長のそんな声が、ざわつく店内の中で俺に響いてきた。

指示通りカウンターに置かれたそれを両手に、四番のテーブル席に向かえば、そっと渚さんが寄ってくる。

 オーダー表を片手に不機嫌丸出しの顔をして。

 それに思わず身構えれば、


「月島君、三番卓でハイボール5! あと一杯きつめで!」

「何でですか?」

「セクハラ殺し」

 その一言にすべてを察するに至った。


――あ、またあのおじさん渚さんに絡んでるんだ。


 基本的にドリンクづくりは俺の仕事になり易い。

 それはジョッキが高いところにあったり、ボトルが重かったりと色々あるがまぁ、要は流れのようなものだ。

 実際は渚さんもやったりするが、今回に至っては完全に俺がこの任務を言い渡された。

 キッチンに戻り、隣で焼き物をしている店長を見れば、ぐっと親指を立ててくるので憂いはない。3:7のキツ目ハイボール。もはや色からしてどれだけ濃いかわかるそれを創れば、カウンター前で待っていた渚さんは笑顔で受け取ってホールへ消えていく。

 個人経営で相手が常連さんだから許されるような行為なのだ。


「はい! セクハラ殺しのハイボール。」


―言っちゃうんだ。

 ただそんなことを言われてもおかしそうに笑って飲んでいくのだからいい空気の店なのだとおもう。


「おにーさん! おねえさんたちのとこきてぇ!! オーダー」

 そんなセクハラ親父と渚さんの姿を見届けながら、残りのハイボールを作りおえれば、こちらに手をフリフリしてくるお姉さま方。


「はいただいま!」

 お客様に呼ばれれば、そのお客様の元へ向かわなくてはいけない。それが、若いお姉さま方であろうとおじさまがたであろうと、仕事なのだから。

 たとえ、端のカウンター席からじっと、母親に見られていようとも。


 午後八時。この酒を主に提供をしていく居酒屋業種にとっては第一波が残っているか、それとも、新しくお客さんたちが入りだす、そんな頃合いに沙月姉ちゃんはご来店なされた。

『予約席』

 そう書かれた紙が貼りつけられた空の一升瓶のあるカウンター席にちょこんと座った沙月姉ちゃんは、カウンターからずっと俺を見てきた。というよりかはじっと睨んでいたというほうが正しいだろう。

 視線からは『追試馬鹿』、『追試なのになにやってんの?』的なオーラが籠っており、忙しくて弁解の暇のない中では、苦痛でしかなかった。ただそれもつかの間で、しばらくオーダーを取りに行ったり、配膳などでばたばたしていれば何があったのか、いつの間にかその気配は和らいでおり、今はだいぶご機嫌なご様子で、青りんごサワー片手に塩キャベツを嗜んでいる。


「ふふん」 

―うん、かわいい。


「あ、おにーさん。 どこ見てんの?」

「ああ、すいません。 ハイボールが三つでよろしいですか」

 つい視線がカウンターを追ってしまえば、目の前のOLだろうお姉さんに不思議そうな目を向けられてしまうが、オーダーは一応聞けているはずだ。


「うん。 あ、おにーさんも一緒に食べようよ」

「すいません。 まだまだお仕事なんで」

「ちょっとぐらいいいじゃん」

 そういって、グイッと腕を抱き込まれる。酔っているからだろうか、だいぶ大胆で強引なお誘いに、それを眺める周りのお仲間は止めるでもなく、『そーだそーだ』と便乗されてしまえばこちらとしては困ってしまう。性志向で言えばもちろん女性が好きだし、年上の女の人に腕を抱かれるということ自体はなかなかにうれしい展開なのだが、

―親が見てるんです。 しかも好きな人が!

 カウンターに走らせた視界がとらえたそれは、じっとこちらを見ている。


「えへへ、高校生なんでしょ。 大丈夫、お姉さんたちとお話ししてくれればいいから。」

 年上の扱いには馴れていると思ったが、酔った年上女性なんて甘やかしたり、言われるがままだった記憶しか俺にはない。逃げ出そうにもがっちり腕はロックされ、視線はビシバシ刺さってくる中、もはや今晩の死を覚悟したとき、


「おーい お兄ちゃんオーダー!」

「はいただいま!! それじゃ後でお持ちしますので。」

――かみは俺を見捨ててはいなかった。


「もう!」

「くそう!」

 流石にオーダーを取りに行くのを妨害するような女性たちではないようで、解放された腕をすっと抜きオーダーをキッチンに預け、テーブルに向かう。


「相変わらず遊太君は大人気だな」

「助かります」

 通称・セクハラ殺しを片手にそういって、お姉さま方からとんでくる視線を笑って流すおじさんには頭が下がる。

 ただのセクハラ親父じゃなかったんだと。

 次のオーダーの時には多めにレモンをつけてあげたい気持ちに襲われるが、唯々迷惑だろう。


「自分の親に見られながらじゃ、若い子といちゃつけねぇもんな」

「…うす」

 口にしなくてもいいのだが、そういわれてしまえば頷くに限る。

 この町の中年世代は俺と沙月姉ちゃんの関係を知っている人が多く、この席のおじさんたちからは同情にも近いような目を向けられる。


「いや、まさにバイト参観だな」

「遊太、相手が酔ってるからってエッチなのは駄目だぞ」

「お持ち帰りは…今日はやめとけ」

 人聞きが悪い。言い得て妙な言葉ではあるが、残り二人の発言はなかなかに酔っているのだろう。だからといって、実は沙月姉ちゃんが好きなんですなんていうカミングアウトをできるわけもないので、その場しのぎの挨拶も早々にオーダーをとってキッチンへと退散した。


