第2話 「青く輝く月、そして異世界」

 外に出ると、そこは見晴らしのいい夜の草原だった。周りには何もなく、木の一本も生えていない。もちろんこんな所に外灯などあるわけもなく、人工的な光は前を歩いている男が持つランプの明かりのみ。しかし、それでも草原は驚くほど明るかった。


「うそ……だろ……?」


 夜空に浮かぶ、見慣れているはずの月。それが、俺の知っているものとは根本的に違っていた。

 青い。それこそ、誰かが塗ったのかと疑いたくなるほど、青く煌々こうこうと輝いている。そしてその青い月は、さも当然と言うように、夜空に二つ浮いていた。寄り添うように浮かぶ、青く輝く二つの月。それは俺の知っている月より何倍も明るく、そして何倍も美しかった。

 俺は嫌な予感がして、おもむろに後ろを振り向く。

 するとそこには、何もなかった。木が生えてないのはもちろん、俺たちが閉じ込められていたはずの建物すらなくなっていた。目の前には、ただ草原が広がっているのみ。


「これは…………」


 青く輝く二つの月に、忽然こつぜんと姿を消した建物。何が起こっているのか全く理解できず、言いようのない不安で心臓が鼓動を跳ね上げる中、周りからその声は聞こえてきた。


「おい、これってもしかして……」

「絶対そうだよな」

「やっぱりそう思う?」

「なんか私ワクワクしてきちゃった」


 先ほどまでのパニックが嘘のように、喜々ききとした声があちこちから聞こえ始める。

 みんなの頭の中に浮かんでいることは想像できる。俺もあの月を見てから薄々は感じていたのだから。そしてその想像は、たぶん間違っていない。


 でも、

「…………どうしてそんなに喜べるんだ?」


 皆の表情は生き生きしていて、嬉しさのあまり笑顔を浮かべるものまでいる。


――俺には理解できない。


 ここがどこで、自分たちがどういう状況なのか。これらが何一つ分かっていない状態で、どうしてこうも無邪気に笑えるのか、俺には分からなかった。

 俺はもう一度、空を見上げる。

 そこにはやはり、青く輝く二つの月。


「間違いない……。これは…………」


「おい」


 俺の言葉を遮るようにして、男が一言。その声に今まで楽しそうに喋っていた奴らは口を閉じ、全員の視線が男へと集まる。


「楽しそうにお喋りしているとこ悪いが、目的地が見えてきたぞ」


 男が顎をしゃくって示す先にあったのは、

「っ……!?」

 高い外壁が何かを守るようにそびえ立つ、巨大な都市。


「あそこが、お前たちがこれから暮らす街『城壁都市・ウェイクブルク』だ」


 男が笑ったような気がした。








 街の外壁は、近くで見るとより一層高かった。見上げると足元がふらつくほど大きいそれは、東京のビルを彷彿とさせ、高さは優に二百メートルを超えている。それは俺たちが閉じ込められていた建物同様、均等のとれた石のレンガで構築されており、俺と同じ人間が作った物とは思えない。外壁に取り付けられている門は木と鉄を組合せて作られていて、これほど大きいものをどうやって開けるのかと疑問だったが、大きい門の脇には通常サイズのボロい扉が設けられていた。


 案の定、男は普通の扉から街に入る。

 しかし扉を抜けたそこは、その雑な作りからは想像も出来ない、息を呑むほど美しい光景が広がっていた。

 俺は足を動かしつつ、街の光景に目を移す。

 道は石畳で舗装され、脇には等間隔で外灯が設置されている。おかげで街の中はノスタルジックな暖色系の光で淡く照らされており、まるで何かの絵画に入ってしまったのではと錯覚してしまうほど。また建ち並ぶ家は石造のものから木造まで色々で、それらは互いを主張するようにひしめき合っている。しかしその無造作むぞうさ感が、またこの街の美しさを一層引きたたせていた。

