第5話

「え?」

 目の前にこの時間帯にいるはずのない義母の姿の姿に思わずそんな声を発してしまったのは仕方ないだろう。本当に普段、この時間にはいないのだから。


「なによ?」

「いや、ただいま」

 じっと見てしまったからか、居づらそうにこちらをジト目で見てくるが内心俺は穏やかではない。。

 普段会えない時間に会えるのだからそりゃうれしい気持ちはもちろんある。

 ただ、佐奈の家から帰ってくる間の10分間。一人で暗くなった道を歩けば自然と思考もそっち方面につられてしまうというもので、長い期間を掛けた指輪作戦の失敗。それを思い出してしまっていたから、この突然の状況にうまく言葉を返すことができない。というか、いつものコミュニケーションの形がわからない。

 なんとも言えない空気だが、一歩踏み出し靴を脱いで廊下に初めの一歩を投じる。

 それをじっと見てくる沙月姉ちゃん。


「ご飯は?」

「えっと、佐奈んちで食べてきました。」

 早々に退散しようかと思ったらそんな言葉を投げかけられる。

 なんというか、思わず敬語で返してしまったがこの時間とこのタイミングでのこの質問。


――まさかな?


 そんなことはないだろう。そうは思うが、頭のなかには一つの予想が成り立っている。


「そう…じゃあ片づけちゃうから」

「え? 作ってくれたの?」

 どうやらそのまさかだったらしい。ここで一つ言うならば、昔から沙月姉ちゃんと晩飯をあまり食べれたことはない。それは本当に、仕事柄もあり週に一回も一緒に食べれればいい方だった。

 それこそこの前は、誕生日ということもあって休むだったらしく晩飯を作ってくれたがそれだって1週間ぶりだ。ここまでを聞けば多くの人は沙月姉ちゃんが全く、料理をしないように聞こえてしまうがそんなことは一切なく、朝に夜まで作っておいてくれるのでだらしないというわけではない。


「そりゃ…今日珍しく暇になっちゃったし」

 俺の言葉に、言い淀むように口を尖らせて返す姿に思わず、さっきまで沈んでいた気持ちと、ずっと燻っている恋心を揺さぶられるものを感じるが今はそうではない。


「いや、食べる! 食べるから。 佐奈んちで遠慮してたし。今日は体育あったし」

 必死になり過ぎているように見えるかもしえないが、必死なのだからしょうがない。

自分の好きな人の料理が食べれるのだ。それもこの瞬間の自分のために用意してくれたものを。

 それを前にして食べないという手は俺にはない。 


「ふふ、わかったから着替えてきなさい。」

 俺の言葉に満足したのかニコニコしてキッチンに戻っていく姿を見送り、いなくなったのを確認して、一つ大きく息を吐く。


「ずるいって」

 本当にずるい。そして弱ったものだ。正直、佐奈の家では限界近くまで食べてきているのだがあんな大食い宣言をした自分にも、あんな笑顔を見せてくれる沙月姉ちゃんにも、本当に弱ったものだ。


「よし、行けんな」

 自室に戻って、カバンをベットにおいて鏡で顔を見る。部屋に戻って電気をつけたときは、鏡の前に完全に顔がにやけ切ったヤバい奴がいたがその姿はもうない。


「うし! 集中!」

 若干思い出して、にやけそうになったがそれも両手で喝を入れれば引き締まる。

 顔が完全に治ったのを確認して、俺はダイニングへと向かった。

 

「すげぇな」

ダイニングに入り、テーブルをみての第一声はそんな驚きの言葉だった。


「ふふん、昨日に引き続き本気を出してみました。」

目の前で自慢げに胸を張る沙月姉ちゃんを視界の端に留めてテーブルをもう一度見るが、言葉通りかなり気合を感じる。何となく廊下に漂っていた香ばしい匂いの数々。それにこたえるようにテーブルに所狭しと置かれる焼き物から始まって煮物、揚げ物などの料理の数々に思わず感動すら覚える。


