第8話
「沙月姉ちゃん?」
朝、目が覚めると彼女は隣にいなかった。
ただ、ぼやっと周りを眺めてみるがいい時間だろう。それでも回らない寝起きの頭は思うように動いてくれず、しばらく布団を眺めているとやけにお店の方が騒がしいのがわかりそちらの方へ向かった。
『.....!!!!......!!!!!』
扉越しに何か怒鳴り散らすような声と、テーブルをたたくような音が聞こえ恐る恐る店への扉を開けると、
「君が面倒を見るというのかい!」
「ふざけるなよ!二十歳になったばかりになにがわかるっていうんだ!」
「財産目当てならやめろ!」
「君みたいなのには無理だ!」
「お願いします」
お盆やお正月ぐらいにしか合わない親戚の人達と、床に座って頭を下げている沙月姉ちゃんの姿があった。
「姉ちゃん」
「遊太。少し待っててね」
俺にそういって笑って見せるが周りの親戚も同時にこちらを見てくる。
「遊太くん。おじさんの家に来るかい?」
「おばさんの家でもいいわよ。上の子は大学に今年から行くから部屋に余裕あるし」
「おまえ!学費を遺産から出す気か!」
「そんなことしないわよ!あんたこそ借金あったでしょ!」
「いや!俺はそんなことは一切考えていない」
「どーだか」
「じゃあ俺んちか?俺んとこはまだ小さいからな」
「うちもちょっとアパートだし」
「え、えっと」
目の前で勢いよく始まる口げんかに思わず一歩引いてしまう。
そんな時だった。
「いい加減にしないか!!!」
「おじいちゃん」
カウンターに腰かけてずっとこちらを伺っていたおじいちゃんが声を荒らげた。
確かこの人はお父さんのお父さんだ。会えばいつもニコニコしていたおじいちゃんのそんな一喝に周りは静まり返った。
「お前たちの事情は知らん!。ただ借金のある者には任せられん!」
「で、でも父さん俺は」
「ふ、じゃあ私ね」
「お前は昔から信用ならん」
「なんですって!?」
一番荒れていた二人に喝を入れ、早々と視線をほかの二人に移す。
「お前らは厳しいか?」
「俺はまだ独り身で家も手狭ですし」
「うちは子供がまだ小さくて…」
「そうか」
一通り話を聞き終えるとおじいちゃんは俺の目の前に来て膝をついた。
その隣にはおばあちゃんの姿もある。
「じゃあ遊太。おじいちゃんのところに来るか?」
「え?」
「まだ小さい。それにウチならお前ひとりはみれる。遺産なんぞなくても」
「そうよ。 …ただ遊太はお姉さんの方がいいかしら?」
おばあちゃんはそういって沙月姉ちゃんのほうを見た。
それに反応するように沙月姉ちゃんはこちらに寄ってきて俺の前に座った。
「遊太。私馬鹿だけど頑張るから。一緒にくらそ?」
「ねえちゃん......」
「お父さん!どうせこの子は遺産目当てですよ!」
「そうだ。二十歳の子に子育てなんて無理だ!」
「少し静かにしなさい」
散々な言い分の二人だったがおばあちゃんの一言で押し黙った。
自然と沙月姉ちゃんと向き合う形になると願うような目で見られたのがわかった。
きっとこの人は嫌々でも下心でもない。
幼心にそう思った俺は、彼女の胸に飛び込んだ。
「姉ちゃん。これからもお願いします」
「うん、こちらこそ」
このとき、従業員のお姉さんだった彼女が俺の義母になった。
そこからの生活は決してドラマや本のようにシンデレラストーリーではなかった。
「遊太ぁ。お水」
「大丈夫?」
「うん」
両親が死んでしまい、経営者のいなくなった居酒屋は潰すしかなかった。そして、仕事がなくなってしまい、子育てをしなくてはいけないという現実はありありと残った。
もともと俺の住んでいた家に一緒に暮らすことになったがお店の部分はもう使わないからリフォーム代もかかる。
そんな状況の中だからか。沙月姉ちゃんはスナックで働き始めた。
もともとそんなにお酒が得意ではなかったらしい彼女を毎日のように介抱した。
お店の人が良くしてくれ、必ず日付が変わるか変わらない頃には家に帰れるようにしてくれていたらしいがそれでも遅くまで働いて疲れ切っている姿を見れば罪悪感に駆られた。
