潜入
思わず息を呑んだ。
上ばかり警戒すれば、地面の異常に気づくのが遅れるのは必然。
一度動きを止めて、罠を警戒して正解だったってことだ。
地面に設置してある鋭利なトゲに、自分から突っ込むところだったのだから。
俺は身体を傾け、槍衾みたいに広がって配置されたトゲを回避する。
道理で警備を置いていないわけだ。
だいたいの侵入者は上を気にするあまり、左右の様子を見ようとしてそのまま突っ込むのだろう。
恐らくだが、トゲの先端に毒でも塗ってあるはずだ。
だから。痛みを感じた時には既に手遅れ、という寸法だろう。
俺ならそうする。
タワーディフェンスゲームでは、コストの低い防衛兵器を活かす必要があるわけで。
最小のコストで、最大の結果を。
それがこの罠ということだ。
俺はトゲを回避し、ゆっくりと起き上がった。
そのまま静かに屋敷の壁に張り付き、裏側を進んでいく。
すると廊下の窓がいくつか開いていた。
不用心というよりも、あの罠が作動することを信じているのだろう。
それとも。
これぐらい開放的になるほど、あの罠は成果を上げているのか。
やめよう。考えたくもない。
首を振って、慎重に窓枠を越えた。
ここに罠はない。
屋敷の廊下は汚れた絨毯や、傷ついた壁などが目につき、決して衛生的ではないようだった。
あくまでもスラム街にしては立派な建物、というだけだろう。
内部もそこそこ荒廃している。
その時、笑い声が響いてきた。
俺は身を硬くするが、バタンというドアの開閉音と共にまた声が消えていく。
どうやらどこかの部屋で騒いでいるようだった。
今のは誰か出てきたのか、それとも部屋に戻ったのか。
俺は廊下に置かれた棚などの調度品に身を隠しながら、声のした方へ進む。
出会い頭にバッタリ、なんて冗談にもならない。
進んでいくと、とある部屋から壁越しに騒ぎが聞こえてくる。
俺はそっとドアを開けて、中の声を聞くことにした。
「本当に王都は仕事がやりやすいな!!」
「衛兵達が間抜けだからな。動き出しを察するぐらいわけがない。魔王軍のおかげで精鋭もいない今、更に稼ぎ時だ」
「いやいや! それもボルダン様の手腕のおかげですよ! 俺達がこんな楽に食えているのは!!」
「フン。貴様らにはまだまだ働いてもらわんとな」
様々なダミ声が行き交う中、ひとつだけやけに低い声があった。
コイツがボルダンだろう。
言っている内容的にも、そう思っていい気がする。
「そういや、さっき拾った魚のガキはどうしてる?」
「へい! 他の売りもんと同じように箱に突っ込んでおきましたぜ!!」
魚のガキ。
多分だけど、これがイファルナさんの探している子だろう。
やはり捕まっていたのか。
「あ? お前、見張り交代の時間じゃねぇか! 飲んでねぇで早く行って来い!」
「いっけねぇ! 俺、行ってきやす!」
マズイ。誰か出てくる。
俺は窓枠を飛び越えて、裏庭に戻った。
直後、中から出てきた奴がどこかへと駆けていく。
見つからないように姿勢を低くしながら、そいつの足音を追った。
出た先は、屋敷の横にある建物。
2階建てぐらいの大きさがある、縦にデカイ倉庫だった。
裏庭とは違い、倉庫のある庭はやけに緑が多い。
植え込みがあったり、木が生えていたりと。
だが全く手入れされた様子がないことから、恐らくは前の住人が設置したものなのだろう。
俺はそこを抜けて、倉庫に近づく。
「すいません! 遅れまして!」
「ったく! お前の分の酒残しておかねぇからな!」
「そんなー!」
どこにでもありそうな先輩と後輩のやり取りだった。
先輩の方が屋敷内へと戻り、倉庫内には後輩だけが残る。
コイツらはボルダンの護衛なのだろう。
恐らくだが、適当に金で雇われただけに見える。
忠誠心があるかどうか疑わしい。さっきのあからさまなヨイショもあったしな。
窓から倉庫内を覗く。
窓枠には窓がハマっておらず、吹き抜けの状態だ。
スラム街だから、どんな物音がしても構わないのだろう。
中の光景を見て、俺は目を細めた。
子どもが入れるくらいの小さな四角い檻。
それが何個も何個も敷き詰められて、積み重ねられて。
