第7話

 小学四年生の冬。

 あれは忘れもしない、体育の授業の時だった。


「ナイッシュー!!」

「イエ――!!」

「よし!」

 確かクラスの元気スポーツバカ枠の隆志と、あの頃から親交があって同じクラスだった一輝と授業のバスケに励んでいたとき、


「唐沢先生!」

 そんな叫び声にも似た大声をあげて、体育館の重い金属製の扉が開かれた。扉を開けたのが校長先生だとわかるやいなや、担任だった唐沢先生は戸惑ったような顔をしたがそんなことは関係ないとばかりに、校長先生に外へ連れていかれた。突然の一幕に誰もがボールを捨てて廊下に視線を送っていたころ、意外にすぐ先生たちは帰ってきた。

 担任は涙を流しながら。

 

 クラスにどよめきが走り、女子たちは騒ぎ立てていたが校長も担任もそんなことは気にした様子もなく、こちらに歩み寄ってきた。


「お、おい遊太! 何やらかしたんだよ?」

「いや、知らね」

 焦ったように一輝に言われたが、一切俺に身に覚えはなかった。

 そして不思議なことに、嫌な予感というものだけは何となく感じていた。


「冴島遊太君だね」

「はい」

 やけに重々しい校長の口調がとても怖かった。


「ちょっと、先生と行こうか」

 返事も聞かずに校長先生はそういうと俺の腕をつかんで引っ張った。

 ぐいっと力強く腕を引かれ、大人の本気に小三の自分が勝てるはずもなく体は引きずられるように体育館を飛び出した。


「やだ!!」

 何も語らずに唯々無言で腕を引く校長が怖くて、何度もそういったが校長の目つきは鋭く、それで目は潤んでいた。

 そして不思議なことに、虫の知らせとでもいうのか第六感ともいうのか、何か聞かなくてはいけないことがある。そう思った俺の足は徐々にしっかりと地面を踏みしめだし、気づけば駐車場まで来ていた。


「乗りなさい」

 言葉ではそういったが返事も待たず、俺は車の助手席に押し入れられ、


「最後かもしれないんだ。せめて生きてるうちに」

 そう呟きながら、ハンドルを握り車を出す校長先生の横顔をただ俺は見上げていた。


「くそ!」

「こんなはずじゃ!」

 信号にかかるたびに怒りを口にする姿はいつも長々と集会で話している姿とはあまりにも違っていて、気づけば涙はもう出なかった。

 

 ついたのはドラマや映画でしかみたことのないような、大きな病院だった。

 玄関口に荒々しく止められた車に駆け寄ってくる看護師さんや警察官の姿が車のドア越しにやけに鮮明に見えたのを覚えている。


 そのあとのことはまるで映画のワンシーンの様だった。

 走ったのか、歩いてのか。はたまたそんな事実すらなかったのか。

 その辺の記憶は一切ない。

 ただ、鮮明に覚えているのは大きな白い袋が二つ目の前に現れて、それを両親だといわれたことだけだ。

 見るのはあまりに酷だといわれ俺は見せてはもらえなかった。


 交通事故だったらしい。

 いつものように二人でお店の買い出しに行った帰り道。

 危険な割込みを避けようとハンドルを切ったら対向車のトラックに。

 母はその場でもう帰らぬ人に。父だけはうわ言のように俺の名前をずっと呼んでいたらしいが俺が着いた時には言葉をかけてくれることはなかった。

 その事実を伝えられたとき、不思議なことに涙も、嗚咽も怒鳴り声だって出なかった。真後ろで泣いている校長先生や俺の肩を抱くようにしている看護婦さん。ただただうつむく警察官。異様な光景なのに俺は何も感じなかった。

 いや正確には訳が分からなかったのだ

 そして、理解ができなかった。。

 今朝、いつも通り俺を送り出した両親が気づけば死んだ。

 誰だか正体も知らない大人に囲まれ今後のことなんて言われたって分かりっこない。

 

