第56話 日本人にはない色気
淡くて優しい夕暮れが湯けむりを染める。
旅館の露天風呂に肩まで浸かりながら、わたしは昇天してしまいそうなくらい癒されていた。
今までの疲れが温泉に溶け出して、体がどんどんポカポカしてくる。
温泉、最高~!
あまり温泉に来た事はないけど、わたしは今回の温泉旅行を大満喫していた。
「はぁ――……気持ちいいー……」
「マリアちゃん、なんか溶けそうになっているよ」
隣で浸かっている楓ちゃんが言ってきたけど、まさにその通りだと思った。
「あとでフルーツ牛乳とか飲んだら最高なんだろうなー……」
「おっ、いいね。けど僕はコーヒー牛乳派かな」
「あー……コーヒー牛乳もいいよねー……」
わたしはいつもよりとろんとした口調で返す。
ずっと温泉に浸かっていたら、日常の嫌な事を全部忘れられそうだ。
爽やかな風が吹いて、立ち込める湯けむりが夕陽の中に消える様をぼーっと眺める。
わたしと楓ちゃんは色んな種類の温泉を回って、かれこれ一時間くらい入っていた。
温泉を満喫したら、待ちに待った浴衣に腕を通した。
乾かした髪をお団子風にして、脱衣所にある大きな鏡の前でくるりと一回転する。
鏡に映る自分の姿が新鮮で、なんだかいい女になった気分だ。似合っているかは置いといて、わたしはこの姿の自分がけっこう気に入った。
すると着替え終えた楓ちゃんが感心したように言ってくれた。
「おっ、マリアちゃん、浴衣似合うね!」
「ありがとう! 楓ちゃんも似合う!」
スレンダーな楓ちゃんは浴衣の着こなしもイケメンだった。
顔が少し火照っているせいか、普段はない色気のようなものがあった。
部屋に戻りながら、わたしは楓ちゃんを褒めちぎった。
「やっぱり日本人だからかな……楓ちゃん、着こなしが様になってるっていうか、カッコいいよね! やっぱり体型かなー。わたし、ちょっとぽっちゃりしてるから……」
胸が大きいせいでちょっと花魁っぽくなってしまうのが恥ずかしい。
わたしは胸元が開け過ぎないように整えると、楓ちゃんは言ってくれた。
「そんな事ないって。マリアちゃんこそ日本人にはない色気を感じるよ」
「えっ!? そ、そうかな……」
「そうだよ。妖艶っていうのかな、ハーフらしい美しさがあるよ」
楓ちゃんが言ってくれると、自分が綺麗だと錯覚してしまいそうになる。
さすが学年一のイケメン女子……楓ちゃんの男前な優しさがじーんと沁みた。
「そう言われるとなんだか照れちゃうなー」
わたしは、はにかみながら楓ちゃんにありがとう、と伝えた。
木の風合いが落ち着く雰囲気を醸し出す、和モダンで広々とした部屋に戻って来た。
のぼせやすいから先に上がっていた椿部長が出迎えてくれた。
「おかえりなさい。ずいぶん満喫したみたいね」
「最高だったよ、姉さん」
楓ちゃんは親指を立てて答えた。
「昆布茶あるけど、飲む?」
「おっ、いいね!」
「いただきまーす」
わたしと楓ちゃんが堪えると、椿部長は備え付けてあった急須で昆布茶を淹れてくれた。
冷房が効いた部屋で昆布茶……ちょっと贅沢な気分。
わたしは一口、昆布茶を啜ると椿部長が言ってきた。
「早く男性さんたちの浴衣姿が見たいわね。伊井田先生とか、楽しみだわ」
「確かに! すごくお洒落に着こなしそうだよな」
「分かります!」
楓ちゃんの言葉に頷くと、わたしは二人に尋ねた。
「梓先輩と翔真先輩はどんな感じになるんでしょうか……楽しみです」
「翔真くんは代わり映えしないだろうけど、兄貴はきっとびっくりするよ」
含みを持った笑みを浮かべながら言った楓ちゃんにわたしは首を傾げた。
「えっ、どうして?」
「見てからのお楽しみという事で」
「ええーっ、教えてよー」
わたしはねだったけど、楓ちゃんは笑みを浮かべたまま答えてくれなかった。
どんな感じになるんだろう……、わたしは想像を膨らませた。
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