 今までぺちゃくちゃお喋りしていた奴らも、街の光景に息を漏らす。


「……きれい」

「外国みたい…………」

「すげぇ」


 俺がいた所では絶対にありえないその光景に、疑惑は確信に変わった。

 自分の身に起こるとは微塵も想像していなかったが、たぶん間違いないだろう。


「着いたぞ、ここが目的地だ」


 男の前には二階建ての木造建築。しかしその敷地は周りの建物とは比べられないほど広い。軽く七倍から八倍はある。両開きの扉も大きく、大人が三、四人横に並んでも入ることが出来るほどだった。


「ようこそ、登録所『ガロウズ』へ」









 『ガロウズ』の中は、いたってシンプルだった。入り口の真正面には長いカウンターがあり、そこに複数の美人受付嬢。カウンターの両脇には二階に続く階段があった。

 俺たちは男に案内され、階段脇にあった扉を通り、長い廊下を歩いて、ある場所に着いた。

 天井が異様に高く、だだっ広い部屋。体育館を彷彿とさせるそこの壁にはいくつものランプが吊るされ、この広い部屋を明るく照らしていた。


「ほら、入り口で止まらず、さっさと中まで進め」


 フルプレートの男に急かされ、続々ぞくぞくと体育館のようなこの場所に人がなだれ込んでくる。その数、およそ千人。目測なので、もしかしたらもっといるかもしれない。

 広い部屋が一瞬にして人で埋め尽くされる。


「さて、準備も整ったことだし、説明を始めっか」


 全員入ったことを確認したそいつは、扉を閉めて俺たちの前へと歩み出てくる。

 鉄仮面で覆われた顔からは、相変わらず表情という表情が伺えない。


「まず、お前たちの状況だが…………」


「やっぱりだ!!」


 男が話し始めたそれを遮ったのは、あの男だった。

 暗闇の中、無計画に進もうとして死にかけたヤンチャ男。案の定と言うべきか、そいつは金髪をツンツンに尖らせて耳にはピアス、ズボンは腰までずり下げているという典型的なイケイケ君の容姿をしていた。

 イケイケ君は唾を飛ばしつつ、興奮気味に話しを続ける。


「ここは異世界なんだろ!? なぁ! そうなんだろ!? キモオタの漫画を奪って読んだことあるから分かんだよ!! 俺たちはこの世界を救う勇者なんだ! バカつえぇチートとか、ゲームみてぇなステータス画面とかあんだろ!? なぁ、らさずに教えろよぉ。俺様が魔王やら何やら全部倒して、この世界救ってやっからよぉお!!」


 しかしヤンチャ男のバカな発言にもフルプレートの男は怒ることなく、ふむ、と唸る。


「きもおた、というものが何なのかは分からないが、まあ落ち着け。順番に説明してやる」


 イケイケ君はそれに不満だったのか小さく舌打ちするが、フルプレート男は気にする様子もなく、咳払いをして仕切りなおした。


「俺の名前はゴウ。ここの登録所で冒険者をやっている者だ。今回は君たちの〈案内人〉兼〈説明役〉として派遣された」


 ゴウと名乗った自称冒険者は身じろぎ一つせずにそう自己紹介するが、俺を含めた誰も口を開こうとしない。

 この場にいる全員が、ゴウの次の言葉を待っているようだった。


「ここに来るまでの間で、自分たちの置かれた状況に気づいた者も少なくないだろう。理解を超えた消える建物に、見慣れぬ街。そして夜空に浮かぶ二つの青い月。俺の記憶では君たちの世界にこれらはないはずだからな。つまり――――」


 俺を含めた全員が彼を一点に見つめ、唾を飲み込む。


「ここは君たちの言葉で言うところの、異世界だ」


 その言葉に、場がどよめいた。


 ガッツポーズを決める者や、近くの奴と楽しそうに話し出す者と反応はまちまち。

 しかし大半が喜んでいるようだった。

 どうして、ここまで喜べるのだろう。いつ帰れるのか、そもそも帰れるのかすら分からない未知の世界に突然放りこまれたのに、どうしてこいつらは笑っていられるんだ。

 俺がおかしいのか?

