第9話 「命の天秤、そしてレーズンパン」

「このバカ者が!!」


 ウェイクブルク西区の端っこにある、ここ『星々の断片』は残遺物トラッシュ創造物サムレシオンの買取と鑑定、販売を行っている店で、俺はここの常連だ。品揃えもいいし鑑定の腕も確かだが、いかんせんボロい。その理由が、今俺の目の前で怒鳴り散らしている初老の店主に問題があるからだ。身長は一六〇センチあるかないかほど小柄で禿げ上がった頭、そして怖そうな人相。そこにこの気性の荒さによって、品物に関係なく人が寄り付かない。

 俺だって聖遺物レリックが扱えないという特異体質じゃなければこんな店には近づこうとすらしなかっただろう。


 しかし。


「こら! 聞いとるのか!!」


「あー。聞いてるよ、爺さん」


「わしはお前のことを心配して言っておるのだぞ!!」


 一度ここで買い物をすれば、この店の良さが分かる。人は少なく、商品も豊富、そして何よりこの店主は面倒見がいい。

 何も分からなかった俺に一から残遺物トラッシュのことを教えてくれたのが、ほかならぬこの爺さんだった。

 この人がいなければ、俺はとっくの昔に死んでいただろう。


「おいこら! またボーっとしおって! わしの話を聞かんかい!!」


「だから聞いてるって」


「嘘つけ! お前が聞いてないことくらい、死んでても分かるわい!!」


 それだと爺さんは死んだことになりませんか?

 それでいいんですか?

 爺さんは俺の脳内突っ込みを知るよしもなく、カウンターに身を乗り出す。


「三つ子石を使ったことを怒っておるんじゃない。お前の行動そのものに怒っとるんじゃ!」


「わ、分かってる。悪かったと思ってるよ」


「…………」


 爺さんが俺の顔を黙って見つめる。


「な、なんだ? 気持ちわりぃな」


「……お前はわしが最初に教えたことを覚えておるか?」


「あ、ああ。覚えてるよ」


「言ってみろ!」


「覚えてるのに?」


「いいから!!」


 俺は爺さんの圧に負ける形で、仕方なくその恥ずかしい言葉を口にする。


「いのちだいじに」


「そう! それじゃ!!」


 爺さんは満足そうに頷くが、俺は顔から火が出るほど恥ずかしい。

 だってこれはゲームの命令だろ。なんで先祖代々の格言みたいに言わないといけないんだよ。これをこの世界の命令系統に組み込んだのは誰だ?

 しばき倒してやりたい。


「ほらな。ちゃんと覚えてただろ?」


 恥ずかしさを隠すために俺はそう言うが、爺さんはそれに憤慨する。


「覚えてただけじゃ意味ないんじゃよ! 実行してなんぼじゃろが!!」


「実行したからこそ、今こうしてここに立ってる」


 俺の反論に、爺さんはため息を吐いてあきれたように頭を一撫でする。


「分かっとらんな。わしが言っているのは、自分の命を天秤にかけるなと言っておるんじゃ」


「……?」


 いまいち理解できない俺に、爺さんは優しく諭すように言葉を紡ぐ。


「よいか? 自分の状況を理解しろ。今回はお前の実力でも倒せる相手だったからよかったが、もしかなわないようなてきならどうした? その女の子を見殺しにできたか?」


「…………」


 俺の沈黙に爺さんはまた一つため息を吐く。


「できないじゃろ? それが自分の命を天秤にかけていると言っておるんじゃ。お前の天秤は自分の命と他人の命を乗せた時、必ず相手の方へと傾いてしまう」


「別に俺は自分の命を軽く見てるわけじゃ……」


 俺の苦しい言い訳に、爺さんは静かに首を横に振る。


「問題はそこじゃないんじゃ。普通の人間なら、自分の命を天秤に乗せるようなことすらしない。なのにお前は、そのたった一つしかない命を簡単に乗せよる。わしはそれをやめろと言っておるんじゃ」


