オマケ
第30話 砂に埋もれた破片(壱)
※マツヤの町を出てから、目的地に着くまでの間の話です。
人間と亜人という種族の壁を越えて結ばれたフェレシュテフとチャンドラは、安寧の生活を求めて、慣れ親しんだ港町マツヤを後にした。彼らの目的地は、二人と同じように種族の壁を越えて番ったというチャンドラの兄が暮らしている草原の地だ。その場所へと向かうまでには幾つもの山や砂漠を越えていなければならず、その旅路は険しいものとなるのは必然。長旅に慣れていないフェレシュテフが体調を崩すことも屡あり、その都度落ち込む彼女をチャンドラが励ました。そうして力を合わせて旅を続けてきた二人は、砂漠の国まで辿り着く。
(土地が変わるだけでこんなにも気候が変わるものなのね……)
高温多湿の土地で生まれ育ったフェレシュテフは、あらゆる水分を奪い去るような乾いた暑さに驚いている。砂漠の国で生まれ育った母親はこの暑さの方が慣れていると言っていたが、フェレシュテフはじめじめとした暑さの方に慣れているので、何となく違和感を覚えるようだ。
(汗でべたべたにならないのは良いけれど、日差しの強さと砂埃が凄いのは勘弁だわ……)
日差しを遮る為に予備のサリーを体全体を覆うように被っているものの、砂漠の日差しの強さたるや、薄い布を通してじりじりと肌を焼かれているような感覚に襲われる。このままでは干からびてしまいそうだと、フェレシュテフは感じていた。
今のところは草木が極端に少ない岩石が露出した土地を進んでいるが、この先には広大な砂の海が待ち受けている。そろそろ日も傾いてきたので体を休めることにしようとチャンドラが提案し、荒れ果てた地を流れる小川の近くで野宿をすることとなった。旅の御供をしてくれている馬とロバの背から荷物を下ろしてやり、荷の中にしまっていた餌袋を出して、フェレシュテフが彼らに食事をさせる。その間にチャンドラは小川まで水を汲みに行く。手持ちの食料で簡単な食事を取り、残り少なくなった茶葉を使って淹れた
「このまま道なりに進んでいくとだだっ広い砂漠に入るんだが、その手前に人間の町がある。其処で必要な物や食料を買っていこう」
「はい」
「それからな、ここから先は注意することがあるから、よく覚えておくように」
砂漠の国には厳しい戒律が存在する。余所者扱いされることはあっても割合自由な気風であったマツヤの町とは違い、異国人であろうとも戒律を守らなければ排除する気風が強い土地柄なのだとチャンドラが語る。
「亜人である俺にはそれほど厳しい戒律じゃあねえんだが、人間の女であるフェレシュテフには厳しいかもしれねえな」
砂漠の国では女性は家族以外の男性に顔を見せてはいけない、肌も見せてはいけないのだという。フェレシュテフが普段着ているサリーではそれを破ることになるので、明日、町で服も調達することにした。
暫く寄り添い、ぽつぽつと話をしていたが、旅の疲れが出ているのだろう、フェレシュテフが船を漕いでいた。寝るようにと彼女に促して、野宿用の薄い布団を地面の上に敷いて体を横たわらせてやる。
「眠たくなりましたら、起こしてくださいませね?見張りの交代を致しますから……」
「ん、おやすみ」
「おやすみなさい、あなた……」
チャンドラが頬を撫でてやるとフェレシュテフは嬉しそうな表情を浮かべ、そっと目を閉じる。間もなく、健やかな寝息が聞こえてきた。楽な姿勢をとっている馬もロバも、同じように眠りに落ちていた。見張り番をしているチャンドラはというとフェレシュテフを起こさないようにと気をつけながら、彼女の金茶色の髪を撫でている。フェレシュテフの柔らかい髪を撫でるのが、近頃のチャンドラのお気に入りだ。
(……そうか。砂漠を抜けるまでの間、自由にフェレシュテフの顔を見られなくなるのか……)
以前に砂漠の国を訪れたことがあるので、この土地の女性がどのような格好をして、どのように生活しているのかをチャンドラは知っている。土地の女性たちは老若関係なく、体全体を覆う真っ黒な布を頭から被り、更に白い布で顔を覆い隠している。フェレシュテフもこれから当分はその格好をするのだ。出来るだけその土地の習慣に従った方が身の安全の為であると、チャンドラは経験で知っている。
匂いで判別出来るので、顔が見られなくても彼女と他人を間違えることはない。だが、随分と下から見上げてくる緑色の目が見られないのは少し寂しいかもしれない。チャンドラは自分を見上げてくるフェレシュテフを見るのが好きなのだ。
**********
――翌日。二人は砂漠の手前にある町へとやって来た。嘗ては要塞として利用されていたという名残だろうか、この町の周囲は日干し煉瓦の重厚な壁で囲まれている。
