第6話
俺の両親は居酒屋を経営していた。
それはもう、物心がついた時から居酒屋だったから、たぶん俺が生まれる前からだと思う。自宅兼店舗タイプの店だったから、幼稚園から帰れば明かりがついた店内で両親が料理をしている、そんな光景が日常だった。
夕方を過ぎた頃合いになれば、常連のおじさんやおばさんに雰囲気で入ってきた新規のお客さん。そのすべてを忙しそうに相手する両親の後ろ姿を見るのが日課で、おじさんたちに呼ばれてジュースとおやつ代わりになる料理を奢られるのが俺の仕事みたいなものだった。
いってしまえば子供らしいさといものは些かかけ離れた、そんな生活をずっと俺は送っていた。
ただ、あれは五歳の夏だった。
「遊太今日は新しいお姉さんが入るぞ」
「うーん?」
「貴方、遊太にはよくわからないわよ。これから手伝ってくれるの」
「あい」
「たぶんわかってないぞ」
そんなことを言い合って笑い合う両親。やたらガタイがいい父親に、優し気な雰囲気を纏った母親。
ただ、二人が笑い合って言ったところで、幼稚園帰りにいきなり言われた俺が理解できるわけもない。
「むー」
「あ、わるいわるい」
「ごめんね」
ご機嫌斜めになった俺を一生懸命になだめようと両親はおろおろしだした。
というのも、これは本当に最近になってわかったことだが、俺の両親はいわゆる晩婚というやつで三十も後半を数える頃に結婚し、俺が初めて持つ子どもだったらしい。
だから、きっと子供への接し方がそこまでうまくなかったのだ。
それでも、その時の俺にわかるわけも気遣う余裕をあるわけがなくて、
「う、うえ…」
もういよいよ泣き出す。そんなときに俺の体は浮遊感に襲われた。
「おー。かわいいねぇ」
優しげな声と、甘いような爽快感のあるような不思議な香りがした。
「あ?! やぁー! やー!」
「あ、泣かないで」
突然背後から持ち上げられ、知らない人の声がしたのが引き金になって感情があふれた俺を、その人は一生懸命なだめてくれた。
持ち方を変えられ抱き合うような態勢になれば犯人の姿がよく見えた。
身長差が凄く、見上げるようにしてみたが、その人は女性だった。
ただ、母親や幼稚園の先生とは幾つか違う点があった。母親に比べてやけに大きく見える目、耳についた光るもの。そして何より、
「きんいろだぁ」
「そうだよぉ」
金色に染まった髪。
「かっこいい」
「ありがと。遊太くんもかっこいいよ」
そういって笑いかけてくれるお姉さんに俺は顔が熱くなるのがわかった。
「あー、照れてる照れてる」
「照れてない」
「えー。」
いいように揶揄われてしまったがそれでも、その瞬間が凄く楽しかった。
普段両親以外いなかったこの店にきた初めての従業員。
普段幼稚園以外では、明らかな年上の人ばかりが相手だったからだろうか、兄弟のいなかった俺はただそのやり取りが楽しかった。
それが俺と、月島沙月の出会いだった。
このとき沙月姉ちゃんは十五歳だった。
それからの毎日は、本当に激変した。
「ただいま」
「お、遊太おかえりぃ」
「あ、ただいまです」
「もぉ、そんなかしこまんなくていいのに」
家に帰って、いつも通りの挨拶をすれば真っ先に沙月姉ちゃんが返事をしてくれる。
沙月姉ちゃんが従業員さんとして来てから、両親の方は料理の方に集中できるようになったようで、フロアを掃除していた沙月姉ちゃんが一番に反応を示してくれる。
そしてそれを引き金に、厨房からひょっこりと顔を出してくる両親。
――新しかった。
「遊太、幼稚園どうだった?」
「え? うーんなにもなかった」
「えー? かわいい女の子とかは?」
「わかんない」
「ええ―!!」
何を期待していたのか、ちょっとつまらなそうに言って見せる沙月姉ちゃんだったが、なんとも新鮮だった。普段はこの時間から忙しいため業務連絡的なモノしか聞かれない幼稚園の様子。それなに沙月姉ちゃんはグイグイといろいろなことを聞いてきた。
だからだろう。俺はそんな沙月姉ちゃんにものすごく懐いていた。
「沙月ねえちゃんは?」
「遊太、まずはお母さんにただいまでしょ」
幼稚園から帰って開口一番にそう口にする俺に、カウンターでレシート整理をしていた母親は困ったようにそう返してきた。
「…ただいま」
「はいおかえり。 沙月ちゃんは、きょうはお休みよ」
「えぇー」
沙月姉ちゃんがいないとわかるや否や、不満の声を漏らす俺は親から見れば不満も不安もあったと思う。自分の息子が一介の従業員をいたく気に入っていて自分への挨拶もずさんだったのだから。
ただ、俺は本当に毎日が楽しかったのだ。お店の掃除などで開店時間より早めに来る沙月姉ちゃんは、最近の面白い話をしてくれたり、俺の幼稚園での何気ない一コマに興味を示してくれる。今まで時間がなくてろくに両親には言えていなかった話を喜んで聞いてくれる。楽しくてしょうがなかった。
今日話そうと思っていたことがあっただけに、なんとも消化不良な悶々とした気持ちをもって自宅部分に行こうとしたときだった。
「遊太。お菓子持ってきたよ」
「あ、おねえちゃん」
「おーよしよし。かわいいねぇ」
後ろで勢いよく店の扉が開いたかと思えば、すっとこちらに寄ってきたこのお姉さんは乱暴に俺の頭を撫でてきた。
「沙月ちゃん。今日お休みでしょ?」
「あ、遊太と遊ぼうと思って」
「本当にいいの?」
「はい。」
「よし! 邪魔になんないようにお部屋いこっか」
沙月姉ちゃんに腕を引かれ、自分の部屋へとむかったが今思えば母は心配だったと思う。お休みの日にまで従業員の年頃の女の子が自分の子どもを相手しにきて甲斐甲斐しく面倒を見ているのだから。
ただそれを強く注意したり、邪推しきれなかったのは家族との時間の少ない俺への申し訳なさもあったと思う。
「遊太ぁ!!がんばれ!」
「遊太頑張ったね。」
沙月姉ちゃんは運動会や、発表会にも来てくれた。実際は俺がかなり無理を言っていたのかもしれないがそれでも来て一番に応援して、褒めてくれた。もちろん親も本当に大きなイベントごとの時は二人で来てくれるが基本的には一人。まだ周りが両親で来るのが多かった時なのでどこか劣等感というか恥ずかしさみたいなのがあった俺は、凄くうれしかった。
――楽しかった。
両親が個人経営で飲食、しかも夜型の居酒屋をやっているため他の家の子とは休日の思い出も違ってくる。だから夏休み明けとかは嫌いだし、土日休みの後だってあまり自慢できる話がなくてそんなに好きじゃなかった。
ただ沙月姉ちゃんはそれを見越してか、プールにも連れて行ってくれた。映画だって子ども映画なのに付き合ってくれた。キッズイベントやちょっとしたお出かけにも連れて行ってくれた。
そしてそんな生活が当たり前のようになっていった。
あの日までは。
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