「…………」


 俺は何も言えなかった。

 爺さんはマッチでキセルに火をつけると、煙を口いっぱいに吸い込む。


「はぁー。まったく。お前という奴はどうしようもない奴じゃな。三つ子石だけじゃなく、貴重な創造物サムレシオンまで使いおって。それの代償はでかいぞ?」


「ああ、分かってる。今度からは気を付けるよ」


 爺さんはもう一度ため息を吐くと、キセルを置いてカウンターの下から一つの袋を取り出した。


「今回の探索で消費した残遺物トラッシュ一式と呪縛の契約イングレイブの薬瓶を四本。合計で金貨十枚じゃ」


「助かるよ」


 俺は爺さんから荷物を受け取って代わりに金貨をカウンターに置く。


「おい、坊主」


 扉のドアノブに手をかけたところで、爺さんが声をかけてくる。

 振り返るとそこには、少し寂しそうに微笑む初老の男。


「死ぬなよ」


 それは俺ではないほかの誰かに向かって言っているような気がした。


 だから俺も、

「分かってるよ、じいちゃん」

 自分ではない誰かでそう答えた。











 彼女が目を覚ますと、そこは知らない場所だった。知らない天井に、知らないベッド。これだけでも異様な状態だが、そこに拍車をかけるのが、ベッドの横の丸椅子に腰かけて目を瞑っている見知らぬ少年。いや、見知らぬというのは嘘になる。黒髪に少し幼い顔、そしていやというほど身につけられた残遺物アクセサリーの数々。

 それで彼女は今の状況を理解した。


――私あのまま寝ちゃったんだ……。


 もうずっと寝ていなかった。

 あのダンジョン、シュベルツガルムの数少ない安全階である十三階層『聖域サンクチュアリ』で元仲間のパーティーを離脱したあの頃から。

 一人でも戻れる自信があった。

 モンスターにやられるわけがないと思った。

 例え自分の武器がなくても。

 だって自分はもっと下の階層まで行ったことがあるのだから。

 でもそれは間違いで、おごりだった。


 自分が下の階層でも戦えていたのは仲間と武器のおかげで、自分一人では地上に戻れないほど弱かった。だからあの時、あのオークに殺されそうになった時、もういいと思ったのだ。仲間だと思ってた人たちには裏切られ、強いと思ってた自分にも裏切られた。このまま生き残っても、自分が自分ではいられない。だったら、このまま死ぬのもいいと思った。

