第74話 夜が明ければ、いつも通りに……――――

 食べ終わった後も台風はなかなか過ぎ去らなかった。

 梓先輩の部屋で、わたしはLINEで家族と相談していた。

 車で迎えに来てもらいたかったが、今回の台風の威力はあまりにもすごすぎる。

 ニュースでも不要不急の外出は控えるように報道されているほどだ。

「どうしよう……」

 わたしが呟くと、梓先輩は心配そうに聞いてきた。

「親御さん、迎えに来られないのか?」

「はい……最悪、泊めてもらいなさいって」

「まあ、うちは全然構わねぇけどよ……」

 梓先輩は言ってくれたものの、やっぱり迷惑だよね。

 しかも椿部長は夏期講習合宿、楓ちゃんもダンス部の合宿でいない。

 梓先輩がわたしの事を襲うわけがないって、頭では分かっている。

 だけど……危機感がないわけじゃなかった。

 すると梓先輩は困ったように息をついてから、恐る恐る声をかけてきた。

「……胡桃沢。なんか編むか?」

「……編みます」

 わたしが答えた刹那――――カーテンの向こうで眩い閃光が走る。

 腹の底に響く雷鳴が鼓膜を貫く。笑えない。身体の震えが止まらない。

 思わず両手で腕を抱く。体の震えが止まらない。むしろひどくなる。

 するとわたしに梓先輩は声をかけてきた。

「おい。どうしたんだよ、胡桃沢」

「…………」

 梓先輩に返事が出来ない。

 またカーテンの向こうで稲妻の光が閃く。

「きゃっ……!」

 梓先輩の服にしがみつく。何かにすがりつかないと、恐ろしさに耐えられない。

 怖い……!

 小さい頃から雷が大の苦手だった。

 部屋に一人でいた時に雷のせいで停電になってしまったことがある。

 雷は止まることなく、腹の底まで響く怒号を何度も落とし続けた。

 暗闇の中、響く雷鳴。

 わたしにはトラウマだ。

 以来、わたしは雷の音を聞いただけで身体が竦んでしまうようになった。

 普段ならこんな風に怯えて、すがりつく事なんてない。

 普段なら恥ずかしくて、絶対にこんなことはしない。

 だけど今はそんなことを考える余裕すらないくらいわたしは落雷に怯えていた。

 息苦しい……! 

 肺の中の空気が空っぽになったみたいだ。

 わたしは呼吸すら上手く出来ずにいた。

 その時――――左肩に大きな手の感触とその温もりを感じた。

 えっ、梓先輩……?

 ハッと目を見開く。

 梓先輩は何も言わず、わたしを抱き寄せてきた。

 思わず梓先輩の首筋に顔を埋めるような状態になってしまう。

 布越しに感じる梓先輩の体。

 熱くて心地いい体温と、シトラスが混じった男の人の匂い。

 力強く抱き締められ、密着してしまっている。

 わたしは別の意味で心臓が止まりそうになった。

 梓先輩は背中にも手を回してきた。

 まるで小さい子供をなだめるようにぽんぽんと撫でてくる。

 突然の事に、わたしは固まってしまった。

 すると梓先輩は低く、落ち着いた声でわたしの耳元で囁いてきた。

「大丈夫だ」

「あ……梓先輩……」

「大丈夫だから」

「…………」

 有無を言わさない、だけど安心するような声。

 いつの間にか、落雷の音も遠のくような気がした。


 結局、台風が弱まる事はなく、わたしは赤坂家に泊まる事になった。

 二十三時過ぎ。

 楓ちゃんの部屋のベッドを借りて眠ろうとしたけど……――――

「…………、~~~~ッ」

 布団を顔まで上げて、声にならない悲鳴を上げてしまった。

 もうかなり時間が経っているはずだ。

 なのに、梓先輩の体温が、匂いが、手の感触が……消えてくれない。

 触れられた肩が熱くなっていく。

 心臓がきゅんっと締め付けられるように高鳴って止まらない。

 甘くて、切なくて、苦い気持ちに包まれるような感覚が、痛い。

 わたし、どうしちゃったの……!?

 梓先輩に会いたい。

 さっきまで一緒にいたはずなのに、もう梓先輩に会いたい。

 今すぐ梓先輩の部屋に戻りたい衝動に駆られてしまう。

 また抱き締めて欲しい。

 今まで感じた事のないような甘い熱に蕩けそうになる。

「……だめ……っ」

 必死に理性を搔き集めようと両腕を抱き締める。

 唇を噛み締めて、堪える。

 この切なさは、熱は、きっと一時的なものだ。

 きっと夜が明ければ、いつも通りに……――――

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