 もしかして笑っているこいつらが正常で、俺のような人間は少数派なのか?

 冷たい汗が額から頬に流れるのを感じつつ、俺は周りからゴウへと視線を戻す。


「さて、ここが異世界だと分かってもらえたところで、具体的にどんなところなのか説明していく」


 ゴウはそう言うと、皆が静かになったことを確認して、改めて口を開いた。


「ここは『クトーリア』。かつて神々が住んでいたと言われる世界で、ダンジョンと呼ばれる広大な地下迷宮と、凶悪なモンスターが存在する世界。今君たちがいるこの『城壁都市・ウェイクブルク』という街は、その七割から八割がダンジョンに潜り生計を立てている冒険者だ。そしてここからが重要なのだが…………」


「もういい!」


 響き渡る突然の怒鳴り声。

 それは彼の話しを遮るには十分すぎるもので、ゴウを含めた全員がそちらの方を見る。

 案の定、そこに立っていたのは金髪の問題児だった。


「この世界が何て名前なのかなんてどうでもいいんだよ! それより、早く力の使い方やステータス画面の見方を教えろ!! そしたら、俺様の力でさっさと魔王を倒してこの世界を救ってやるからよ!!」


「……ほう。それは心強いな。――君の名は?」


「俺様か? 俺様は……」


 そこで初めて、ヤンチャ男は言葉を失った。そいつは口をパクパクさせるだけで、言葉が出てこない。その様子はまるで答えを知っているのに口に出せない、そんな様子だ。それは滑稽な姿だったが、あの感覚は俺も知っている。自分が誰で、どこから来たのかは分かるのに、自分の苗字だけが記憶からすっぽり抜け落ちたような感覚。

 あれには言葉などでは言い表せない恐怖がある。

 ヤンチャ男の額に汗がにじむ。


「俺様は……。俺は…………」


 ゴウが鉄仮面の下で微笑んだ気がした。


「なんだ? 自分の名前も言えないのか?」


「い、言えるに決まってるだろ! 俺の……俺の名前は…………タク、マ。そう……そうだ。俺様の名前は、タクマだ」


 滴るほどの汗をかいて告げた彼に、ゴウは、ふむ、と小さく頷く。


「タクマか。いい名だな。大事にしろ。――それで話の続きだが……」


「お、おい待てよ!! 俺たちの力のことを教えてくれるんじゃなかったのか!」


 話しを終わらせようとするゴウに、再度タクマは怒鳴るが、心なしか先ほどよりも元気がない。

 完全にゴウのペースだ。


「そうだったな。忘れてたよ」


「ふざけるのも……いい加減にしろよ」


「そんなに知りたいのか?」


「当たり前だろ! 俺様がこの世界を救ってやるって言ってるんだ! お前ら現地人は黙って教えればいいんだよ!!」


「うむ、そうか。なら仕方ない。順番は前後するが、そんなに知りたいなら教えてやろう」


 目の前に立っている冒険者の雰囲気が一段暗くなる。


 そして、

「ないよ」

 そう言い放った。


「は……?」


 唖然とするタクマを気にする様子もなく、ゴウは続ける。


「バカげたちーと? すてーたす画面? そんなものはない! なんせ……この世界には魔王すら存在していないからな」


 その言葉にしばらく呆然としていた彼は、気づいたように声を荒げる。


「そ、そんなわけあるか! 適当なことを言うな!!」


「本当だ。この世界にお前が望んでいたようなものはない」


「う、嘘だ! お前が知らないだけだ!!」


「いいや。本当にないんだよ」


「この世界の住人だから知らないだけだ! 他の誰かに聞けばきっと……」


「無駄だ」


 今度はゴウがタクマの言葉を遮る番だった。


「そんな都合のいい力がこの世界にないってことは、他の誰よりも俺が知っている。だって俺は……」


 皆が息を呑む。


「お前たちと同じ、異世界から来たんだからな」


「……は?」


 俺を含めたほとんどの人間が言葉を失い、タクマのその間抜けな声だけが広場にこだまする。


「驚くのも無理はないが、口から出まかせを言っているわけじゃない。約三十年前、俺はお前たちと同じように何かに召喚されて、この異世界に来た。俺だけじゃないぞ。この街に住むほとんどの人間がそうだ。だが、お前の言う特別な力を持った人間が現れたことはない。……ただの一度もな」