 でもそこに、彼が現れた。

 夜空のような漆黒の髪に、透き通るような茶色の瞳、それらとは不釣り合いなほどの大量のアクセサリーを身に着けた一人の少年。

 彼は何のことでもないように私の命を救った。

 それどころか、救っただけで何も要求しなかった。

 今までの自分の仲間なら考えられない。

 彼らが誰かを救うときは、自分の利益になる時だけ。女性ならばメンバ―に勧誘するし、男性なら高額な金品を要求する。

 それが、この殺伐とした世界のことわりだ。

 冒険者ならどんな新米でも知っている。


 しかし、彼は違った。

 困っていると思ったから助けた、そう言ったのだ。

 バカだと思った。

 お人好し過ぎて、怒りすら覚えた。

 この世界では、そんなことをしていたら、命がいくつあっても足りない。

 見たところソロっぽいので、彼の性格も考慮すると、生き残れているのは奇跡だ。

 普通なら一か月と経たないうちに死ぬ人種だ。

 でも、だからこそ、自分は彼の前で意識を失うように眠ってしまったのかもしれない。

 もうこの世界で会うことができないような人間だったから。

 そして、気づけば今に至る。

 想像するに、今椅子に腰かけている彼が自分を地上まで引き戻してくれたのだろう。

 何が目的かは分からない。

 もしかしたら本当に困っていたから助けてくれたのかもしれない。

 それでも……。


――信用できるわけないでしょ……。


 昔の自分なら、お礼を言って、信用して、もしかすると友達にでもなっていたかもしれない。

 でも、この世界に来て、自分は変わった。

 学んだのだ。

 人を信用してはならない、と。

 それが男性ならなおさら。


 だから。


――早くここから逃げないと……。


 そう思い、まだ少しだるい体を半ば無理やり起こす。そして、物音を立てないよう静かにベッドを抜け出そうとしたその時、ちょうど少年も目を覚ました。


「んんー? ……あれ? もう起きたのか? 疲れてそうだった割には意外と早かったな」


「…………」


「どうした? どこか痛いところでもあるのか?」


「いえ、別に……。私はどれくらい寝てたの?」


 逃げ出そうとしていたことがばれないよう、適当にそう聞き返す。


「あー、そうだな。ダンジョンで寝てから丸一日くらいかな」


「そんなに……」


 なんて不用心なのだろうと、彼女は自分にいきどおりを覚える。

 元の世界でも、この世界でも、自分は他人に騙され続けてきた。

 それなのに昨日会ったばかりの、しかも男性の部屋で丸一日も寝てしまうなんて、バカにもほどがある。


――自分はなんて救いようのない人間なのかしら……。


 失望を通り越して呆れてしまう。


 しかしそんな彼女の心中を知るよしもない彼は、

「寝すぎたからって、そんなに落ち込まなくていいだろ? 珍しいことじゃない」

 何か誤解していた。


「俺だってずっとダンジョンに潜ってて、帰って来た日にはそれくらい寝る。こんな世界なんだ。少しぐらい寝すぎてもバチは当たらないさ」


 その的外れの変なフォローに、彼女は思わず「はぁ?」と聞き返してしまう。


「えっ?」


「あなた、私が何を考えてたか分かるの?」


「え、いやだから、寝すぎちゃったなぁって……」


「全然違うわよ。バカじゃないの?」


「ええぇ……」


 いきなりの毒舌にたじろぐ少年をしり目に、彼女は一つため息を吐くと、ベッドから足を下ろして立ち上がる。


「助けてくれたことには礼を言うわ。……でも、これ以上私にかかわらないで」


 そう冷たく言い放ち、その場から立ち去ろうとする彼女に、彼はあっけらかんとした様子で「まぁ待てよ」と言って近くのカバンから紙に包まれたパンを差し出した。


「腹減っただろ? ここのレーズンパンは最高なんだ」


「……あなた私が言ったこと聞こえてた?」


「ああ、もちろん聞こえてたよ。でもそんなに慌てる必要ないだろ?」


「私は!!」


 気にする素振りすら見せない彼に、思わず大きな声が出たとき、その声に負けないほどの正直な音が鳴った。




ぐぅぅぅぅぅぅぅ。




「……!?」


 体は正直だ。

 寝てたとは言え、丸一日何も食べてなければお腹は空く。

 それは生きとし生けるもののさがであり、自然の摂理せつりだ。

 それでも、今この場所、このタイミングは最悪すぎる。


――恨むぞ、私のお腹!


 恥ずかしさから顔を赤める彼女を見て、音に目を丸くしていた少年は思わず笑い声をあげた。


「な、なによ!!」


「別に。元気そうで何よりだよ」


 少年は涙を拭いながらそう言うと、ほれ、とパンを彼女に投げる。


「ちょ、ちょっと!」


「ここから出ていくのを止めようってわけじゃない。ただ、食べてからでも遅くないだろ?」


「…………」


 少年はそう言って、カバンから取り出したもう一つのパンを一口。

 んー、と唸って食べるそれは本当に美味しそうで、幸せそうなその姿は戦っていた時とは程遠い、年相応の少年の姿。

 そして、それが決め手となった。


「はぁ……。分かったわよ」


 彼女はある種の諦めと共に、少年と向かい合うようにしてベッドに腰かける。


「……でも、これを食べたらすぐ出ていくから」


 彼は肩をすくめて応えるが、もう彼女の目には映っていなかった。

 拳二つ分はある大きなパン。

 彼女はごくりと喉を鳴らして、恐る恐る一口かじる。

 パリッという子気味いい音がするのと同時、パンの香ばしい香りにレーズンのさわやかな酸味と甘みが口いっぱいに広がった。

 ダンジョンで迷ってからずっとパサパサの固形保存食しか食べていなかったので、思わずそのおいしさに二口、三口とパンにかぶりつき、気づいた時には手のひら一杯にあったパンは跡形もなく消えていた。


「このレーズンパン美味しいよな」


「……」


「でも、出来立てはもっと美味しいんだ。これは昨日のダンジョンの帰りに買ってきた奴だから、このパンのポテンシャルはこんなもんじゃないぞ。いつか食べさせてやるよ」


 冗談めかして言う少年のその言葉に、少女は一つ疑問に思う。


「昨日の帰りってことは、昨日のうちには地上に着いていたってことよね? ――あなた、どうやって私を運んだの?」


 その当然の質問に、少年は最後のパンを飲み込み手を払うと、静かに口を開いた。

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