その中に、色んな種族の子どもが詰め込まれていた。
魚も獣も鳥も、そして人間も。
声を殺して泣いている子もいれば、感情を失ったように膝を抱える子もいる。
俺はあまりの光景に、身を隠してため息を吐いた。
ダメだ。これはダメだ。
ボルダンは確実に破滅させる。
そうしなければならないと、心の奥底から怒りが湧いてくる。
そりゃゲームなんかでは、奴隷として売られる子どもなんていくらでも経験した。
だが、目の前でまざまざと捕まっている子ども達を目にしてしまうと、冷静な思考が奪われる。
一度、深呼吸をして落ち着くことにした。
なら、どうする。
正面切って出ていっては、あのヒョロい見張りに勝てるかどうかも定かじゃない。
それに衛兵達を動かせば、きっとボルダンに察知されるだろう。
さっきも奴らはそんなことを言っていた。
俺に求められるのは、護衛の排除とボルダンの捕縛。
それらを両立させながら、子どもを助けなくてはならない。
だが、ハッキリ言ってそんなこと無理だ。
罠の素材もないし、そもそもアイツらが何人いるのかわからない。
だから、俺は覚悟を決めることにした。
「死んでやり直すしかねぇ……!」
そうじゃなきゃ、俺がこの子ども達を救うのなんて夢のまた夢だ。
最初に比べれば、恐怖も薄れてきたのは事実だが。
やはり死ぬのはまだ怖い。
それでも、やらなきゃいけないんだ。
こんな蛮行を見過ごせるほど、俺はまだ腐っちゃいないのだから。
ひとまずあの見張りを倒しておこう。
檻のことや、子どもの人数。それにイファルナさんが探している子も特定しておかなくては。
俺は窓枠から倉庫内に侵入した。
見張りの背後に立ち、激辛調味料を空けて握りしめる。
「おい。そこのお前」
「なんっぎゃああああああああ!!!!!」
見張りは驚きながら振り向き、俺はそこへすかさず調味料をふりかけた。
目に入ったのか、顔面を抑えながら悶絶する見張り。
騒ぐそいつの足を払って転ばせ、その顎を蹴り抜いた。
「お、上手くいったか?」
自信はなかったが、偶然にもキレイに顎を蹴ることができたらしい。
見張りの男は一撃で気絶してしまった。
だが、今の大声を聞いて誰かが来るかもしれない。
俺は子ども達を見回し、そのほとんどが絶望のままでいることに驚く。
この子達はずっとここで囚われていたからか、希望を失ってしまっているのだ。
その中でも俺にすがるような視線を向けてきた子がいた。
俺は彼女の檻に駆け寄り、声をかける。
「もしかして、イファルナさんの知り合いか?」
「は、はい! お姉ちゃんを知ってるんですか!?」
彼女はパアッと顔を輝かせた。
妹なのだろうか。イファルナさんは、そうは言ってなかったけど。
「助けに来た。だけど、まだ待ってて。奴らを倒すまでは」
「わ、わかりました」
女の子は不安そうな顔のまま、気丈に微笑んだ。
俺は檻に着けられた錠前を観察する。
これは、鍵が必要なタイプか。
暗証番号とかなら、一度成功すればまた使えたんだけど。
「鍵を探してくるから。大丈夫。必ず助ける」
俺は少女にそう言い残して、窓枠から外へ出た。
駆けつけてくる足音が聞こえ、俺は窓の下に身を潜める。
「おい! どうした! クソッ! 侵入者だ!!」
「落ち着け。スラム街の奴らにそんな度胸はねぇはずだ。となりゃ、珍しい奴は必ず目撃情報がある。聞いてこい。俺は鍵を守る。鍵がなきゃガキは逃がせねぇ」
ふたりの内、冷静な方が淡々と言い放った。
1つの足音が遠ざかっていくが、残ったのは切れ者の方だろう。
「チッ。面倒は嫌いなんだが」
やがて、そいつも倉庫から出ていった。
倉庫の端から男の様子を見る。
そいつは細身の男で、剥き身の西洋剣を肩に担いでいた。
大剣まではいかないが、あれがバスタードソードって奴だろうか。
「隙だらけだぞ。曲者」
「なっ!?」
背後からかけられた声に、驚きながら振り向く。
直後。
白い剣閃が、眼前を両断した。
そのまま視界が赤く染まり、身体から力が抜けて――。
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