魚人の女の子
「お前さん……あの家に行ったのかね?」
「うわっ! 誰!?」
急に視界にドアップで現れたのは、いかにも魔女みたいな老婆だった。
黒いとんがり帽子に、真っ黒いローブ。
どこからどうみても魔女にしか見えない。
これで魔女じゃなかったら詐欺罪で訴えられそうな格好だ。
「ひっひっひ……私はしがない薬師さ。あの家の父親、見たかい?」
「見たっていうか、聞いたけど。いやだから誰?」
しかし魔女、じゃない――薬師は俺の言葉を無視して言葉を続ける。
「父親を看病しながら娘一人で生活していてね。健気じゃないか」
「いやだから」
「黙らっしゃい! 人が話してるんだから割り込むんじゃないよ!!」
「勝手に話しだしたんだろうが!!」
誰なんだよ、この老婆は。
その説明が一切ない。
「フン。全く。最近の若いものは……。まあいいさ。あんたもあの父親、いや娘を哀れに思うなら、『雪月花』を探してくるんだね」
「はぁ……」
薬師の老婆は言いたいことだけを言って、どこかへ行ってしまった。
そっちは村じゃなくて森なんだけど大丈夫だろうか。
いや、あれだけ自信満々に森に行くんだから平気だろう。
もしかしたら森の中に住んでるかもしれないし。
老婆のことはともかく、俺は馬車に乗る為に停留所らしきものを探すことにする。
村を歩き回って、出入り口の付近に停留所らしき木製の待合所を発見した。村人に聞いて正しいことを確認する。ここで待っていれば馬車に乗れるらしい。
やがて、幌馬車がやって来た。
乗り込んでみると、他に乗客はいなかった。
「王都まで。どれくらいかかります?」
「ん? 数時間だけど」
「ああ、いや。それもだけど、お金が」
「それなら1000カネーで行けるぞ」
御者の男性にお礼を言って、幌の中で腰掛ける。
セレネさんからもらったのは3000カネーだ。
片道どころか、往復すらできる。
これを知っていて、予備費として多めにくれたのか。
それとも馬車代を把握してなくて、大体でくれたのか。
――どっちにしても、きっちり返さなきゃな。
助けてくれたことに変わりはない。
俺は流れる風景へと視線を向けることにした。
見渡す限りの平原を進みながら、馬車は停留所に止まらず、まっすぐ王都へ向かう。
途中にもさっきの村と同じような集落は何個か見かけたし、停留所も見かけた。
けれど誰も待っていないのだ。
王都に行くことは結構珍しいことなのか。
それとも王都や、他の都市に人口が集中しているのか。
ぼーっと過ごしていると、不意に声が響いた。
「おーい。王都が見えてきたよー」
御者の声で外を見る。
手前に広がるのは巨大な壁みたいに広がる塀。
城塞というわけではないが、高い塀に囲まれた大都市だというのはなんとなく察せられた。
中央部分にそびえているのは城だろうか。青い屋根がわかりやすく突き出ていた。
御者に金を払い、門前で下ろしてもらう。
俺は開かれた大きな門を見上げながら、感嘆の声を漏らしていた。
「はぁ~。本当にこんな感じなんだな、異世界って。なんかすげぇもん見てる気分だ」
地球にいた時も、日本から出たことがなかった身だ。
本格的な西洋風の建築なんて、この目で見た経験もない。
それがまさか異世界で初体験すると言うんだから、不思議なものだ。
門番に止められないか不安になったが、そこは王都。
人の出入りが多いためか、だいぶフリーだ。
門から直通の大通りには色んな人が行き交っている。
その色んな人というのが、本当に色んな人であって。
俺みたいな普通の人間のみならず。
「もしかして、種族がいっぱいいるってやつか?」
思わず独りごちた。
俺と同じく普通の人間が一番多いが、肌や髪の毛、瞳などの色が様々だ。いや、そんなことで差別が生まれる世界じゃないんだろう。
だって。
他には魚人やら獣人やら鳥人やらがいるのだから。
人間における外見の差なんて問題にならないほどに、違う。
いかにも魚って顔の人もいれば、人間の顔にヒレやエラが付いているコスプレみたいな人もいる。
それは獣人や鳥人にも言えることで、獅子や虎、狼、鷹にフクロウにカラスなどなどなど。
俺は大通りを行き交う様々な種族に心を踊らせ、同時に困惑していた。
――こんな色んな種族がいるなんて聞いてないっての。
同じ人間同士なら、話し合えばなんとかなる可能性だって充分にあったけど。
そもそも人間じゃないと、価値観がまるっと変わるんじゃないか?
