第2話
――失敗した。
朝の目覚めと共に、そんな重めの気持ちが俺の頭の中を走り回っていた。
それはそれは、目障りなほどに。
長い期間と多大な尊い犠牲の先に生まれたそいつは無常にも、右手の薬指に吸い込まれていったのだ。
思い描いていた感動のエンディングなんて訪れずにそれで終わってしまった。
ただ実際にそれが左手で輝いたときそれを俺は純粋に100%の気持ちで喜べるのか、うまくいったとき何ができるのか、一晩考えてみれば思いのほかそこへは考えなしで、ただここまで溜まってきた気持ちをなにかに変えてみたかった、そういうだけなのかも知れない。
土日が終わって月曜日。代々の先駆者たちのせいか扉がひしゃげた下駄箱で乱雑に入れられた上履きに履き替えればまた一週間の始まりを感じてしまう。
公立海老里高校。名前に海老が紛れ込んでいるが海沿いなんていうことは一切ない、内陸のデザイン性の欠片もないコンクリ感丸出しの高校だ。全室エアコン完備なんていう奇跡は一切なく、エアコンが付いているのは校長室と生徒指導室、あとは応接室を筆頭に数部屋程度というのがいかにこの学校が古いかをありありと表している。最近では、夜な夜な科ごとの準備室が対抗してエアコンコンペなるものを行っているとか、いないとか。
ただそんな努力も虚しく、新しく導入されたのは一年生にかっこいいいところを見せるためとか訳の分からない理由で一年生の教室全室に配備された。
校長とか教頭は入学者数が増えるかもとかで小躍りしていたらしいが。
憂鬱だとしか言えない。
別に熱くなってきたこの時期にエアコンがない教室で一日過ごすことが億劫だというわけではない。
女の子はなかなか難しいだろうが、男なんて教師に文句を言われない程度にボタンを空ければそこそこ事足りる。
エアコンなんて、今の俺からすれば大した問題にすらならない。
そんな次元の悩みではないのだ。ここからの生活はそれなりに変化を期待していた。もしも叶ったら、もしもそうなったら、色々な予想をしていたため気持ちは一歩一歩と教室へ向かって踏みしめる度に、だんだん沈んでいくようなそんな気持ちに襲われる。
『2ー4』
扉にはめ込まれたガラス越しに教室を伺って、2-4のプラ板を上に掲げた扉を開け真っ先に自分の席に着き机に沈む。
「ああああぁあああ!!!」
「うるせぇぞ!
「お前にはわかんねーよ」
「ど・う・せ!うまくいかなかったんだろ」
「……おう」
うまくいかなかったんだろう。その言葉が指した先はただ一つ。
こいつは俺の秘密を知っている。強調して『どうせ』の部分を強めに印象付けてきたのは気に入らないが、それでもこの事実は揺るがない。
机に沈んでいた頭を少し持ち上げればあきれたような表情で見てくる男が一匹。
「お前の母さんなんだって?」
「ありがとうって」
「よかったじゃん受取ってもらえて」
「でも、左手じゃなくて右手だぜ・・・・・」
口に出してしまえば思い違いや悪い夢だった可能性はゼロになってしまう。
思い出してもう一度机に沈もうとすれば背中を強くたたかれる。
「お前、つけてもらってんじゃん!」
「でも右だし」
「馬鹿! 飾られたりするよりかマシだろ」
背中に受けた痛みが、結構痛かったので睨みを籠めて見てやるが、笑顔で俺を鼓舞しているこいつが目に入ったのですぐにやめる。
笑顔なんかで返されてしまえば、俺の殺意が行き場を完全に失ってしまうのだ。
「俺の兄ちゃんなんかこの前貢がされたって嘆いてたぞ」
「それはいってやるなよ」
牙をもがれた俺に、笑い話のようにお兄さんの身の上話をされるが、贈り物経験者としては笑えない。
多分本当に泣いたんだろうな、隆司さん。
「でもさぁ」
「なんだよ。 喜ばれなかったのか?」
「いや、喜んでたと思う」
そう、間違いなく喜ばれはしたはずだ。
「じゃあいいじゃんか」
俺の言葉を聞いてか、一輝に笑いかけられれば聞こえてくるのは担任の号令。
「じゃあまたな」
「おう」
流石に号令は無視できず、足早に自分の席に向かっていく一輝を見送り自分もカバンに手を掛ける。
号令から始まるのはいつも通りの業務連絡。最近の注意行動であったり課題をさぼっているやつへの最後通知であったり、最近の小ネタであったり。