 ただただ空虚だった。


「それじゃあ、遊太君。お洋服だけ集めようか」

「うん」

 どうやらいつの間にか家に送られていたらしく玄関の前に止められた車から降ろされれば、隣にきていた校長先生は寂しそうにそう告げてきた。。

 やけにしっかりとした返事を俺がしたからだろうか、目を見開いていたが違うのだ。

 いつも通りのお店の入り口。

 それを目にすれば、これだけが自分に理解できる現実なのだ。

 そして何気なくドアノブを引けばそのままドアを開けることができた。鍵がかかっていなかったのだ。

 きっとさっきまでのは、何か悪い夢だったんだ。

 それこそ、最近テレビでやっているようなドッキリ企画。


「ちょっとまて!!」

 後ろで校長先生は焦るような声を上げるがそんなの関係ない。

 早くこの壮大な夢を終わらせたい。その一心でドアを開け放った。

 本当は薄々わかってはいたんだ。

 もう仕込みの時間なのに一切その匂いが漂ってこないこと。

 時間は遅いのに看板に電気が入っていないこと。

 暖簾がかかっていないこと。

 

 ドアを開けたからか、かけてある飾りが鳴るのがわかる。

 いつもならここで忙しいながらの返事が返ってくるがそれがない。

 ただ、カウンターに人影あった。

 ドアが開いたのに反応してこっちを勢いよく向いた顔には覚えがある。


「遊太!」

「…沙月姉ちゃん」

 沙月姉ちゃんはこちらに駆け出してきて、俺を抱きしめてくれた。

 力いっぱい、苦しいほどに抱きしめてくれた。


「遊太、遊太」

「ねえちゃん」

 首筋が温かいもので湿っていくのが嫌に鮮明で、泣いている沙月姉ちゃんの心臓の音がやけに大きく聞こえて、静まり帰った店内には沙月姉ちゃんの嗚咽が響いていた。大好きな沙月姉ちゃんの匂いも、俺を一生懸命よんでくれる声音も俺のよく知るもので、


「沙月…ねぇちゃん」

 わかってしまった。これが現実であるのだと。


――本当にもう、両親がいないことが。

 涙を流した。


「姉ちゃん!姉ちゃん!」

「大丈夫。私がいるから」

「うん…」

 ただただ目の前の沙月姉ちゃんの名前を呼んだ。

 涙でぐちゃぐちゃになった顔を嫌な顔ひとつせずに胸元に運んで強く抱きしめてくれた。

 そのやさしさにまた堰を切ったように涙が出た。


「失礼ですがあなたは?」

 後ろでずっと見守っていてくれた校長先生が声をかけてきた。

 どうにか抱きしめられていう中で視線を送れば、その目には涙をためていた。


「ここの社員です」

 沙月姉ちゃんが答えると校長先生は考え込むような姿を見せ、


「そうですか。遊太君。 今日はそのお姉さんといるかい?それとも私のうちに来るかい?」

 そう告げてきた。

 それに俺は、


「沙月姉ちゃん」

 そう彼女の名を呼んだ。

 今思えば迷惑な話だったと思うがそれに彼女は嫌な顔一つせずに頷いてくれた。




「遊太お休み」

「うん」

 今まで通りのいつもの布団。

 ただ一つ違うのは隣に引かれた布団で寝る彼女の存在。

 夜遅くになった時に何度か家に泊まっていくことがあったがそれは遅い時間。

 普通に遊びとかお出かけで止まっていくときも、客間の方だったので自分が寝るときに彼女の顔を見ることはなかった。

 あまりに劇的だった一日。

 だからだろう、どこか落ち着きを取り戻したように思えても布団に入って、瞼を閉じてしまえば、頭の中が掻き混ぜられたようにグルグルといろいろな光景が浮かぶ。

 何度も目を開けて瞑ってを繰り返す。落ち着いたと思って瞳を閉じても、際限なく同じことが起きて、寝たくても寝れない状態が続いた。


「ん、ぐ」

 訳も分からなくただただ涙が止まらなくて、何度も布団を抱きしめた。

 ただそれでも落ち着かなくてどうにかなってしまいそうなとき、


「遊太。大丈夫だよ」

 寝付くまで見守られていたんだろう。

 そんな俺を見かねて優しい言葉と共に抱きしめられた。


「あ」

 伝わってくる体温に徐々に緊張はほぐれていった。


「沙月姉ちゃん」

「遊太。私がいるからね」

「うん」

 優しく告げられた言葉は、さっきまでの荒んでいた気持ちにやけにすっと落ちていった。

 そして、規則正しいリズムで背中を撫でられれば自然と意識も落ちていった。


「遊太。私が守るからね」

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