「あれ?」

 ただ一つ不思議があるとすれば、席に付きながら自分の前を見れば盛り付けられたサラダと取り皿が。沙月姉ちゃんの前には、しっかりとご飯がお茶碗によそわれている。。

 一度、前の席に座っている沙月姉ちゃんに視線を送れば呆れたようにため息をつかれてしまう。


「どうせ結構食べてきてるんでしょ。ごはんはいいからおかずだけでも一緒に食べよ」

「はい」

 どうやら俺がある程度食ってきていることはわかりきっていたらしい。

こういうところもかなわないのだ。


「ふふ」

 俺が食べてるのを何が楽しいのか笑顔で沙月姉ちゃんは見てくる。

 そっちからしたら息子の食事姿を楽しんでいるだけなのかもしれないが、俺からすれば母親の視線という事実にもう一つ、好きな人の視線という条件のおまけもあるのでなんとも気恥ずかしい。


「うん、うまい」

 とりあえずはこの気まずさから逃げるべく、目の前の唐揚げを頬張る。

 ぱっと見沙月姉ちゃんもしっかりと食べているから、俺が返ってくるのを待っていてくれたのだと思えば少し申し訳なくなってくる。


「きょう、連絡しなくてごめん」

「ん、いいよ。 私も遊太に連絡入れればよかったね」

「いや、まあごめん」

 本当に気にしなくてよさそうにしてくれるが、実際問題では今はもう夜だ。

 よい子は寝る時間に、連絡も一切ない俺の帰りをご飯を作って待っていてくれたなら、非は完全に俺にある。


「ねぇ、遊太。佐奈ちゃんかわいかった?」

「なんだよ急に」

 静まり切ってしまった空気に沙月姉ちゃんが話題を変えようとしたのか、それとも気になったのかそう聞いてくるが、ありがたい面が二割でめんどくささ八割。


「えぇ、だってこの前服屋さんであったらめちゃくちゃかわいくなってたじゃん」

「じゃんっていわれても」

 なんというか、沙月姉ちゃんはだいぶ佐奈のことを気に入っている。だから嬉しかったのかもしれないが、なんとも答え辛い質問を投げないでほしい。


「ええ? かわいかったでしょ?」

「はいはい。 かわいい、かわいい」

 こうなってしまったら下手に否定しないほうがいい。それこそ小さいころから女の子への扱いみたいなことは説かれてきたし、女の子のおしゃれの大変さも何となくわかっている分素直に認めるのが吉だ。実際、可愛くなってはいるとおもうし。


「なんだよ」

 俺の解答のなにかが気に食わないのか、じっとこちらを睨んでくる沙月姉ちゃんに声を掛ければ、更にムッとしたような顔をされてしまう。


「私には、全然かわいいなんて言わないに佐奈ちゃんには言うんだ」

「い、言えるか!」

「えぇ、たまにはかわいいって言われたい! キレイは聞き飽きたぁ!!」

 なんとも世の女性を敵に回すような発言だが確かに、美人だと思う。

 それは別に恋してるからとか家族だからとか、といった贔屓目は一切なくても美人だといえる。

目鼻立ちの整ったシミ一つないその顔は、エクステもなしに結構長めのまつ毛もあってかすっぴんでも美人だ。そして肩まで伸びた髪は毛先に近づくにつれ明るく染められたグラデーションカラー。どことなく大人ギャルな雰囲気を漂わせているが実際その気はあるし、職業柄の面もあるのだろう。


「はあ、世界一かわいいよ」

「あー、遊太。なんかチャラいー!」

「うざ」

「そういうこと言わないの」

 かなり勇気を持った言葉もさらっと流されてしまう。そしていいからからかい材料に。

 別に沙月姉ちゃんの言うような、半端な気持ちで言っているわけではないのだがそれについて本人が気づくことはないと思う。

 ただニコニコ顔で酒をグラスに注いでいるあたり、気分は治ってくれたようだ。


 そのあとは食事もつつがなく終わり片づけの後、久しぶりにゆっくり話す時間になった。

 時刻で言えば22時を完全に過ぎているのだが、こうしてゆっくりと話せる機会は沙月姉ちゃんの職業上本当に少ない。それこそ朝飯の時に話せたり学校から直帰して少し時間が取れるか取れないかといった次元だ。だからこそ、帰ってきたときの気まずさも全て飛んでいく。