なんでもないような業務連絡を受けつつ思い出すのはあの日のこと。
土曜日の朝から地方JRの電車に乗り、都会のジュエリーショップへ。
別段、自分のいる地域にそういう店がないわけでもないが、それでもブランドを決めていただけにしっかりとした正規店で買いたかったのだ。
『ディファニーの指輪とか嬉しいかな』
そんなクラスの女の子のアドバイスで選んだこのお店。
外観からして、いかにもな感じの高級店。
ネットで下調べはしたから俺みたいな学生でも買えるものがあるのはわかっているし、予算だってしっかりあるのだが、一人というのも余計に緊張してしまう。
入った瞬間一気に視線を集めるのがわかったがそこは流石プロ。明らか場違いだとは思ったとしても、さっと寄ってきて要件を伺ってくれた。
流石に指輪のコーナーに並んでいる七桁の指輪なんて買えるわけもなく、さりげなく接客の中で俺の年齢を聞き出し、いい感じの値段帯を勧めてくれいろいろアドバイスもくれた。六桁のそこそこなモノの購入を検討していると返せば、少し驚かれたがそれもつかの間。会話の中で選ばれたのは1つの指輪だった。
そして贈った9号のローズゴールドの指輪。
それは、右手の薬指にはめられた。
一度はめられた以上、『左手狙いです』という勇気も出ずにあえなく玉砕。
もとより日和ってエンゲージリングではなくファッションリングを送った俺が悪いんだが。
『こんな高いもの買ってきて馬鹿………誕生日プレゼントありがと』
嬉しそうに指輪をつけた手を左手で握りしめて、大好きな笑顔で言われれば仕方ないじゃないか。
それに指輪を、凄い大事にしてくれてるのはわかる。何かにぶつかって音を立てたときはそれとなく視線が右手に落ちるのが一緒に居るうちにもわかるからだ。
それに何より、沙月姉ちゃんの誕生日だったはずのその日の晩。
俺の好きなモノばかりが並んだ豪華な食卓が印象的だった。
気が付けば、授業もつつがなくお昼休み。
「今日はなんかすごいな」
「そうか?」
俺の手元に視線を落としそう告げてくる一輝に聞き返してみれば全力で首を振って見せるのが、そんなに変化があるだろうか。
周りが購買だの自販だの、抜け出してコンビニだと教室から飛びだし、呼び出しのある奴らが必死に弁当を飲む勢いで食べ始める中、俺はカバンからゆっくりと弁当箱を取り出した。
少し子供っぽいキャラクターものの巾着袋。もう何年も前になるが、キャラクターもので割高のそれを強請(ねだ)ったのは懐かしい話だ。この年になるとなんとも情けなく思えてくるのだが、子供用だった分頑丈なこれをここまでずっと使いこんでいるのだからもはやプラスだろう。
いつの間にか前の席に座ってこっちを向く一輝がコンビニの袋から何かを取り出すのを横目に、弁当の蓋を開ければご飯の上に”ファイト”の4文字。
小さいアがやけに大きく見えるがご愛嬌だろう。
そしておかずの入った二段目に見えるのは、お弁当の代名詞として長年ドラフト首位にいるタコさんウインナーに唐揚げとハンバーグに野菜が少々。所謂定番というところを見事に抑えてその姿は長年の積み重ねだろう。
「確かに、文字付は珍しいわ」
普段は米には梅干しが置かれたりゴマが振られていたり、ふりかけが別でついていたりと多岐にわたるのだが、文字のりはイベント事の時にしかなかったはずだが、今日は気分でもよかったんだろう。
「いや、そういうことじゃ……あぁあ」
「なんだよ」
適当に取った一口大のハンバーグ。それをを口に放り込めば聞こえてくるのはあきれのような悲鳴。いったい何が言いたいんだよ。
「いや、ハート形に見えた気がしたけど俺の気のせいだ」
「うざ」
「ひでぇな」
壮絶な負け戦を超えてきた俺に対して、ハートだなんだという一輝の方が酷いと思うのだが。俺の言葉を軽く受け流し一輝はパンをかじりだすので、俺もそれにつられ弁当にまた箸をつける。
――あ、今日のウインナーはシャウエッソンだ。
実際は何なのか知らないがうまいからそれでいい。実際いつもうまいんだが今日はいつも以上うまく感じるのは、きっと目の前の馬鹿と話して気持ちが落ち着いたからだろう。
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