第7話 「残痕、そして邂逅」
俺は過去から現在へと意識を戻すと、すくった水で適当に顔を洗う。
あの時の判断は間違いだった。何も出来ないなら、自分の理想など捨ててちゃんと断るべきだった。
あの時そうしていれば。
今でもその思いは消えない。
しかしそれと同じように、あの時の過ちをなかったことにもできない。
だからこそ。
――あいつだけは、必ず殺してやる。
そのくだらない復讐心だけを胸に今まで頑張ってきたのだ。
「……あと少しだぞ、コウジ」
決意を新たに、俺はもう一狩りしに行こうとしたその時、水面がかすかに揺れる。
「……なんだ?」
一瞬気のせいかとも思ったが、よくよく耳を澄ませば自分の場所からさらに奥で金属同士がぶつかる音がする。
それは間違いなく戦闘音だった。
このダンジョン『シュベルツガルム』は広大な地下迷宮で、その階層は二百にもおよぶと言われている。そして、その階層には例外を除きほとんどの場合凶悪なモンスターがはびこっている。つまり、この広大なダンジョンに足を踏み入れた時点で、どこで誰が戦闘をしていても珍しくないということだ。
しかし、それらの情報を知っていたとしても、今の状況は不可解だった。
まず一つ目は、今俺がいる場所。
シュベルツガルムは巨大なダンジョンで、迷宮になっているとはいえ、一つ一つの階層はウェイクブルクに負けず劣らず広大だ。その階層がほぼ垂直に二百層並んでおり、下の階層に行くにはたった一つの決まった入り口からしか行けない。しかしただ下の階層に行くだけならほかにも方法はある。それが、脇道だ。シュベルツガルムは一つの巨大なダンジョンとそこから枝のように伸びるダンジョンの二つで構成されている。この枝のことを、我々冒険者は脇道と呼んでいる。この脇道はシュベルツガルムの中でも特殊で、潜っている冒険者でも滅多なことでは足を踏み入れない。その理由が、構造とモンスターの強さである。脇道は構造上、だいたい十層から三十層までしかなく、しかもそこから先は進めない。つまり主階層からは孤立した完全な行き止まりである。一刻も早く深層にたどり着きたい冒険者からすれば、こんなのはただの時間の無駄ということだ。
そしてもう一つの理由が、モンスターの強さである。
脇道はシュベルツガルムの本体とつながっているとはいっても、その機能はほとんど別物で、階層別に変わるダンジョンの法則を無視していることが多い。つまりは、三層の脇道に入ったとしても、三十層のモンスターが出ることがあるということである。これではどんなに準備をしていても死にに行くようなものだ。確かに脇道はほかの冒険者が足を踏み入れないため、主階層よりも多くの
俺の場合は探し物があるためこうして脇道に入っているが、今までほかの冒険者に出会ったことは一度か二度しかない。
そしてここで問題の二つ目。
それはこの戦闘音だ。
息を殺して音を聞く限り、今戦っているのは一人。
つまり、一人で脇道に潜っているということになる。
通常、そんなことはあり得ない。
以前に会った冒険者も、かなりの上級者で、しかも六人パーティーだった。
それぐらい脇道は危険なのだ。
俺は事情があって一人だが、通常ならば異常者か自殺志願者だと思われても仕方ない。
つまり情報を整理すると、ここは通常の階層よりもはるかに強いモンスターが出る脇道で、そんな場所で戦闘をしている冒険者はパーティーを組んでいないソロ。
――さて、どうするか……。
助けるべきか否か。
迷うことではないだろう。
助ける義理などない。そもそも自殺志願者なら助けてほしいとも思ってないだろう。そんな奴のためにわざわざこちらがリスクを冒してまで助ける必要性はない。
だが、もし仮に仲間とはぐれ、偶然脇道に迷い込んでしまっていたとしたらどうか。
その場合も、助ける必要はないだろう。
なぜなら、冒険者とは自己責任の稼業だ。自分の身は自分で守る。その代わり、自分で稼いだお金は自分のものだ。それが出来ないなら冒険者なんてやめたほうがいい。死ぬ覚悟がある奴だけが、冒険者になれるのだ。
俺はそれを身をもって実感した。
結論、俺が助ける必要はない。
「そうと決まれば、さっさと下の階層に潜るか……」
俺は空になった革袋に水を補給し、装備品に不備がないかチェックして立ち上がる。
相変わらず、カキンカキン戦闘音はするが、少しずつ小さくなっていた。
遅かれ早かれ決着は着くだろう。そうなれば、間違いなく相手の冒険者は死ぬことになる。
でもそれがどうした。
俺には関係のないことだ。
「よし、行こう」
俺は音に背を向け歩き出す。
一歩ずつ歩みを進めるたびに、音が小さくなっていく。
そして水辺から十メートルほど離れたところで音がしなくなった。それは離れたことによるものではない。決着が近いのだろう。
――弱いのにこんなところに来るのが悪いんだ……。
内心そう呟いてみるも、俺の足は知らず知らずのうちに止まっていた。
助ける義理なんかない。
ただの死にたがりだ。
リスクを冒すメリットがない。
助けに行ったら俺が死ぬかもしれない。
俺にはやるべきことがある。
こんなところで死ぬわけにはいかない。
合理的になれ。
合理的に、冷静に判断しろ。
「合理的に――――なんて、なれるわけないだろ!!」
気づいたら俺は走り出していた。
戦闘音がしていたその場所に行くと、そこには壁際で尻もちをついた冒険者と先ほどと同種のオークがいた。
暗くて冒険者の容姿は分からないが、立ち上がる元気すらないのか座り込んだまま。一方オークはその右手に握る
「クソっ! 間に合え!!」
俺は一瞬で状況を理解すると、地面を思いっきり蹴り、一瞬にして両者の間に体を滑り込ませる。
そして左手を突き出し、
「
俺の掛け声と同時に魔法陣が展開され、それによって間一髪、オークの斧は俺の目の前で止まり、弾き飛ばされる。
態勢が崩れるオーク。
腰の剣を抜いている時間はない。しかし、この機を逃すわけにもいかない。
俺はその一瞬のスキをついて駆け出し、跳躍。
遥か高みにあったオークの頭部と俺の顔が向かい合う。
――この場合は仕方ない……。
俺は右手で手刀を作り、
「
オークの首目掛けて一閃。
「グゥオ!?」
一瞬とぼけた声を最後に、そいつはあっけなく絶命した。
地面には噴き出た鮮血が溜まり、その上にはオークの首が転がっている。
あまり見ていて気持ちのいい場面ではないし、たった二つの切り札も使ってしまったが今回は良しとしよう。
なにせ、同じ過ちを繰り返すことはなかったのだから。
俺は首筋と右手のタトゥーが消えていることを確認して、後ろを振り返る。
そこには相変わらず、へたりこんだままの冒険者がいた。
暗くてよく分からないが、俺はオークの血をコートで拭い、一応近づいて声をかけてみる。
「……大丈夫か?」
俺の声に相手が顔を上げる。
そうしてこの時初めて気づいた。
ブラウンの瞳に、亜麻色の長い髪。体は華奢で、剣(つるぎ)を握る指は細くしなやか。
そいつは、同い年くらいの女性だった。
しかも目鼻立ちは整っており、かなりの美人。
しかし、それは見た目だけだった。
彼女はそのアーモンド形のきれいな目をキリッと鋭くさせると、
「なんで助けたのよ……。余計なことしないでくれる?」
それが彼女の第一声だった。
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