第37話 恐怖心のジェットコースター

 着替えみると、改めて綺麗な衣装だと思った。

 鏡に映る自分がまるで別人のように見えて、不思議な感覚だった。

 わたしは汚さないようにスカートを摘まんで更衣室を出た。

 すると腕を組んで、何故かブーケを待っていた梓先輩は挑発的に言ってきた。

「遅かったな」

「ほっといてください」

 わたしは拗ねたようにそっぽを向いた。

 普通は綺麗だね、とか似合っているよ、とかでしょ。空気読んでください。

 わたしはまだ梓先輩の暴挙にかなり腹を立てていた。

 すると梓先輩はぶっきらぼうにウェディング仕様のクマのあみぐるみを渡してきた。

「ほら、あみぐるみ。ランウェイの最前で投げろ」

「……どうしてですか?」

「演出だよ、演出。せっかくのウェディングドレスだからな」

 本当にムードが分かっていない人だな。

 わたしは唇を尖らせたまま、あみぐるみを受け取ると、梓先輩はくすっと笑った。

「んだよ、さっきのまだ怒ってるのか?」

「当たり前じゃないですか! 人がいる所であんな事……っ!」

 言葉にするうちに、記憶が鮮明に呼び戻されてしまった。

 肩に触れた大きな手と、耳に触れた息の感触……。

 わたしは不覚にも赤面してしまうと、梓先輩は可笑しそうに笑い出した。

 男らしいけど、どこか無邪気な笑顔。

 タイプじゃない。タイプじゃないのに……どうして胸がちくりと痛むの。

「胡桃沢君! そろそろスタンバイしてくれ!」

 鶴見会長に呼ばれて、一気に飛び入り参加が現実味を帯びてきた。

 今からでも逃げられるかな……っ。

 わたしは控室の出入り口に目線をやると、

「逃がさねぇぞ」

「せ、先輩っ!? ちょっ、きゃあ!?」

 梓先輩はわたしに歩み寄って来ると、軽々と抱きかかえてしまった!

『俺が連れて行ってやるよ。お前の意思に関係なく、な』

 やっと梓先輩の言葉の意味を理解して、さあーっと血の気が引いていった。

 お姫様抱っこなんて……!

 わたしは出たくない一心でジタバタを大暴れした。

「嫌――ッ! 絶対に出たくないの――ッ!!」

「ちょっ、バカ暴れんなッ! 落とすッ、マジで落とすッ!」

「いっその事落としてください!」

 逃げ出したい。

 例え先輩の作った衣装を砂で汚してしまっても。

 わたしは……わたしは……――――

「わたしは篠宮先輩みたいに綺麗じゃないんですッ!!」

「……綺麗じゃない、だぁ?」

 肌がひりつくほどの、怒りに満ちた鋭い眼光。

 まるでオオカミに睨まれた小動物のような気分だ。

 わたしは竦んで動かなくなり、目線を俯かせた。

 梓先輩、間違いなくキレてる……!

 初めて梓先輩を怒らせてしまって、わたしは怯えてしまった。

 苛ついたように深く溜息をつくと、梓先輩はわたしに問った。

「胡桃沢。お前は今、誰か作った衣装を着てるんだ?」

「あ、梓先輩、です……」

 わたしが恐る恐る答えると、梓先輩はとんでもない事を聞いてきた。

「俺の作った衣装は見世物になるくらいみっともないか?」

「そんな事ないですッ! ありえないですッ!!」

 梓先輩の作品は誰もが魅了されるほど素敵なのだ。

 たとえウェディングドレスだろうと、梓先輩の作品がみっともないなんてありえない!

「……そうか」

 わたしが断言すると、梓先輩は小さく呟いた。

 刺々しさが消えた声にわたしは恐る恐る顔を上げる。

 梓先輩は男らしい笑みを浮かべて、力強く告げた。

「なら大丈夫だな」

「は……?」

 何が大丈夫なのか、全く分からない。

 頓狂な声を上げてしまうと、梓先輩はわたしの顔を近づけてきた。

「じゃあ行くぞ」

 梓先輩はわたしを抱え直すと、軽やかにステージへの階段を駆け上がった。

 舞台袖の仄暗い闇の向こうから、アナウンスが響く。

『続いては手芸部でーす!』

 梓先輩は何も言わず、舞台袖から飛び出した。

 恐怖心のジェットコースターが頂上に達する。

 わたしはぎゅっと瞼を固く閉ざした……――――

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