そして、俺を引き取ったということは自然と町で広まりいわれのないこともいろいろといわれていたのを知っている。
遺産目当てなんて言葉はなんども聞いた。最初は意味が分からなかったが一度ネットで調べればそれの意味だって何となくわかってしまった。
ただ、彼女がそんなことを目的にしてないことは俺はわかった。
そして、隠し子だとか愛人だとかありもしないような噂だって幾つかあった。
中学の時だったか、一度だけ酔っぱらってへろへろになって帰ってきた彼女に言ったのだ。
「俺の遺産っていうの?それあればそんなに働かなくてもいいじゃん」
こんなにボロボロにならないでほしい。少しぐらい楽してほしい。そんな気持ちで言ったがその瞬間、
「馬鹿にしないで!!」
そう怒鳴られた。すぐに謝られたが涙交じりに言われたあの言葉を今でも覚えている。
「遊太は私が育てるの。だから、だから嫌かもしれないけど頑張らせて」
ずっと思い悩んでいたんだろう。顔を真っ赤に染めて、瞳を涙でいっぱいにして一生懸命笑って見せるそんな顔は初めて見る顔だった。
そして、この言葉を聞いた時この人をいつか幸せにしようと誓った。
実際は、ずっと一緒にいたいと恋心を自覚する羽目にもなったのだが。
周りは俺たち家族にいろいろなことを言ってきたが俺にとっては一番の母親だ。
運動会や発表会とくれば絶対にきて一番に応援してくれる。
お店の人なんかも一緒にきて少しやりすぎなところもあるが。
そんなところが、幼い時から見ていた彼女らしさのようで好きなんだからしょうがない。
「遊太―!遊太―!」
「はぁ、今日は飲み過ぎだな」
沙月姉ちゃんの部屋の方から聞こえるそんな声にさっきまで思い出に更けていた思考を置き去りにしてベットから飛び起きる。
キッチンに行き水を新しく用意して彼女の部屋に向かう。
ドアを開ければなにやら楽しそうにスマホを眺めている姿。
「あ、遊太!」
「もう遅いぞ。」
「いいじゃん!」
スマホを投げられ、代わりに水を渡してやればそれを飲み始める。
「あ、それみた?」
「んや?」
「みて」
言われるままにスマホの画面を見ればなんとも言えない気持ちになる。
「えへへ、お揃いだね」
「そうだね」
スマホに浮かぶ注文確定の文字と、ペアネックレスと書かれた文字。
「おかえしぃ」
「まだ早いだろ」
「一緒につけてお出かけしよ」
酔っぱらった勢いなんだろうが、そういうところが俺が恋心を捨てきれないわけなんだかこの人はわかってるんだろうか。
「おえっ」
沙月姉ちゃんが完全に眠り堕ちたのを確認してトイレに駆け込んだ。
嗚咽と共に、胃の中のモノを便器にぶちまければ頭がスッキリしたのがわかった。
――最低だな。
多分俺は整合性の取れていない人間だ。
さっきまで罪悪感に苛まれて、それでいて今度は恋心に埋め尽くされているんだから。
いってしまえばこの嘔吐は発作のようなものなのだ。
俺は最初、この恋心に俺は戸惑いもした。
いつも通りに沙月姉ちゃんに接していたとき、母ではなく女性としてみてしまった。
それはきっとどこか自分の中で性の対象としているのかもしれない。
そう察してしまったとき、唯々自分に嫌悪感を抱いた。
今では指輪を送るぐらいまで自分の中で割り切っているが、一度昔のことを思い出してしまえば、今とのギャップと自分のしてしまったことの重大さに押しつぶされそうになるのだ。
本当はもっと遊びたかったんじゃないか、やりたい仕事だってあったんじゃないか、何か夢があったんじゃないか。
思えば思うほどに自己嫌悪に押しつぶされそうになる。
「うし!」
出すだけ出して、大で流して洗面台に気付け代わりに頭を突っ込む。
「幸せにすんだろ、俺」
後悔なんて意味はない。結果はもう出ているんだから。
そう自分に言い聞かせて、俺は自分の部屋に戻った。
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