第2話 笑わない子

 朝のHRまで自分の席で教科書を読むフリをして、わたしは早退しようとした。

「皆勤賞じゃなくなるけどいいのか?」

 担任に聞かれたけど、構わなかった。

 正直、もうこんな学校には来たくなかった。

 誰もわたしを見てくれない。

『胡桃沢ベアトリーチェの妹』としてしか見てくれない。

 どこに行っても『わたし』を見てくれないなら……進学なんて、したくない。

 さっきまで降っていなかったのに今日もまた大雨が降ってきた。

 わたしは傘も差さず、俯きながら通学路を歩く。

 悲しくて、寂しくて、悔しくて……。

 雨が降っていて良かった。涙を流しても誤魔化せるから。

 冷たい雨の中に熱い雫が混じるのを感じながら、遠回りして思いっきり泣いた。

 小さな嗚咽を一時間以上かけて落ち着けて、わたしはようやく帰宅した。

「……ただいま」

「あら、マリア?」

 ママがわたしの声に気が付くと、リビングから出て来た。

「おかえりなさ……って、どうしたのマリア!? ずぶ濡れじゃないッ!」

「うん……傘、忘れちゃったの」

 正確には置いて来たんだけど、言っても余計に心配されるだけだ。

「何かあったの? 急に先生から電話がかかって来てびっくりしちゃったわ。大丈夫?」

 あったけど、ママには絶対に言いたくなかった。

 お姉ちゃんのアイドルデビューを誰よりも喜んでいたんだから。

 お姉ちゃんがアイドルになったせいで傷つけた、なんて言るわけがない。

「早くお風呂入っちゃいなさい! 風邪ひいちゃうわよっ!」

「……うん」

 わたしは頷くと、エアコンの冷気に震えつつお風呂場へ向かった。

 制服を脱ごうとして、洗面所の鏡を見つめる。

 涙の痕はない。だけどひどい顔だ。表情も、目も、死んでしまっている。

『マリア、笑顔だけは忘れちゃ駄目よ。笑っていれば人生なんとかなっちゃうんだから!』

 物心ついた頃からママに言われ続けた言葉が脳裏を過ぎる。

 昔のわたしはあんまり笑わない子だったからだ。

 お姉ちゃんばかりチヤホヤされて、わたしはいつもほったらかし。

 泣き喚いたら怒られるから、何も言わない、何も表情に出さない子になったの。

 笑うのは簡単に相手を誤魔化せるから。ただ、それだけなの。

 久しぶりに見た『本当のわたし』はものすごく怖くて、なんだかみずぼらしく見えた。

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