「あ、四卓お願いね」

 キッチンへ戻る途中、両手にハイボールを抱えた渚さんが寄ってきたがおそらくお姉さん方の席へ行ってくれるのだろう。内心で最大限の感謝を送り、おやじ’sにオーダーの品をお届けすれば、ようやくキッチンに戻ることができた。


「楽しそうじゃん」

 キッチンで空きグラスを洗っていれば、目の前のカウンター越しにそんな一声を掛けられる。何というか完全に不機嫌な声音。

 それだけで、その言葉が何を示しているのかはすぐわかってしまう。


「いや」

「ふん、せっかく遊太に会いに来たのに全然一緒にいれないじゃん」

 否定してみるも納得いただけないようだ。

 せっかくの休みなのに、馬鹿な俺が盛大にやらかしたから気を使って来てくれたのだろう。少しでも一緒に居る時間を作ってくれたのだろうが、今回は相手を全くできていない。

 それは俺もわかっているし、もちろんがっつりと話続けるといったような、いわゆるパートのおばちゃん現象ではなく、仕事中の軽い会話という意味なのだろうが今日は見事に人が入っているのでどうしようもない。

 相手の望みもわかるし、せっかく機嫌が直ったならば俺だって少しぐらいは話したい。ただそれはお店としては嬉しい悲鳴で出来ないという、なんとも気持ちが滅入る状況なのだがそれを表にも出せない。そんな現状に思わず、ため息がこぼれそうになると目の前を何かが横切った。


「ん?」

 ふいに視線を上げれば、


「あーん」

「へ?」

 カウンター越しに、塩キャベツが箸につままれ俺の方へとむけられる。


「あーん!」

 間違いなく、そんなことをしてくるのは目の前の沙月姉ちゃんしかいないわけで、腕をめいいっぱいに伸ばし、こちらにさらにキャベツを突き出してくる。

 顔を見ればだいぶ酔いの回った、そんな感じだが、目はマジだ。

 そうなれば俺がすることは決まっている。

 というか、できることは1つしかない。


「…あーん」

「よし! お仕事頑張ってね。 何時まで?」

 若干の恥ずかしさに嬉しさを持ちながらそれを捕食すれば満足そうにして、青りんごサワー片手にそんなことを言われる。


「えっと22時」

 高校生的にはたぶんアウトだが、居酒屋的にはかなり健全な上がり時間。

 それを告げれば満足そうに頷かれる。どうやら時間的お咎めはないらしい。


―流石、経験者


「じゃあそのあと一緒に食べよ」

 ジョッキ片手に塩キャベツを箸でつつきながらそんなことを言われるも悲しいかな。

 ほれた弱みかそれすらもかわいく見えるんだから。


「うん」

「よし! 青りんごサワー追加! あとハイボールも濃いめにポテサラ!」

 俺の答えに納得したのか、ご機嫌です!といった感じで酒のオーダーを出される。

 それだけ一緒にご飯を楽しみにしてくれてたのかと思えば、俺もかなりうれしいが

顔を真っ赤にして、空になったジョッキを突き出してくるに、

―とりあえず、ハイボールは薄めにしておこう。

 何が楽しいのか青りんごサワーを混ぜる俺を嬉しそうに見てくる彼女の笑顔に思わず、俺の方も口角が上がるが


「お姉さん隣失礼します。 あ、おにーさん俺ビール!!」

「あ、俺も!」

 すっと沙月姉ちゃんの隣に移動してきた二人の男に口角が引きつるのがわかる。


「かしこまりました」

 おそらくできたであろう営業スマイル。


――ビールじゃ濃くできないな。

 ウイスキーを足してもばれてしまうし。


「はい、青りんご。 あとポテサラ」

「ありがと、遊太」

 沙月姉ちゃんは美人なのと職業柄によるものか、流石になれているのか一切気にした様子もなくそういってくるのだから大したものだ。


「お姉さん、一緒に飲んでもいいですか?」

「あ、俺奢っちゃいますよ」

 さっきの言葉に一切返事がなかったからか、もう一度言って見せても反応はない。

 美人が一人で呑んでいるのだ。そりゃアタックしたい気持ちもわかる。

 時刻は21:30分を回ったところ。もう少しで上がりなのだが、まだ仕事中なのでなかなか動けない。


「あ、おにーさん。 オーダー!」

「あ、少々お待ちください」

 遠くからのOLさん達の言葉にもはや流れるように返す。

 だから俺にできることは本当に少ない、


「ビールです」

―ナンパしてんじゃねぇよ

 そんな気持ちを持ちながらもジョッキを二杯丁寧にカウンターに並べる。


―情けねぇ。

 ここでカウンターにたたきつけられればどれだけいいものか。

ただこちらに沙月姉ちゃんは『はよいけ』という視線を向けてくるので後ろ髪を引かれる思いでホールへ向かった。


「あ、おにーさんはやく! はやく!」

「ただいまぁ」


「じゃあ、おにーさん後で電話してよ」

「え、ちょ」

「もう、照れなくてもいいから」

「そうそう、遊太君!」

「もう、かわいいなぁ」

「あ、ハイボール3のレモンサワー2で!」

 毎度ながらオーダーという名の世間話兼お話相手をしていれば、OLのお姉さん方と連絡先を交換する羽目に。

 もはや、断ろうにも退路という退路を断たれ仕方なくといった感じなのだが。

 ただ悲しいことにうれしく思うのが男の性というもので。

 なんとも言えない気持ちと、数点の注文のはいったオーダー表を片手にキッチンに戻ろうとしたとき


ドンッ!!!!!

「ウザい!!」

 ジョッキを叩きつけるような音と一緒に沙月姉ちゃんのそんな声が店内に木霊した。

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