「そ、そんな……。じゃ、じゃあ、俺たちに特別な力はないのか!?」


「当たり前だろ。そんな都合のいいことあるわけないじゃないか。君たちは勇者でもなければ、選ばれし特別な人間でもない。この世界に限って言えば、君たちはそこら辺の人間よりも価値がない。まだ何も出来ないんだからな。それに、今回クトーリアに呼ばれたのは、この場にいる君たちだけではない」


 ゴウは鉄仮面の向こうから、全員の顔を見渡す。


「この場にいるのが、約千人。だがその他に約三千人がこの世界に呼ばれている。つまり、君たちは四千分の一ということになる。――これで分かってもらえたかな? 君たちは特別ではない」


「そんな……。魔王もいない、チートもない。勇者ですらない。じゃあどうして俺たちは呼ばれたんだ…………」


 消え入りそうなタクマのそれに、ゴウは静かに首を振る。


「分からん。俺たちが呼ばれた時もそうだった。なぜ呼ばれたのか、どうやって呼ばれたのか、誰も説明できる奴がいなかった」


「嘘だろ……。何の力もなくて、こんな世界で生きていける訳ないだろ! こんなことだったら、元のクソつまらない世界の方がよっぽどマシだ。俺たちは元の世界に帰れないままここで…………」


「心配いらない」


「は?」


「タクマよ、お前も気づいているはずだ。自分の名前が半分思い出せないことに。あれは、一時的なものではない。完全に記憶から消し去られたんだ。この世界にいる限り、記憶は徐々に消えていく。俺は三十年近くこの世界にいるが、もう住んでいた場所も家族の名前も思い出せない。つまり、三十年もすれば元の世界のことなどすっかり忘れるさ」


 それがきっかけだった。

 泣き出し座り込む者、呆然と立ち尽くす者、絶望で怒鳴り散らす者。

 多少の違いはあれど、今まで楽しそうにしていた約千人の群衆が一斉にパニックに陥る。

 その圧倒的な声は恐怖と共に部屋全体を震わせた。

 当然と言えば当然で、これが正常な反応だ。

 誰しも、理由なく呼ばれて記憶が消されると分かればこうなる。

 希望が絶望になったのならなおさら。


 しかしだからこそ分からなかった。

 どうしてゴウは、あの自称冒険者は、全てをありのまま話したのか。こうなることは誰だって予想できる。それこそ火を見るよりも明らかだ。だが彼は事実を伏せるようなことはせず、真実を話した。

 何も知らない俺たちを騙すことなど簡単なはずなのに。


――どうして…………。


 そう思い、そこに立っている彼の姿を見た時、俺は違和感を覚える。

 何がとは言えない。ただ、その立ち姿があまりに堂々としていた。


――もしかして、まだ何かあるのか?


 俺は最初から順番に彼の言葉を思い出す。


 そして、

――まさか…………。

 俺は一つの答えを導き出す。


 推測とも呼べないような、願望に近い妄想。それでも、先に進むにはこれに懸けるしかなかった。

 喧騒が激しくなる中、俺は静かに手を挙げる。


「ん? 何だ?」


「質問がある」


「……ほう。質問ねぇ。――君の名は?」


 俺は周りの喧騒にかき消されないよう、声を張り上げる。


「ミナト」


「そうか。ミナトというのか。いい名だ。――それで、ミナトは俺に何が聞きたいんだ?」


 一度息を吐き、心を落ち着ける。

 そして俺は鉄仮面の向こう、そこにあるはずのゴウの瞳を見つめる。


「あんた、俺たちに隠してることがあるだろ?」


 俺は意を決して、そう声を上げた。


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