一抹の不安を抱きながら大通りを進む。
露天が多く出ていて、活気のある呼び声や話し声が飛び交っていた。
その中でも俺はちょくちょくと視線を受ける。
最初は黒ジャージが珍しいのかと思っていたが、どちらかというと仮面に目線が注がれていた。
この仮面は、こんなにも色々な種族が共存する世界でも珍しいらしい。
人の視線を避ける為の仮面なのだが、逆効果だったようだ。
まあいい。喋らなければ問題はない。
むしろオシャレとして堂々としていればいいんだ。
今のところ、「不審者だ!」と衛兵のような人を呼ばれることもないし。
ちょっと物珍しいぐらいなんだろう。
「あの! そこの人!!」
大声で呼ぶ声がした。
人口の多い大通り。多くの人が一斉に視線を俺の後ろに集中させる。
まさか俺じゃないだろう。
こんな変な奴に声をかけるなんて、そっちこそ変人だ。
「そこの仮面の人!」
変人だったか。
そう思いながら振り向くと、そこには必死な顔をした魚人の女の子がいた。
ほとんど人間と同じ顔の形をしている。
赤く大きな瞳。通った鼻筋。全体的に整っている造形に思わず俺は一歩退いた。
生きるステージの違う相貌をしている。
印象としてはきれい系よりもカワイイ系だ。年齢も人間で見れば、十代後半に見える。
髪型は明るい赤色のポニーテール。肌の色は深い群青色だ。
それが魚人であることを如実に示している。
人混みを観察している内にわかったが、魚人は薄着が多い。彼女はその中でも露出が多く、ほとんど水着みたいな格好でそこに立っている。それを誰もおかしいと思っていないのか、指摘する者はいない。
チューブトップで覆われただけの胸部に、ホットパンツみたいな短いズボン。どちらも黒いから際どく見えて、自動的に目を背けてしまう。
ただ彼女には、他の魚人みたいにエラやヒレが見当たらない。
肌の色が青くなければ、人間に見えるほどだ。
それとは別に、俺は彼女が背負っているものに興味を抱く。
槍だ。それも三叉に分かれている。
銛のようにも見える槍。
それが彼女の雰囲気と相反していて、ちょっとドキっとした。
初めて見る、本物の槍ということもあるのだろう。
「あの、ごめんなさい。突然」
「いや、いいんですけど。どうして俺に?」
不審者だからだろうか。
やはり、仮面はやめた方がよかったかもしれない。
俺が彼女と話し始めたことで、騒動は終わりだと思ったのか。
周囲から集まっていた注目が霧散していく。さっきまでと同じように赤の他人に戻り、それぞれの生活に帰っていった。
「貴方からは危険な香りが一切しなかったから、声をかけたんですけど。いきなり言われても困りますよね」
彼女は苦笑する。
どうやら安全な人物認定されていた。
それは光栄なんだが、原因がわからない。
アレか? おのぼりさん丸出しだったからだろうか。
っていうか、そう感じても仮面の人間に話しかける選択肢はなかなか取れないと思うんだが。
肝が据わっているのか。
それとも、それほどまでに切迫した事態なのか。
「あ、すみません。あたしはイファルナって言います」
「俺はリヒト。人間です」
イファルナは一瞬だけきょとんとしたが、すぐに真面目な顔に戻った。
「実は、一緒に王都に来てた女の子がいなくなっちゃって」
「迷子ってことですか?」
「そうみたいなんですけど……いくら王都が広いって言っても、
事態の把握と同時に、魚人を
普通に魚人なんて呼んだら、常識がないとか言われたりするのだろうか。
それとも田舎者って判断されたり?
「衛兵……とかには」
「もう頼みました。でも居ても立っても居られないし。と言っても、王都にはほとんど来たことないから、頼れる人もいなくて」
それで人畜無害に見えた俺に頼ろうとしたわけか。
こんな仮面を着けていても、外見に惑わされない人もいるんだな。
まあ、俺が「平和ボケした日本から転移してきたので、弱々しくて脅威を感じなかった」というオチもありえるわけだけど。
むしろ自分で想像しておいて、そっちの方が濃厚だと考えている。
この仮面による不審を打ち消すほどの、ひ弱さってことだ。
「わかりました。ひとまず探してみましょう」
そう答えたものの、俺は王都についてほとんど知らないわけで。
協力するにはその辺りの事情を、記憶喪失として説明しなくてはならないが。
「ありがとうございます! あたしはもう一度衛兵さんに確認してみますね!」
「あっ! ちょっと!」
イファルナさんは走って行ってしまった。
意外と身体能力が高く、そのまま人混みにまぎれて見えなくなってしまう。
俺は追いかけるよりも、手分けして探した方がいいかと思い、彼女とは別方向に足を運ぶことにした。
待ち合わせ場所もなにも決めてないが。
衛兵がいるらしいから、報告したい時はその辺りに行けばいいだろうと判断した。
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