「あ、ママから一週間休みとれって言われたから行きたとこあったらいこうよ。」

『なんかストック有休とかいうやつらしいよ。知らんけど』

 かなりご機嫌な様子で、明らかにリキュールと炭酸水の比がリキュール優勢に傾いているそれを傾けながら、そんなことを言ってくるが思わず笑みがこぼれる。


「俺、学校あるよ」

「大丈夫。高校は一週間くらい休める」

 とんでもない宣言をサムズアップを合わせて俺に言ってくるその姿は思わず感動してしまうが、困ったものだ。一週間どころか一カ月でも休んでやろうと俺の意識が向かっているんだから。


「たまには出かけたーい」

「だいぶ飲んでんな」

 普段ここまで感情を表に出すことはない彼女が、こんな風にちょっと我儘っぽいことを言ってくるに、どうやらだいぶ酔っているらしい。


――たまにはいいかもしれない。


 普段はそんな面を見せない沙月姉ちゃんの酒の力かもしれないがれっきとしたリクエスト。それに答えない手はない。


「明日バイトだから水曜日からなら」

「よーし、ディズニーに海に、あとキャンプ。それから……」

「そんな回れないから」

 本当に一週間だとわかっているのだろうか。目の前で楽しそうにスマホを開きアイデアを出してくる姿を見て、うれしい気持ちが俺の中を満たそうとしていく中で、わずかに、だが確かに罪悪感を感じた。


「もう、まだ飲めるのに」

「はいはい。また明日な」

「…うん」

 あの後は延々とグラスにサワーからハイボールまでと幅広く注ぎだして、お出かけプランをスマホ片手に色々提案してくれたが、後半からはおんなじことの繰り返しと呂律が崩壊しだし、気づけば完全につぶれてしまった。


「よっ」

「ん」

 テーブルに力尽きているその体に腕を差し込み慣れた手つきでお姫様だっこをすれば、力という力はないがしっかりと背中に手を回してくれるので、そのまま沙月姉ちゃんの部屋へ向かう。

 こればっかりは、何度も飲酒の介抱をしているためかやけに慣れてしまったので特に何かあるというわけでもないが、どこか損のような、そんな気持ちがしないこともないが、  


「遊太、プレゼントありがと」

「うん」

「えへへ」

 胸元でそうつぶやかれれば一気に満たされる気持ちになる。

――本当に喜んでくれたんだな。

 やけに激しく動き出す胸の音がばれないように、足早に沙月姉ちゃんの部屋むかいベットに寝かせ、リビングに戻りペットボトルの水をニ、三本枕もとに置けば俺の仕事は終わりだ。


「おやすみ」

 返事こそ帰ってこないが、力なく降られた手に一安心して俺は部屋の扉を閉めた。

 自分の部屋に戻ってベットに倒れ込む。

もちろん、この後グラスを片づけたりとやることはあるにはあるが、今はベットに沈みたかった。


「ひどいことしたよな」

 思い出すのはさっきの楽しそうな沙月姉ちゃんの姿。

 楽しそうに旅行先を考えて、たった1週間のお休みを嬉しそうに考えた彼女の姿。

 それを思い出せば、思い出すほど自分が嫌になる。

 あの笑顔を見れば、沙月姉ちゃんがまだ年頃の女性だということやもしも俺がいなかったらという思考や、俺がやってしまった選択の重さを思い出すからだ。


「ごめん」

感情が徐々にさっきまでの楽しい気持ちから罪悪感に押しつぶされそうになって、言葉にしてみてもそれが変わることはない。

ベットのわきに置かれた写真立て。

そこに映る四人の人に唯々俺は質問を投げかけたかった。


「ほんとうに正しかったんだろうか」



――俺は、沙月姉ちゃんの人生を奪ってしまったんじゃないだろうか。

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