第1話 嵐の前の雲

「〜〜♪」

「あら、陸斗りくとったら随分とご機嫌じゃない」


 鼻歌交じりで洗面所から出てきた鷹峰たかみね 陸斗りくとに、その姉である美海みうが一階と二階とを繋ぐ階段の中腹から話しかけた。


 黒髪ショートの中肉中背な少年と、それを高みから見下ろす赤毛ショートヘアの高身長で細身な少女。

 どこか、主人公VSライバルを想起させるシチュエーションだが、そんな事は起きることはなく。

「何かいい事でもあったの?」

 ごく自然に美海が陸斗の機嫌を伺う。


 しかし、普段は話しかけて来ない美海が今回に限って話しかけてきたの事に陸斗は驚くのだった。

 驚きのあまり

「げっ、姉貴……」

 普段は隠してる美海に対する苦手意識を表に出してしまう陸斗。

 当然、その声に美海が気づかない訳が無かった。

 しかし美海は陸斗が驚いたことよりも、

「げっ、って何よ。お姉ちゃんに向かってその嫌な顔は無いんじゃない?」

 嫌そうな顔をされた事に腹を立てるのだった。

「はい……すいませんでしたお姉様」

 陸斗は美海に頭が上がらないのだろうか。先程は美海のことを『 姉貴』と呼んでいたが、今回は『 お姉様』である。

 これだけで少なくともこの姉弟間の関係図は分かるだろう。


「まぁ、分かればいいのよ」

 思ったより早く従順になった陸斗を美海は満足そうに、引き続き階段から見下ろす。


「それで?何かいいことあったの?」

 話が落ち着いたことで美海は再度、陸斗にさっきまで機嫌が良かった理由を聞く。

「いいことがあったと言うより、今からいいことがあるんだよ。何せこれから琴里ことりちゃんとデートなんだから」

 彼にとっては初めての彼女である櫛形くしがた 琴里 を思い浮かべながら、上機嫌に質問に答える陸斗。

 そして彼女は陸斗と美海の幼馴染であり、当然今の二人の関係を美海はよく知っている。

 だからこそ

「それはいいわね。夜ご飯にお赤飯でも炊いとく?」

 美海は軽くこんな冗談を言えるのだろう。

 いや、むしろ陸斗の性格を知ってるからこそ、狙って言ってるのかもしれない。

「そこまでじゃないから。いやむしろまだ高校生だからそういうの早いから!」

「そういうのって、どういうの?んー?」

「いや……あのそれは……」

 良くも悪くも真面目な陸斗は、イタズラ好きな美海からよくからかわれていた。


 そんな陸斗はと言えば、隙があれば美海に反撃する機会を常に伺っていた。

 しょっちゅうイタズラされているのだから、そうなるのも不自然ではないだろう。


 そしてこの瞬間も、美海に反撃できるものが無いかを探す陸斗。

 間もなくして陸斗はあることに気がつき

「…えっと、ところで姉貴」

 とほぼ真上にいる美海に呼びかける。

「ん?」

 当然、その呼びかけに美海は反応する。


 少しは効果があるだろうと、願いを込めて陸斗はこう告げるのだった。

「パンツ見えてるんだけど」

 と。


 すぐさま美海は自身の下半身に視線を向ける。家の中だからと、ズボンを脱ぎ捨てたことで見事なまでに下着丸見えな下半身を。

 しかも幸か不幸か、この時の陸斗の視界に入っていたのは勝負下着と言わんばかりの赤レースのものだった。


 これはむしろ、美海にとっては好都合であり

「……えっち♡」

 と色気たっぷりの目線を陸斗に送るのだった。


 しかしながら、陸斗と美海は姉弟であり、真面目な彼にはその手が効くはずもなく

「はっ!姉貴のパンツなんかで興奮するかよ」

 と、吐き捨てるかのように言葉を発する。


 この陸斗の反応に美海は面白いはずもなく、

「そうだよね〜、陸斗が興奮するのは琴里ちゃんのパンツだよね〜」

 再びからかい始める。

「違っ……!」

 反射的に陸斗は否定する。


 が、それを想定していない美海では無かった。

「えっ?彼女のパンツに興奮しないの?」

「しないわけじゃないけど……そういう訳じゃないけどっ!」

「うんうん。そういう訳じゃないけど?」

 とにかく陸斗をからかいたい美海は容赦なく聞き急ぐ。

 陸斗の困り顔が美海を喜ばせ、美海が喜んでる顔に陸斗は困惑する。

 どうあっても、弟である陸斗はその姉である美海に勝てないのである。



 それでも、陸斗はこれだけは言わなければという思いで、言葉を放った。

「それじゃあまるで琴里ちゃんのパンツ目当てで付き合ってるみたいじゃないか!俺と琴里ちゃんはプラトニックな付き合いをするんだから!」


 あくまで陸斗は彼女の琴里とは下心無しの恋人同士でいたい、そう言いきった。

 すると、その陸斗の言葉を聞いた美海はさっきまでの笑みをみるみるうちにと引っ込めていった。

「ふーん……。プラトニック……ねぇ?」

 そしてさっきまでの陽気な声とは打って変わって、急に冷めた声を発する美海。


「なんだよ、その言い方……」

「なんでもなーい」

「なんでもないって言ったって……さ」

 美海の含みのある言い方に、陸斗は動揺を隠せなかった。


 しかし、その陸斗の動揺を落ち着かせないという意図があったかは分からないが

「それよりもデートの時間平気なの?」

 突然、美海が廊下に掛かっている時計を指さした。

 その時計が示していた時間は、陸斗が琴里との待ち合わせ予定時刻の30分前であった。

「あっ、やべっ!!」

 二階の自分の部屋にある荷物を取りに陸斗は慌てて未だに赤レースの下着を丸出しにしている美海の横を通って階段を駆け上がっていく。


 そしてすぐさま、陸斗は茶色のショルダーバッグを持って階段を駆け下りる。

「そんじゃ行ってくる!」

「行ってらっしゃ〜い」


 そしてそのまま、大急ぎで琴里が待つ場所へと陸斗は走って向かうのであった。


 家に残った美海は、陸斗の気配が感じられなくなるのを確認すると

「プラトニックねぇ……ふふっ。あぁ、笑っちゃダメよね。陸斗の考えなんだし」

 自分の部屋に戻り、部屋の隅に飾ってある一枚の写真を見つめると、不意にそんなことを口に出し始める。

 その写真には、小さい頃の美海本人、そして陸斗と銀色髪の少女がぼんやりと写っていた。


「でも、それで琴里ちゃんは満足してるのかなぁ……ってね、お姉ちゃん思うんだよねぇ」

 それだけ言うと、美海はベッドへと倒れ込みそのまま寝るのであった。



 その美海がベットで寝始めた時だった。

「あれ?そういえば?なんで姉貴、デートの待ち合わせ時間知ってたんだ……?」



 不意に、陸斗の脳裏になんとも言えない疑問と不穏が押し寄せたのであった。

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