(マツヤとは違って……何となくだけれど、閉鎖的な雰囲気がする町だわ……)
栄えている港町のマツヤほどの賑やかさはないものの、この町にはそれなりに人がいる。けれども外に出歩いているのは殆どが人間の男性ばかりで、偶に見かける女性は全身を覆い隠す衣装に身を包み、足早に歩いていて、井戸端会議をしているような女性は見受けられなかった。
様々な人々が集まる市場においても、同じような光景が広がっている。色とりどりのサリーに身を包み、元気溌剌に日々を生きている港町の女性ばかりを目にしてきたフェレシュテフは衝撃を受けた。
(土地が変わると気候だけではなくて、こんなにも文化が違うものなのね)
「町中では俺と親しげに話さない方が良い」と予め言われている為、馬とロバを引いて態とゆっくりと歩いてくれているチャンドラの後ろをついていきながら、旅の必需品を買い揃えていく。亜人の男性と人間の女性の二人連れということで商店の店主に訝られることはあったが、遠くの土地にいる男性に嫁ぐフェレシュテフの護衛を彼女の両親から頼まれているのだとチャンドラが説明すると、一先ずは納得して貰えた。嘘を吐くのが苦手なチャンドラだが、何回も言っているうちにこの嘘だけは上手につけるようになったらしい。
この土地の女性が使用している衣装も買うと、その店の奥を借りて、早速それを身に着ける。黒地の大きな布を頭から被り、顔を隠す長方形の白いヴェールもつける。ヴェールは目の部分が透けており、視界が遮られることがないようだと分かって、フェレシュテフはほっと息を吐く。
(こんな厚着をしていても平気なのかしらと思ったけれど、意外と平気だわ)
黒地の布は強い日差しをしっかりと遮ってくれる上に、思っていたよりも薄手だったので蒸し暑くなることもなく、じっとりとした汗をかくこともない。想像していたよりも快適な着心地だったので、フェレシュテフは再びほっと息を吐く。
必要な物は全て買い揃えたのでそろそろ町を出て行くことにしようということになり、市場の出口へと向かっていこうとした時だ。二人の前を歩いていた女性が急に蹲り、動かなくなってしまった。フェレシュテフは咄嗟に女性の許に駆け寄り、声をかけた。
「どうかなさいましたか?お加減が優れませんか?」
「すみません、急に立ちくらみを起こしてしまいまして……」
この数日間、風邪をひいて床に伏していたという女性は熱が下がり、咳もしなくなったのでと買い物にやって来たらしい。けれども女性の体は全快とは言い難い状態だったようで、不調を訴えてきたのだろう。フェレシュテフに支えられながら立ち上がると、彼女は一人で家に帰れると言ったものの、足元が覚束ない。フェレシュテフは彼女のことが心配になり、家まで送っていくことにする。
(ったく、お人好しだなぁ。まあ……それがフェレシュテフの良いところだけどな)
と、内心では呆れたものの、チャンドラはフェレシュテフのお願いに弱い。彼女の申し出をあっさりと承諾したのだった。
フェレシュテフと女性が当たり障りのない話をしながら、似たような造りの住居が立ち並んでいる区域を進んでいると、左手にある角から五十代くらいと思しき、立派な髭を蓄えた男性が現れる。その人物の姿を見つけた女性が「ソルーシュや!」と声をかけ、男性はその声を聞くや、ゆっくりと此方の方に顔を向けて近づいてきた。
「どうしたんだね、お母さん。家の外で大きな声を出すなんて……おや、この方たちは……?」
この男性の母親と言うことは、フェレシュテフが助けた女性は老婦人ということになるのだろうか。声だけでは年齢を知るのは難しいようだ。
「立ちくらみを起こしてしまったところをこの方たちに助けて頂いたのよ。是非とも、家に上がって頂きたいの」
「そうですか、それは勿論です。母を助けて頂きまして、有難う御座います。私はヌーリの子、象嵌細工職人のソルーシュと申します。お急ぎでないようでしたら、是非ともお礼をさせて頂きたいと思っています」
「……私はバンラージャの里の出のチャンドラと申す者です。その申し出、有難く受けさせて頂きます」
敬語を使うチャンドラが物珍しくて、フェレシュテフはついつい彼を見上げてしまう。
彼はソルーシュと名乗った男性の申し出を受け入れたが、二人の関係に気づかれないようにするためにはここで去っていく方が良いのではないかと彼女は思う。然しチャンドラには別の考えがあるのかもしれないので、フェレシュテフは彼の判断に従うことにする。
家の中から出てきた若い男性――恐らくはソルーシュの息子だろう――に馬とロバを預けると、チャンドラとフェレシュテフはそれぞれ別の部屋へと案内された。
(チャンドラさん、天井に頭をぶつけたりはしていないかしら?)
