第55話 うたた寝した大型犬

 温泉水に濡れた石畳の道を歩いて行く。

 青々と生い茂る木々の中に、温泉が岩肌を流れる公園に着いた。

「うわあ、すごい景色!」

 せっかくだから岩の道を歩いてみよう、とわたしは慎重に遊歩道から足を延ばした。

 あちこちから色の濃い湯けむりが漂っている。岩には草木が生えていないけど、山の中にあるおかげで殺風景ではない。なんだか独特な景観が温泉地らしくて、わたしは何枚も写真を撮った。

 美術教師の伊井田先生が「風景が美しい」って言っていたのも頷ける。

 日本らしい癒しの空間にわたしは胸をときめかせていた。

 大自然の中にある天然の足湯に足を沈める。

 はぁ~、めちゃくちゃ幸せだな~。

 わたしが心も体も癒されていると、伊井田先生もこのまま昇天してしまいそうな勢いで息をついた。

「はあぁ~~~~…………極楽だねぇ」

「先生、めっちゃ癒されてますね……ふあぁ」

 わたしと伊井田先生の間に座る梓先輩が欠伸混じりに呟く。

 伊井田先生はこれでもかと脱力しながら頷いた。

「温泉なんて久しぶりだからね。ああぁ~~~~…………最高だね」

 大きく背伸びをした伊井田先生に、梓先輩はくすくすと嬉しそうに笑った。

 確かに大自然の中で入る足湯は格別だ。こんな素敵な空間がお金も払わず入れるなんて、とても信じられなかった。

 ちょっと熱いけど疲れが溶け出すような感覚にわたしも癒されていた。

 気持ちいいなー……、わたしがお湯を軽くバシャバシャしている時だった。

 急に左肩に重みを感じた。何かがのしかかってきたようだ。

 振り向くと――――梓先輩が心地良さそうに眠ってしまっていた!

「え……ちょっ……!?」

 突然の事に体が硬直してしまった。

 えっ、寝てる? 梓先輩が? わたしの肩で……!?

 パニック状態になってしまったが、伊井田先生はまるで小さい子供をも見守る親のようだった。

「ありゃりゃ。梓くん……やっぱり疲れが溜まっていたんだね」

「ど、どうしましょう……」

 わたしは救いの手を求めると、伊井田先生は朗らかに微笑んだ。

「しばらくそっとしておこう。結局、移動中はずっと編み物をしていたし」

「は、はい……」

 ていう事はしばらくこのままかー……!

 わたしは羞恥心と戦いながら、梓先輩を起こさないように微動だしせず、じっとしていた。

 その寝顔はあどけなくて、遊び疲れた幼い子供のように思えた。

 翔真先輩が言っていた通り、やっぱり睡眠不足だったようだ。

 自分の体調は自分が一番よく分かっているはずだ。

 なのに、どうして無理をしたんだろうか。

 不思議に思っていると、眠たげで小さな唸り声が聞こえた。

 起きたかな? 梓先輩の方を見ると、わたしは声をかけてみた。

「起きましたか? 先輩」

「ん~……」

 梓先輩はまだ寝ぼけているようで、甘えるように体重をかけてくる。

 なんか大型犬みたいだな、ちょっと可愛いかも。

 わたしはくすりと笑みを浮かべた。

 すると梓先輩は電流が走ったようにビクッとした。分かりやすいくらい真っ赤になって、素早くわたしから距離を取ってきた。

「あッ……いや、その……悪ぃ……っ!」

「梓先輩、大丈夫ですか? 疲れてます?」

「あッ、いや……その……」

 相当恥ずかしかったのか、梓先輩は耳まで茹蛸みたいになってしまっている。

 まるで言葉も出てきていないし、梓先輩の中でパニック状態になっているようだ。

「よ~く眠っていたよ、梓くん。まあ、これだけ天気が良くて足湯に浸かっていたら、気持ち良すぎて寝てしまうだろうけど」

「~~~~ッ!!」

 伊井田先生の言葉に梓先輩は、逃げ出してしまいそうな勢いで顔を手で覆って項垂れた。

 なんだか子供みたいな梓先輩がおかしくて、可愛くて……。

 申し訳ないけど堪えきれなくて、わたしは思わず笑ってしまった。

 きっとこの後、梓先輩は拗ねたような顔をしてつっけんどんになるだろう。

 その様が容易に想像出来て、わたしは余計に笑いを堪えられなくなってしまった。

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