ソルーシュの住居は当然、人間の背丈に見合った天井の高さをしている。フェレシュテフが生まれ育った家にチャンドラを招き入れた時、人間よりも遥かに背の高い彼は天井に強かに頭をぶつけていたことを思い出し、少し心配になる。
(チャンドラさんはどうしているのかしら?)
傍にチャンドラがいないことで、フェレシュテフは自然とそわそわとする。それが当たり前になっているので、何となく体が違和感を覚えているのだろう。
「あら?家の中だもの、楽な格好をしてくださっても良いのよ?」
別の方へと向けていたフェレシュテフの意識を引き戻したのは、彼女の斜向かいに腰を下ろしている老婦人――フェレシュテフが手を差し伸べた女性だ。綺麗に皺の入った顔をした、どこか品のある老婦人は顔と体を隠す衣装を脱いでおり、涼しげな格好をしていた。お茶と御菓子を用意してきてくれた別の中年の女性――恐らくはソルーシュの妻だろう――もまた、あの衣装を着てはいない。
「あの、お家の中では顔を出しても良いのですか?すみません、この土地の風習に詳しくなくて……」
「ああ、そうだったわ、旅の方なのでしたわね。ええ、家の中では
老婦人から服装の決まりごとを教えて貰ったので、フェレシュテフは早速チャードルとヴェールを脱ぐ。すると、フェレシュテフの顔を見た老婦人がひゅっと息を飲んで、凍りついた。
「ナーザーファリン……っ!?」
「え?」
老婦人の口から亡くなった母親の名前が飛び出してきたので、フェレシュテフが唖然とする。
「あっ、ああ、御免なさいね。貴女のお顔が、昔に亡くした娘によく似ていて……」
「まあ、そうなのですか……。その方もナーザーファリンというお名前なのですね。私の亡くなった母親も、同じ名前なのです」
「……お母様は此方の出身なのかしら?名前の響きが此方のものだけれど」
「はい、砂漠の国の生まれだと聞いています」
「そう……」
フェレシュテフの名前を聞いた老婦人は何か思うところがあったのか、逡巡してから、彼女に問いかけてきた。
「あの……良かったら、貴女のお母様のことを教えてくださる……?」
「母のことですか?私の母は砂漠の国に生まれ育って、異国の人間である父と出会って恋に落ちて……母の家族に結婚を反対されて、駆け落ちをしてしまったのだと母に聞かされています」
フェレシュテフが簡潔に説明をすると、老婦人はまたしても驚きを露にする。
「あ、貴女のお父様のお名前は、若しかして……ヴァージャというのではないかしら?」
「え?ええ、そうですけど……?」
「雪国の……ええと、スネジノグラードの出身の、ヴァージャさん?金茶色の髪と緑色の目の、白い肌をしたヴァージャさん?」
「……そう、です」
初めはただの偶然なのだろうと思っていたが、ここまで共通点があると何となく怖くなってくる。初対面のはずの老婦人はどうして、こんなにもフェレシュテフの両親についてよく知っているかのようなことを言ってくるのだろうかと。
「それでは貴女はナーザーファリンとヴァージャさんの娘なのね……?」
震える手でフェレシュテフの手を握ってきた老婦人の目には、いつのまにか涙が溜まってきている。フェレシュテフは不躾だとは思ったが、老婦人の顔をまじまじと見るめる。老化による皺が刻まれている彼女の顔に、懐かしい面影を見つけたような気がして、少し、胸が震えた。
「いけないわ。未だ、貴女のお名前を聞いていなかったわね。私はザルリンドフトというの。貴女のお名前は……?」
「私は、フェレシュテフと言います……」
「フェレシュテフ……良い名前ね」
ザルリンドフトの潤んだ目から流れ落ちていく涙を、フェレシュテフは呆然として見つめる。フェレシュテフの手を握る彼女の手の力が強くなる。
「神よ、あなた様が与えてくださった奇跡に感謝致します。末娘の子供に……孫娘に逢わせてくださったことを……!信じられないだろうけれど、聞いて頂戴ね。私はナーザーファリンの母、そして貴女の祖母よ……」
「……え?」
突然のことで、フェレシュテフの頭が動かなくなる。この人は何を言っているのだろうと。そんなフェレシュテフを置いてきぼりにしているザルリンドフトは、「道理でナーザーファリンに似ていると思った」「顔形は母親譲りで、髪と目の色は父親譲りなのね」と独り言のようなことを呟きながら、愛おしそうにフェレシュテフの頬を撫でてきた。
「私の、お祖母様……?」
「ええ、そうよ。出会うことが出来て嬉しいわ、フェレシュテフ……」
感極まったザルリンドフトに抱きしめられるが、フェレシュテフはどうして良いのか分からず、ただただ呆然とすることしか出来ないでいた。
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